赤れんがの建物
東京駅の復元工事が終わって、一大観光名所となっているようです。先日、東京中央郵便局前を通りかかったところ、ごらんのように写生をする人や、写真を撮る人などで大勢が見えていました(下左の写真)。

東京駅といえば「赤れんが」と浮かんできます。「赤れんが」は明治期の土木構造物にも多く使われています。

上右の写真は、四ツ谷駅のホームからの眺めですが、橋台にれんがが使われています。こうした眺めは東京駅近辺では、山手線のガードなどでよく見られます。

しかし今回は、「身近な土木」のタイトルに背いて、東京駅のような建物を巡ってみます。土木も建築も、日本でこそ完璧なまでに分離していますが、元々は一緒ですから、明治期ならそれほど違和感はないかと思います。

「赤れんが」で東京駅と並んで思い出すのは、横浜の倉庫街でしょうか。あるいは旧法務省(中央合同庁舎赤れんが棟)のことでしょうか。
では、下の写真をご覧ください。

これは、つい先日隣接する新店舗への移転に伴い閉鎖(2012年(平成24年)8月3日)されるまで営業していた岩手県盛岡市の岩手銀行中ノ橋支店の建物です。私は8月1日に行ったため、右のように営業中の中を見ることができました。

この建物は、何となく東京駅を思わせませんか。それもそのはずで、設計は東京駅と同じ辰野金吾(と、岩手県出身の工学博士葛西万司)で、1911年(明治44年)に完成しました。市の保存建築物や国の重要文化財にも指定されています。

次は秋田県秋田市の「赤れんが郷土館」です。今は博物館のようになっていますが、ここも旧秋田銀行本店として、1909年(明治42年)着工、同45年に完成した建物です。設計は1898年(明治31年)東京帝国大学工科大学土木工学科卒業の牧 彦七とされていましたが、牧は責任者であって、実際は秋田県技師である山口直昭と星野男三郎であることが確認されていると言うことです。

リンク先(参照)のページには次のように書かれています。
【ところで、外と内で建築様式が違う珍しい建物ということにお気づきでしょうか。実は赤れんが館には2人の設計者が携わっています。外観の設計者は、秋田県技師を務めた山口直昭。山口は、秋田県公会堂(明治37年完成)や東宮御所(赤坂離宮)の建築にも参加した人物。内部の設計者は、東京星野工業所の星野男三郎。星野は、日光廟の塗装修理工事にも参加した人物です。この2人の設計と地元秋田の職人たちの技により、明治の香りを今に伝える貴重な建物が完成したのです。 】

右の写真が内部です。ほかにも頭取室や貴賓室、金庫室などを見ることができます。詳しくはリンク先を参照していただくとして、明治期の銀行というのはたいしたものだと思う(今でもかな)だけです。

もう少し北に行ってみます。
下の写真は北海道庁旧本庁舎です。
赤れんが庁舎」と呼ばれ、1969年(昭和44年)国指定重要文化財となっています。
内部は北海道の古文書が収蔵された北海道立文書館として一般開放されているとのことですが、訪問したとき(2012年8月30日)は残念ながら時間の関係で見ていません。しかも、この写真は向かって左側で、正面はこれまた逆光の時間であったため、掲載は遠慮します。

設計は、 北海道庁土木課(平井晴二郎)ということで、ここでも土木と建築が未分化(統合?)の時代が感じられます。竣工は1888年(明治21年)で、今回の建物の中では最も古いものです。
これがアメリカ風ネオバロック様式と言うのだそうで、何となくアメリカ映画に出てきそうな趣ではあります。

そういえば、明治期土木の始原である鉄道でも、本州はイギリスの様式を取り入れていますが、北海道だけはアメリカ式です。機関車なども、まるで西部開拓時代のようなアメリカ製が見られます。
おもしろいものです。

と言うわけで、土木遺産第2弾を予定していたのですが、建築となってしまいました。土木遺産についてはまた改めて紹介します。


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