土 木 語 典 

 「古ヘ、イエル事アリ、語典ニ渡ラサルハ、智者ノ所談ニ非スト」(塩山和泥合水集)
土木の語源の議論 
 さて、「土木語典」の第2回は、第一回に引き続き「土木」について、です。

 前回「土木」という名称の由来について、「淮南子(えなんじ)」の「築土構木(ちくどこうぼく)」からとられたという説について、この語がどうも土木というより建築をも同時に表すことから、なぜ出典とされたのかどうも確固とした理由がわからないことを述べました。また、スケールの大きさも実際の土木世界とは不釣り合いなほど「狭い」概念だという感想も述べました。

 今回は、ちょっと違う角度から「土木」という名称について考えます。

 筆者がまだ某ゼネコンでの現場員であった1980年代の頃、建設業界が典型的な3K職場であったことの影響などで土木のイメージが低下し、大学や高校の土木工学科の受験者数が減少したことで(優秀な)学生が確保できなくなってきていると言われる社会状況が発生しました。また、マスコミの報道などでも犯罪被疑者の肩書きに(無理に肩書きを付けることはないと思うのですが)「土木作業員」とすることも行われていたこともイメージの点ではマイナスであると言われました。今考えると非常に短絡的であると思えるのですが、そのためなだれをうって学科名改称がはかられました。改称は、都市、社会、環境などが主なもので、中にはデザインと称する学科も出来ました。例えば「都市環境学科」「都市デザイン工学科」などです。

 このとき、単に土木の名称を無くすだけでなく、土木工学を構成する構造力学や鉄筋コンクリート工学など、基礎科目部分では建築(学)と共通部分(厳密には少し異なる)もあることから、土木工学と建築学を一まとめにした学科に改組し、応用部分ではコース別にするということも行われました。図らずも筆者が先年まで非常勤講師をしていた専門学校の学科名は、当初は「土木学科」でしたがその後変更され「建築環境学科」となり、土木は「建築土木施工コース」でした。

 このときは、「土木」という文字(漢字)からうけるイメージというより、土木の仕事が3K(きつい、きたない、きけん)であることが広く社会的に知れ渡っていて、そのイメージがが悪いという論議が先行し、漢字を換えただけで、改称後も英訳はCivil engineeringが概ね含まれていました。そのため、Civil engineeringの新しい訳語を探るという方向の動きはほとんど行われませんでした。また、そのためか2000年代になると、やはり「土木」を換えるわけには行かないという理由で、「土木工学科」名称が復活してきます。中には「環境土木工学科」など、少しだけ教訓を含んだ名称にした大学もあります。

 先に「新しい訳語を探るという方向の動きはほとんど行われませんでした。」と書きましたが、よく調べるとじつはそうでもなかったようです。
1987年に土木学会企画調整委員会において「土木改名に関する調査・検討専門部会」が設けられ、同年、北海道大学で開催された全国大会において、「研究討論会」のひとつとして「企画調整委員会」がもうけられテーマが「土木改名論を考える」とされています。「土木学会誌」(当時は現在のように「學會」ではなかった)1987(昭和62)年12月号の「昭和62年度全国大会経過報告」には次のようにあります。「特に「土木改名論を考える」の討論会においては事前に新聞報道されたこともあって、参加希望者が廊下・ロビーにまであふれるほどの盛況であり関心の高さを示した。討論内容についても朝日、毎日などの各新聞に大きく報道された。」実際、本報告の表-7 研究討論会の概要 によれば、参加人数は310人で、2位の「コンクリート構造物の維持管理」186人を大きく引き離しています。

 では、そこで何が討論されたのでしょうか。同号の「研究討論会⑥「土木改名論を考える」」(p.24)を見てみます。

 フロアーからの発言を多くするため、話題提供者は東京大学の西野文夫教授と京都大学の天野光三教授の2名となっていました。

 「西野教授は、現在の土木技術者が河川工学とか道路工学というように細分化した名称を用いていることに示されるように、土木という語は実態を表現し得ていないこと、内舎が分からないことと一般のイメージが悪いことから優秀な若者がこの分野に進学しないこと、さらにこれに関連して学校で学科の名称変更を考慮中のものが多く、早いうちに統一的な名称を決めないと現在の土木工学科がさまざまの異なった名称となるおそれがあること、などの問題点を解決するために早急に土木の名称を変更すぺきことを強調した。
 天野教授は、大正のころから間欠的に学会誌上で開陳された土木改名論を経年的に説明し、この工学の内容を正確に表現し得ていないこととイメージの点からのこれらの議論が適当な名称が見当たらないことから決着していないこと、さらに土木という語は単に土と木を意味するものではなく、古代中国の文化に由来して森羅万象を表現する深淵な語であることを詳細に説明し、改名に対しては慎重であるべきことを強調した。」

 フロアーからもいろいろな意見が出はしましたが、結局のところ改名論も非改名論も結論には至りませんでした。

 引用ばかりになりますが、重要なことなので続けます。「最後に天野教授は、ふさわしい良い名称を見つけるのは困難のように思われること、今のわれわれがなし得ることは、土木工学の内容と体質を変え授業内容を更新し広報活勣によってイメージ改善を図ることであるとし、土木学会は自由に意見を表明できる学会であることが示されたこと、改名論が会員自体で土木の在り方を考える上でのショック療法となったことに本討論会の意義があったと述べた。この天野教授の発言が、総括であったと思われる。」このように結ばれています。

 また、改名論、非改名論とは少し方向が異なりますが、天野教授の意見中「土木という語は単に土と木を意味するものではなく、古代中国の文化に由来して森羅万象を表現する深淵な語である」という説明には、ちょっと違和感があります。これは、前回考えた「淮南子」の「築土構木」の説明よりかなり大きな意味を持つことになります。何に由来するのかは示されていませんが。

 もう少し遡ってみると、昭和34(1959)年の「土木学会誌」では真田秀吉(第21代土木学会長)氏は「土木という語」(p.27)で、「土木と云う語は如何にも蛮的で、土方を聯想して、下品であるから、他に適当の名称なきやとはと廔々聞く所である」と記しています。

 全く正反対の論ではないでしょうか。もっとも同じ論考の結語に真田は「舟や車や農具等の外は、皆土地に定着する工作物であり、国土開発の基本をなすものであり、近来大規模に自然を改造して、山を平地にしたり、水流を変へたり、トンネルで山道を平夷にする等を行ふに至ったから、土木の字は中々良き字であって、ウッカリ変へられぬ気持もするのである。」(「原文のまま掲載しました。」と註があります。)としています。

 ここまで長々とご紹介したのを振り返ると、面白いことに、どこにも「築土構木」は出てきません。「土木」という語は「如何にも蛮的で、土方を聯想して、下品である」が適当な解釈なのか「古代中国の文化に由来して森羅万象を表現する深淵な語である」のが適切なのか、決着が付きません。

 一層遡ってみると、なんと「土木學會誌」第一巻第二号大正4(1915)年4月号に「談論「土木」是非」(pp.653-656)という論考があることが分かりました。土木学会創立が1914年ですから、2年目にして早くも「土木」の名称が論じられています。以下は私の訳(?)です。

【『土木』是非 工學士 佐藤四郎

土木という名称はその意義や字義において自分の学術的な解釈あるいは世俗的な解釈と同一であろうか。もし同一でなければ、孰(いずれ)が真意義を表すのであろうかという論議に対して自分はすこぶる疑義を持っている。土木という称呼は、音調、語呂においてもやや流ちょう、円滑に欠けるのではないか。詰屈聱牙(きっくつこうが:字句が堅苦しくて難解)なのではないか。「土」も「木」も、各文字とも聊(いささか)高尚な意義には遠いのではないか。これらが議論を試みんとする理由である。
わが国文明の最初の輸出者である中国においてはどのように土木という語を使用したのだろうか。これを工事や建築の意味に用いたより、むしろこれを「醜悪」や「汚穢」の形容詞として使用することが多かったといえる。晋書(しんじょ:中国晋朝(西晋・東晋)について書かれた歴史書)では、「形骸を土木にし自ら藻飾せず」とあり、「形骸を土木にす」とは、「その外貌を修飾しないで甚だ見苦しい」という意味である。また周書(しゅうしょ:中国西魏、北周両朝の歴史を記録した正史)には「才具なき人を嘲って土牛木馬という」とあり、これは「才能と器量の無い人を笑って土や木で造った牛馬といった」という意味の謗りである。(以下略)】

 つまり、「土木」という語は「下品」である、従って、という意見です。土木学会創設の頃からこうした意見があるにも関わらず現代まで変更されないのは、ひとえに土木に替わる語がないという理由であることが分かります。

 しかし考えてみると、現代において「土木」はイメージが悪いという事の背景には、これまで紹介した議論のような「土木」という語の意義に関わるのではなく、「3K職場」があったので、その点は改善されたのでしょうか。
 残念ながら、働き方改革が声高に叫ばれる現在でも、若年者の入職意識で建設業とくに土木分野が敬遠されるのは、基本的に野外の仕事であること、ひとつの現場が終わった後新しい現場がどこか事前には決してわからないことなどが理由で、これは土木にとっての宿命みたいなものです。従って、名称をどのように変えようと、本質的には何ら変わっていかないように見えます。


2022.04.28

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