伊能忠敬の測量

伊能忠敬の名は、明治時代に教科書(国語から修身)に取り上げられ知られていましたが、有名になったのは故井上ひさしの小説「四千万歩の男」が決定的でした。今年2010年は、伊能測量210年記念「完全復元伊能図全国巡回フロア展」が開催されています。茨城県では水戸市で開催されましたので、筆者も見に行ってきました。その様子は、こちらのページで紹介しています

伊能忠敬の人となりや業績については、その出身地、千葉県香取市佐原に「伊能忠敬記念館」がありますので、そちらをご覧ください。
本欄では、土木に関連の深い、伊能忠敬が行った測量についてまとめて見ようと思います。

なお、写真については、出典および撮影場所を本文末尾に掲載しています。

海岸線の測点設置 梵天(中央)および測量方の旗(右)
写真1 海岸線の測点設置 写真2 梵天(中央)および測量方の旗(右)

測量とは、地球表面にある地物(人工物も含む)を、その相対的位置関係を損なわずに適当な縮尺をもって図に表す作業です。そのため、距離を測ることと角度を測ることが基本になっています。

まず、写真1のように、測りたい地形などに沿って曲がり角など適当な地点を選び測点を決めます。測点には杭を打ち、梵天と呼ばれる目印を建てます。写真2中央が梵天です。今で言うポールのようなものです。測点と測点の間を側線といいます。

鉄鎖
写真3 鉄鎖 写真4 間縄

距離を計るには、写真3のような「鉄鎖」又は写真4のような「間縄」を使用します。側線に沿ってこのどちらかを使用しました。

杖先磁石 導線法説明
写真5 杖先磁石 写真6 導線法説明

角度を測るには写真5の「杖先磁石」(「小方位盤」あるいは「彎窠羅針(わんからしん)」ともいいます)を使用します。磁石を杖の先に仕込んであり、傾斜しても磁石面は水平を保つようになっています。写真2のいちばん左に映ってもいます。

では、実際にはどのように行ったのでしょうか。予定した測点・側線が写真6のようであったとします。AからBを見通して角度Aを計ります。距離を計りながら前進し、B点でも同じようにします。このようにして方位と距離を計りながら前進していく測量方法を「導線法」と言います。

交会法の説明 量程車
写真7 交会法の説明 写真8 量程車

しかしながら、写真6の「導線法」を長く続けていると、最初は小さな誤差も、だんだん積み重なって大きくなっていきます。それでは精確な地図は出来ないので、修正しなければなりません。修正の方法の一つが、「交会法」というものです。

写真7のように、各測点から共通して見える目標を探します。通常、高い山などがそれになります。各測点から共通の目標物を見たときの方位角が写真7の2重半円の角です。もし、距離ABを誤ってAB’と測定していたとしたら、B’点から方位角を振っても目標物に定まりません。こうして誤差を発見したり修正を繰り返ししたりしながら進んでいくのです。

距離を測るのに使われた、もうひとつの器具に写真8の「量程車」があります。この器具を引いて歩くと、動輪の回転数を歯車で数え、距離が測れます。しかし、現在と違い、当時は道路の舗装はありませんから、固い平坦な道でしか使われなかったようです。

勾配測量の様子 勾配測量の原理
写真9 勾配測量の様子  写真10 勾配測量の原理

地図は平面ですが、地表には起伏があります。ときには高い山があります。それらの高さも測定しておかなければ地表の事物を正確に映し出した地図とは言えません。そこで、鉛直方向の角度も計測する必要が出てきます。

その様子が、写真9および写真10です。

写真11 小象限儀 写真12 半円方位盤

写真11は、写真10の実物です。また、遠い山などの方位を測る機器の一つが写真12の「半円方位盤」です。平板測量に使うアリダードのようなものと方位磁石が合体しています。

中象限儀 星の南中高度を測る
写真13 中象限儀 写真14 星の南中高度を測る

測量とは、ある地点が地球上のどこにあるのかを確定する作業でもありますから、緯度・経度を測る必要があります。後に多くを引用しますが、「伊能忠敬物語」(著者:渡辺一郎、「建設マネジメント技術」発行:(財)経済調査会、1998年2月号)には次のように書かれています。

【天体観測すなわち天測のうち、晴れてさえいれば毎日行われたのは緯度の測定のための恒星の観測である。月食・日食・木星の衛星の凌犯現象も観測したが、これは経度の測定のためである。経度観測には多大な努力がされたが失敗した。(64~65ページ)】

その時使われていたのが写真13の「中象限儀」です。同書に「半径約115cm、望遠鏡は四半円に沿って回転できる。望遠鏡で恒星を捉えたときの四半円の目盛を読む。」と説明されています。写真14は、観測方法の略図です。

このように、伊能忠敬の測量方法には、全く新しい方法と言えるものはありません(「鉄鎖」は伊能忠敬の考案といわれていますが)。そのときまで断片的に実現されている技術を集大成して、しかも、実に丹念に根気よく行ったものです。先の「四千万歩の男」でさえ、「全10回に及ぶ伊能測量の第2次測量の半ばまでであるから、まだまだ忠敬の全測量行の1割を超えたところであろう。」(「伊能忠敬物語」(「積算技術(「建設マネジメント技術」の旧名)1997年10月号85ページ)と言われています。

それでは、「伊能忠敬物語」全6回の中から、第2回の一部「測量作業の実際」および「測地の工夫」(「積算技術」1997年12月号64~67ページ)を引用します。
著者の渡辺一郎と言う方は、この当時は「伊能忠敬研究会事務局長」でした。伊能測量210年記念「完全復元伊能図全国巡回フロア展」で購入した「伊能忠敬の全国測量」という小冊子では、「伊能忠敬研究会名誉代表」とされています。

【≪測量作業の実際≫
 わかりやすくいうと,忠敬は田畑や宅地を測るのと同じ方法で日本全土を測量したということができる。伊能隊の作業を観察した同時代の測量家は,伊能測量は特別なことはしていないと書き残している。
 忠敬は,だれでも知っている方法をていねいに行い,いまの言葉でいうとシステム的に誤差を減らす工夫を凝らして,日本企図を完成した。(略)
 距離の計測には,はじめはごく普通の苧麻の間縄(けんなわ)が用いられた。縄は価格が安いが,水分による伸縮とか,強度が弱い,強風時には風にあおられるなどの欠陥があり,材質を変えて工夫されたが不十分なので,特別な場合を除き,第3次測量以降では鉄鎖が用いられた。
 鉄鎖は両端に輪をつくり,内法を1尺とした鉄線を60本つないだもので,忠敬の考案である。それでも引いて歩くと磨耗するので,毎日間棹(けんさお)で検査をした。
 間棹は長さ2間というから,3.8mくらいの長い棹で,扱いの便を考えて2本繋ぎとしている。間棹は短い距離の測定には他でも使われていたが,2本繋ぎで2間としたのは忠敬の知恵ではなかろうか。約4mの長さがあると,岩場など縄や鉄鎖を当てにくい場所で距離の見当をつけたり川幅を三角法で測るときに役に立ったろう。
 傾斜のある坂道では,携帯用の小象限儀で勾配を測り,割円八線表という現在の三角関数表に相当する数表によって平面距離に変換した。
 三角測量は行っていないが,三角関数は利用しており,川幅など容易に測定された。例外的であるが,富士山の高さも何カ所かで測られている。
 距離を測ったあとは,曲がり角の方角を側らなければならない。方角を測るには主として杖先羅針が用いられた。(略)この当時どこでも測量に便われていた。便利な道具で三脚に比べると格段に便いやすい。伊能測量に使われた器具のうちでは最も役に立った器具であった。
 忠敬は杖先羅針の構造と使い方には工夫を凝らしている。羅針の台の構造を変えて早く安定するようにしたり,方角を直読できる目盛りをつけたりした。どのくらい効き目があったかわからないが,羅針を見る者は大刀を身につけず,竹光の小刀だけを帯するようにした。
 正・副2本の羅針が1組になって測定して平均をとっている。(略)方角は磁針を北または南に合わせてから覗尺を目標に向ければ直読できる。
 二つの測定値は同じでなければならない。それぞれの測定値は,書き役が梵天持ちのもっている記録表に書き込んだ。
 正・副羅針は下役または内弟子が担当したが,複数の要員が配置できたときは,それぞれが測定し正副とも複数のデータを記録した。データは宿舎で野帳に転記する際に平均した。日常作業のなかで誤差を減らす知恵である。
 伊能隊は多いときは,4組くらいの手分け測量をしているから,杖先羅針は少なくとも8本はもっていたことになる。
 また,直線の方角を測ると同時に,ごく近くの目標(たとえば,寺院の屋根,大木の棺など)を設定し,各屈折点からこれらへの方位を測って同じように記録表に記した。そうすると,あとで下図を書いたとき,距離の読み違いがあると発見され,補正が可能である。
 (略。交会法の図の説明)このような方法を交会法存在がわかる。
 また,直線部の距離と屈折点の角度を次々に測りながら測量する方法を導線法といい,広く行われていた。普遍的だった導線法と交会法が伊能測量の柱であった。
 交会法の目標の方角はていねいに取られ,曲がり角ごとに複数の目標が測られたようである。
 筆者の実験では,目標をどこにとるかがキーポイントであった。ある距離を測進する間,共通に利用できて,なるべく近い目標がよい。遠すぎては下図の用紙からはみ出して検証できなくなる。
 これまでの作業を現場の情景にあてはめてみよう。一つの測量作業班は次のような要員で構成された。梵天を立て記録表をもっている梵天持ち数名,鉄鎖を運搬し梵天の間を引き回す役,距離を読みとる役,読みとられた測定値を記録表に記入する帳付け役,記入が終わった記録表を集める役,杭打ち,杭持ち役などである。
 村境,目標となる岬などにはあらかじめ村側で標識が立てられていた。当日の予定区間は前夜決められているが,全体の地形を把握するため,村側からあらかじめ提出させた絵図面を現場に持参させる場合もあった(絵図面持ちが増える)。
 はじめに,梵天を立てる位置を決めなければならないが,これは責任者の下役が宰領の村役人に指示したであろう。村役人は梵天持ちを走らせて位置につかせ,良いとなれば杭を背負っている杭持ちと掛矢をもっている杭打ちに,杭を打たせた。
 あと,鎖持ちが鎖を仲ばす。距離を読むのは下役・内弟子も行ったかもしれないが,主に棹取りという名の中間だったろう。梵天の間隔が広くて鉄鎖が届かない場合,間に棹を立て中継ぎをしたり,鎖の張り方をみたり,1尺以下の長さを間棹をあてて読んだりした。測定値は帳付けが梵天持ちの記録表に書込む。棹取りは小者の身分だが,棹取りとして雇われ,忠敬や下役がつれていた従者よりも上の扱いであった。
 正・副羅針は下役または内弟子の役で,ほかに指揮者がつかないときは正羅針が指揮者を兼ねたであろう。羅針は距離計測のあとを方角と交会法の方位を測りながら進む。帳付けは測定値を記録表に書き込む。書き込みが終わった記録表は,鶯持ちという記録表を集める係が,竹串に順に1枚ずつ刺して集めて行く。
 測定が済んで次の梵天に杖先羅針を移動するときは,村人足が運搬したかもしれない。それでも,直接測量作業を応援する人足は1班当たり十数名でそんなに多いものではなかった。
 下役がつれていた従者は,個人的な使用人であるから近くにいたと思う。忙しいときは作業を手伝った。
 測量中の私的荷物で一番扱いがたいへんだったのが大刀である。あまり離れるわけにいかなかったし,一人に何本も持たせるわけにもいかなかった。測量風景を描いた図では,測量班のすぐ近くに村人足が1本ずつ刀をもって従っている絵が出てくる。
 作業は朝6時からはじめて,遅くとも13時頃には宿についているから,作業時間は1日約7時間である。幕府事業になってからは,一つの作業班の1日当たりの作業は多くても2里ぐらいなので,進行速度は1時間に1km強となる。
 作業せずに,予備器材,記録資料などの荷物運搬,またはついて歩くことだけが目的の人達は別の意味でたいへんだったろう。
 忠敬はどこでも測量班よりも早く宿舎についた。

≪測地の工夫≫
 導線法・交会法と合わ甘て,伊能測量の精度維持の柱となっているのが横切り法である。岩場の多い岬の先端など,いかに努力しても正しく測るのは難しい。そのときは,岬の付け根部分で測りやすい横切りルートを測って,岬の測定誤差が全体に影響しないようにした。
 横切り法は全体的な地形確認にも用いられた。伊能日本図をみると,四国は海岸を1周して測っているが,縦に1本だけ縦断する側線が入っている。これが横切り側線である。分遣隊を土佐から国境まで北上させ,反対側は川之江から同じ分遣隊を南下させて連結した。沿岸を廻って測進した位置よりも横切り線の方が一般的には精度が高い。これによって沿岸測量の精度をチェックしたのである。
 このとき,必ず誤差が出たはずであるが,その処理について記録がないのは残念である。
 中国地方に至っては,沿岸のほかに内陸部を縦横に側線が走っており,忠敬は念には念を入れている。全国図をまとめる際に中国地方を基準にしたといわれている。
 測量現場近くの目標を交会法の確認デークとして利用するとともに,遠方の著名目標,たとえば富士山は遠方交会法の目標として,現在地の確認によく使われている。
 富士は各地から見えるので,街道と沿海を測量しながら富士の方位を執拗に測っており,位置は確定していた。逆に富士が見通せれば導線法の結果の確認ができた。測量日記に,「犬吠埼で富士を測りたくて,曇天の晴れるのを何日も持って漸く測り,嬉しかった」と記している。犬吠崎の位置を確定したかったのであろう。
 各地から富士を測った結果が40本近く伊能中図には記されている。実際にはさらに多数の地点から測られたであろうと推測される。
 伊能記念館にいくと,量程車という距離測量用の器具がある。引いて歩けば,直線距離を車輪に連動する歯車で回転数に直して表示する器具である。アイデアとしては面白い。しかしながら,実用にあたっては,平坦地で固い道路でなければ使い難いなど,沿岸測量の多かった伊能測量では出番があまりなかった。城下など縄を張るのがはばかられる地域に用いられたという。
 沿岸・島嶼などで鉄鎖が使い難いところでは縄が使われた。縄の材質は,鯨のヒレが一番よかったという。
 伊豆七島・御蔵島の測量では,沿岸を測るため,人が泳いで縄を引いた。三陸,伊豆半島などでも海中を船で引き縄がされている。
 地域によっては,境界争いになっている場所もあった。このようなところでは,代官が念書を出してこの杭は後日の証拠にはしないと約束したり,人足だけ出させて,村役人は来ないよう指示したりして苦労をしている。
 伊能測量では,このほかに天文観測による経緯度の測定が試みられ,特長ともなっているが,項を分けることとする。】

写真の出典(番号は写真番号)
  1. 「伊能忠敬の全国測量」(渡辺一郎編著、伊能忠敬研究会発行、2009年4月1日発行)20ページより引用
  2. 国土地理院(地図と測量の科学館)2010企画展「古地図コレクション~江戸・明治時代を探訪~」展示物。筆者撮影(2010年4月16日)
  3. 同上
  4. 同上
  5. 同上
  6. 「伊能忠敬の全国測量」(渡辺一郎編著、伊能忠敬研究会発行、2009年4月1日発行)20ページより引用
  7. 「完全復元伊能図全国巡回フロア展」水戸会場展示の説明パネルより。筆者撮影(2010年6月19日)
  8. 「伊能忠敬の全国測量」(渡辺一郎編著、伊能忠敬研究会発行、2009年4月1日発行)17ページより引用
  9. 同上21ページより引用
  10. 同上
  11. 国土地理院(地図と測量の科学館)2010企画展「古地図コレクション~江戸・明治時代を探訪~」展示物。筆者撮影(2010年4月16日)
  12. 同上
  13. 同上
  14. 「伊能忠敬の全国測量」(渡辺一郎編著、伊能忠敬研究会発行、2009年4月1日発行)21ページより引用

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