旧岡堰

写真の堰は、関東三大堰の一つ、「岡堰」の在りし日の姿です。というのは、今はもうこの堰は無く、少し下流に新しい堰が稼動しているからです。

ここは、茨城県北相馬郡藤代町岡です。
この堰の初代は、関東の治水や開発に大きな足跡を残した関東郡代伊奈忠治が築きました。
忠治が茨城県南地方の開発を開始した寛永年間(17世紀)、この地方は、小貝川と鬼怒川が合流して低地に入り込んで沼地となっていました。忠治は、ここを干拓するにあたって、まず、小貝川と鬼怒川の流路を分離し、別な地点で利根川に合流する様にしました。その過程で次々に建設したのが、関東三大堰(小貝川三大堰)で、谷和原村の福岡堰、利根町の豊田堰と藤代町のこの岡堰です。写真の岡堰はそれまでに完成していた可動堰に加え、固定堰も完成した昭和
35年から昨年取り壊されるまで活動していたものです。
堰とは、「土木用語大辞典」(土木学会:
19992月)によれば、

《河川や水路に横断して設置される構造物で、堤防の機能がないものの総称。広義にはダム(堰堤)を含むものと考えられる。堰の本来の定義は、「河川や水路の底に接する様に横断して設置して流れをせき止め、堰より上流側の水深を高くするためのもの」というものであり、一般にはこれにゲート部分等のある可動堰を含んだものを堰とし、ダム(固定部の天端までの高さが15m以上)や水門、樋門(河川を横断して設けるが堤防の機能がある)は除外する》

とあります。
堰といえば、
1995年に運用を開始した長良川河口堰問題、19988月に建設撤回した矢作川河口堰、また、建設大臣が「住民投票が実現し、建設反対が過半数となったら、建設を直ちに中止する」と述べ(1999427日読売新聞)、その後6月に徳島県徳島市で住民投票条例が可決され、行方が注目されている吉野川可動堰問題などが思い浮かびます。
歴史に残る公共事業の、残り方を考える時期に、日本は差し掛かっているとの感を強くします。
なお、ホームページの開設時にその巻頭を飾った桜の写真は、この岡堰にある島状の水神神社に咲いていたものです。堰がなくなった今でも、桜は見事に咲いていました。

 

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