日本水準原点(一般公開見学記)

日本の土地の高低を表すための基準点が、東京都千代田区永田町1-1にあることをご存知でしょうか。

土地のある地点が、地球上のどの位置にあるかを表すために、経緯度が定められていて、現在では世界測地系という基準で地球全体が表されています。それに比べて少しローカルな、日本の土地の高さの基準は、東京湾の平均海面からの高さによって表します。
しかし、平均海面では具体的使用に具合が良くないので、その高さ(標高0m)と関係付けられた基準点があります。それが、日本水準原点です。

上記の住所は、国会議事堂の近く「憲政記念館」の構内で、誰でも自由に行くことができます。写真1のような立派な建物があり、その中におさめられているのです。

日本水準原点
写真1 日本水準原点

写真1は、晴れた日に訪問して撮影したものですが、こうした通常の日には、水準原点そのものは見ることができません。水準原点標を公開するのは年に一度、測量の日(6月3日)近くの一般公開日を待たねばなりません。今年(2009年)は5月29日(金)に行われましたので、行ってきました。今回はその記録です。従って、日本水準原点の詳しい説明は、これを管理している国土地理院のこちらのページをご覧ください。

当日はあいにく雨でしたが、発表によると「雨天決行」とありましたので、開始の10:00前に着くように行きました。最寄りの駅は東京メトロ「桜田門」ですが、この日はJR東日本「有楽町」から、日比谷公園の中を抜けて歩いてみました。雨の東京を20分も歩くのは初めての経験でした。

国土交通省 国会議事堂と憲政記念館の時計塔 準備中の国土地理院のみなさん
写真2 国土交通省 写真3 国会議事堂と憲政記念館の時計塔 写真4 準備中の国土地理院のみなさん

写真2は、国土交通省」で、この前から国会議事堂方面を見たのが写真2です。この日も大勢の修学旅行の中学生の乗ったバスがいました。しかし、日本水準原点は素通りのようです。すこしさびしいですね。あいにくの雨なので、国土地理院の方々は、雨合羽を着てテントを張ったりしています。

普段閉まっている扉 公開時(中央白い長方形が水準原点) 水準原点
写真5 普段閉まっている扉 写真6 公開時(中央白い長方形が水準原点) 写真7 水準原点

この建物そのものも重要なもので、東京都指定有形文化財(建造物)に指定(平成8年3月18日)されています。※(注:写真11の部分に文化財の説明あり)
普段は写真5のように閉まっています。公開日であるこの日は、写真6のように開けられていました。中央灰色の大きな四角が、水準原点基礎図(サイズが大きいです)の「舟形台石」です。そのまた中央の白い長方形が目盛を刻んだ水準原点です。これは山梨県産の水晶がはめ込まれているのだそうです。
写真7がその拡大ですが、残念ながら目盛ははっきり映りませんでした。中央かすかに横に赤い線があり、それが標高24.4140mの線です。実は、建設当時の標高は、24.5000mであったのですが、1923年(大正12年)の関東大地震による地殻変動で、今のような値となったのです。

追記
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震によって、日本水準原点も影響を受け、それまでの東京湾平均海面上24.4140mという値から、同年10月21日に、東京湾平均海面上24.3900mと改定された

これらについては、「水晶目盛板には一ミリ置きに赤い目盛りが上下一〇センチずつふられている。数字はレベル(水準器)でのぞいたことを考え、さかさまに描かれている。石と水晶板との間には水分がしみ込み、部分的に汚れているが、今まで一度も掃除をしたことがないという。はずして原点がズレることを心配しての配慮である。現在でも年一回、油壺験潮所と日本水準原点との間を水準測量によって高さが点検されている。」という紹介記事があります(社団法人日本土木工業協会機関紙「CE建設業界」2008年3月号)。

記名刻印 建物銘 「大日本帝国」銘
写真8 記名刻印 写真9 建物銘 写真10 「大日本帝国」銘

「舟形台石」の反対側には、写真8のような文字が彫ってあります。これについて面白い考え方が伝わっていると説明の方が話をしてくれました。明治24年5月に完成したから。標高24.5000mとしたのだというのです。
調べてみると、国土地理院広報の476号に、それと同じことを紹介した記事(「日本水準原点を設計した佐立七次郎」)がありました。この記事には、「標庫」を設計した技師のことも詳しく載っていますので一度お読みください。

写真9は、その「標庫」に掲げられた銘版です。「水準原点」とあります。そのまた上、軒先に当たる個所には(写真10)「大日本帝国」と彫ってあります。

標庫全景 一等水準点1 一等水準点2
写真11 標庫全景 写真12 一等水準点1 写真13 一等水準点2

改めて標庫の全景を見てみます(写真11)。写真1をもう一度よく見ると、中央の説明石碑とは別に右寄りに看板があります。これには以下のような説明があります。土木とは異なりますが、参考のため引用します。

【東京都指定有形文化財(建造物) 日本水準原点標庫 所在地 千代田区永田町一丁目一番国会前庭洋式庭園内 指定平成八年三月十八日 日本全国の統一された標高決定のための基準として、明治二十四年(一八九一)五月に水準原点が創設されたが、この建物はその水準原点標を保護するために建築されたものである。設計者は工部大学校第一期生の佐立七次郎(一八五六〜一九二二)。建物は石造りで平屋建。建築面積は一四・九三uで、軒高三・七五m、総高四・三m。正面のプロポーションは柱廊とその上部のエンタープラチュア(帯状部)とペディメント(三角妻壁)のレリーフの装飾で特徴づけられる。日本原点標庫は石造による小規模な作品であるが、ローマ風神殿建築に倣い、トスカーナ式オーダー(配列形式)をもつ本格的な模範建築で、明治期の数少ない近代洋風建築として建築史上貴重である。平成九年三月三十一日 建設 東京都教育委員会 ■この日本水準原点標庫は、千代田区特別登録有形文化財(建造物)として登録されています。】

この日本水準原点の周囲には、写真12のように一等水準点が何個か設置されています。そのうちの一つの蓋です。中央に「丙」とあります。甲乙丙の丙です。通常はこの一等水準点を使用し、また、水準原点のチェックにも用いるようです。

さて、なぜこの地に日本水準原点が設置されたのでしょうか。
測量や地図に関することは、今では国土交通省国土地理院が中心となっています。このシリーズでも、つくば市にある同所付属の「地図と測量の科学館」を紹介したことがあります。
しかし、明治時代は、こうした仕事は軍の仕事で、参謀本部の中にそうした部署、陸地測量部があったのです。そして、今でこそ国会議事堂前庭として公園になっていますが、ここにその参謀本部と陸地測量部がありました。場所を選んだというより、身近で管理のしやすいところに選定したのでしょう。

この日、私のいた時はほかに3人の方が見学に見えていました。国土地理院の方々には雨の中を準備し、丁寧に応対していただき感謝します。ここは、その存在を知っていて、外からは何回か見たものの、内部を見るのは生まれて初めての経験でした。11:30頃までいましたが、そのあとは何人の方が見えたのでしょうか。
今度は日本経緯度原点を見に行くつもりでいます。

写真14 裏手階段より望む


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