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技術士のひとりごと2006

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2006年12月20日

 最近、ある民間放送のテレビ番組を予約録画することがあって気がついたのですが、時刻表現(時法)が次のようになっていました。
         ○月○日(○)25:30。
 ドラマのタイトルなどでは、こうした表記が使われることはありますが、マスコミで使われていることは知りませんでした。新聞などは、たとえば今日の日付の番組表でも明日の午前(深夜)も一緒に載っていますが「3:30」のような表記です。
 何かの間違いかと思い、いくつかのテレビ局のホームページを調べてみました。NHKでは「午前0:40」というような標記になっていました。サイト内全部を調べたわけではありませんが、番組表だけを見ていくと、在京でキー局といわれる日本テレビ、TBS、テレビ東京は0時がなく26:00などの表記となっています。
 フジテレビ、テレビ朝日はNHKと同じ24時制です。
 前者では番組がいったん終わるところまでは、表記の数字を連続していくようです。つまり、今日の26:00の番組を録画予約するには明日の2:00にあわせなければならないわけで、なんともややこしいこととなっています。深夜族(古い!!)にとってはなんでもないのかもしれません。

 ついでに、少しネット上を探検してみました。
 一日は24時間ですから、普通はそれを午前と午後に分けて表示しますが、調べてみるとなんと、1872(明治5)年の旧暦11月9日に太政官達第337号というものがあり、それで午前を12に別け午後を12に別けることが決められたようです。
 これによると、午前は「零時」から「12時」まで、午後は「1時」から「12時」までとなり、この達(たっし:このころはまだ「おたっし」だった!)の通りに表記すると、昼の12時は「午前12時」、夜中の12時は「午前0時」または「午後12時」になりますが、「午前12時」「午後12時」が昼を指すのか夜を指すのか分かりにくくなってしまうということがおきます。さらにここでは「午後0時」という時刻はなくなってしまいます。
 あまりなんだというわけかどうか、1942(昭和17)年10月11日、日本鉄道省は時刻表示に「24時間制」を導入したとのことです。私はてっきり軍事用語かと思っていましたが、公式には鉄道や航空などから始まっているようです。
 もう少し調べると、この頃は「24:00」と表記されていたのが、1965年に「0:00」になったといいます。現在、先のNHKなども「0:00」となっています。私は午前、午後という表記はほとんどせずに、24時制で文章を表記してきましたが、今となってはなぜそのようにしたかが思い出せません。まあ、すこしだけわかりやすいと感じていたようです。果たして、どちらのほうが世の中の標準なのでしょうか。(ここで調べたというのはインターネット上でのことで、確固とした原典に当たったわけではありませんのであしからず)




2006年12月12日

 技術士二次試験の口頭試問が行われている中、私の知り合い受験者からその内容を知らせてもらいました。
 それによると、「今後、優秀な技術者が不足する時代が来ると思われますが、どのように対応していけばよいか考えを教えてください」との質問が出たとのことです。

 最近、技術士受験者の年齢が低下して、必要経験を満たすとすぐに受験するようになってきたといいます。このコラムでCEからPEへの移行については何度も書きましたが、制度的にその狙いは達成されつつあるように感じます。そうした若い方は、この質問にどのように答えるのでしょうか。私に教えてくれた方は、中堅で部下もおられるのですが、経験4年しかもそのうち院2年などという方は、もしかしたら部下がおられない場合もあるかもしれません。
 技術士の要件に「指導の業務」ということもあるので、あるいはこの要件はそのうちはずされるかもしれないとも思います。そうなったときは技術士が本当に変わるときではないかと思いますが。「優秀な技術者が不足する」だけでなく「技術者が不足する」時代が、もうそこまで来ているように感じます。
 これもこのコラムで何度も書きましたが、技術の継承は、何も部下に対してだけではないので、現在(土木)技術者である者が行っている事を見て、将来の技術者希望者がこの世界に入ってくるのだと思います。その意味で、この質問は、もしかすると部下に対する指導というよりは、(土木)技術者が社会に対して何を発信していけばよいかの考えを問うものであったのかもしれません。まあ、その中には当然部下に対する指導という場面も含みますから、あるいは私の考えすぎかもしれませんが。
 
 しかしながら、漠然とした思いでは、現今の技術者教育は、もっと年齢の下の、中学生段階から行わなければならないと感じています。データの改ざん、談合への関与(と、それを自分の所属する組織が行っているにもかかわらず、その部分から遠いところにいるとして関心を持たない)など、おそらくは技術者が絡んだなんとも言いようのない事件が多すぎるように感じます。データを大事にしないのは、これはもう技術者とはいえません。もう、現在技術者である者に期待することは少なく、これから技術者になろうとする人に期待しなければならない時期であると思います。そのためには、現在技術者である者は何ができるかを考えていかないといけないと(漠然と)思います。
 なんだか寂しい話題になってしまいました。科学はこの世界を明らかにすることで、技術はこの世界に役に立つことをすることであるという原点で、何かできないかと考えています。それはもう言い古されていますが「人づくり」でしょう。では、翻って私は何をするか、ただいま模索中ですが、少しだけ具体化してきました。結果はこのコラムで出次第お知らせします。
 
 最後に、ひょんなことからわかったのですが、この知り合いの面接者は私のこれまた古い知り合いでした。さきの質問がこの方から出たのかどうか(面接者は複数)はわかりませんが、優しい方ですから、きっと自分で常日頃考えていることが口をついて出たのではないかと思います。
 こんなこともあります。世界は広いようで狭い、だから面白いのでしょう。








2006年11月27日

 今週の末から技術士2次試験口頭試験が始まります。制度の変わり目なので、筆記試験に合格された方は、ぜひとも合格してほしいと思いますが、口答試験というのは100人いれば100通りの質問があるので、やはり何人かは涙を呑まれるのかなと思います。残念ですが、これは試験なので仕方がありません。
 
 受験指導に少しかかわっているものとして、今年の筆記試験建設部門合格発表を見ていて、トンネル科目の人数の少ないことが目に付きました。統計を調べてみると、別に今年だけの現象ではないようでした。

 今年の建設部門の合格者数の科目別内訳はグラフ(1)の通りです。建設環境がずいぶんと多いのが目に付きます。


グラフ(1)平成18年度技術士2次試験建設部門筆記試験合格者

推移を見てみると、トンネル科目合格者の推移はグラフ(2)の通りです。

グラフ(2)技術士2次試験建設部門トンネル科目合格者

 平成14年度をピークに一気に少なくなり、ほぼ横ばいですが、今年度の数値は筆記合格者なので、上向くことはない状態です。

 人数だけでは傾向はわかりませんので、建設部門合格者との比率もグラフ化してみました。15年度の合格者数は少ないのに割合の多いことに気がつきます。この年は、受験者合格者とも極端に少なかった年です。

グラフ(3)技術士2次試験建設部門トンネル科目合格者の建設部門全合格者に占める割合

 グラフ(3)でわかるように、建設部門合格者に占めるトンネル科目合格者は減り続けているようです。ダムという科目がないので、施工計画などで受験されるダム技術者がおられるように、あるいはトンネル技術者も施工計画での受験をされているのではないかとも考えられます。何しろ、トンネル技術者の働く場所であるトンネルの数が減っています。
 日本トンネル技術協会の資料でも、1994年ごろから、請負額、工区数とも右肩下がりのグラフとなっています。逆に海外の手持ち請負高は右肩上がりですから、これからのトンネル技術者は海外での仕事が主要舞台になっていくのかなと思います。(ダムはどうなのでしょうか)

 何はともあれ、技術士の科目は部門と違って単に専門をあらわすだけで、それほど大きな意味はないことをもう一度確認したほうがよいのではないかと、最近考えています。技術士の技術部門がその専門性をあらわすので、建設部門であれば、建設の他の部分は知らなくてもよいということではありません。若い人の受験指導をすると、専門性を科目と考えて、科目だけに意識を取られている方にお目にかかります。建設一般が苦手だと公言される方もいます。もちろん建設の範囲は恐ろしく広いので、すべてに精通することなどは出来ませんが、少なくとも技術士の専門は学者の専門とは違う範疇にあるのだということを考えておきましょう。先に口頭試験では何人かは涙を呑まれるのかなと書きましたが、それは決まっていることではなく、例年100%合格する科目も(少数ですが)あるのです。どうか、トンネル科目の方が100%口頭試験を突破されることを祈念します。がんばってください。建設環境科目も同様です。私が両科目を保持しているためと、最初に取得した科目がトンネルであるために、身びいき応援をしていますが、ひいきの引き倒しにならないよう自重します)






2006年11月14日

 少しご無沙汰してしまいました。

 1週間前になりますが、日経BP社の「建設フォーラム2006=日本のクオリティ=」(2006年11月7日)に参加してきました。
 文化功労者の黒川紀章氏と「失敗学」の畑村洋太郎先生がそれぞれ基調講演と特別講演をされました。いくつかセッションのある中で、私は「都市再生/防災セッション」に参加しました。
 全体的に今年は建築分野が主体でしたから、私にとってはあまり目を引くテーマはなかったのですが、最後に行われた畑村洋太郎先生の「失敗学から見た建築設計」と題する特別講演はかなりいろいろな意味で参考になりました。
 
 まず、外形的なことから。
 私もパワーポイントを使用しての話を時々しますが、1時間の講演に70枚を超える画面を用意されて、機関銃のように言葉を発し、しかもよくわかる表現力には圧倒されました。しかも、ほかの講師の方のように時間をオーバーすることなく終わられました。
 また、私も写真や図を多用しますが、その出典明記には気を使っていますので気がついたのですが、先生の写真にはコピーライトの文字が入れてありました。図もご自分で描かれたものばかりでした。(後で先生の最新著書「技術の創造と設計」(岩波書店2006年11月8日第一版)を読むと、この画面の画がたくさんあり、先生の手描きを秘書の方が清書されたことが判明しました)
 
 外形的なことはこれくらいにして、次は内容です。
 自動回転ドア事故の調査をされた「ドアプロジェクト」のお話から、「ハインリッヒの法則」類似のことはここでも成り立っていて、しかも死亡事故1件までには32件の顕在化した事故があったと、数値までが似通っていたという事実には少し驚きました。(ご承知のように、「ハインリッヒの法則」は1:29:300の法則ですが、回転ドア事故は1:32だそうで、これから推定すると顕在化しないヒヤリハットも1年で300件以上あったと考えられます)
 また、なぜこうしたことがおきてしまうのかの分析も、先生が多くの著書で語っておられるように「見たくないものは見えない」、「失敗は立体的に見なければならない」と、非常に説得力のある説明がありました。
 警察の原因分析は事故の責任の所在を突き止めるためのもので、決して失敗から学んで次に活かすためのものではない、失敗から学ぶためには原因追求と責任追及を分離しよう、というお話も納得でした。
 
 私のような仕事をしている者にとって非常に参考になったのは、お話の中で少ししか触れられませんでしたが(何しろ1枚1分)、マニュアルについてのことです。
 今のマニュアルには、成功への1本道しか書いてない、事例集にもこうしてはいけないしか書いていない。本当に役に立つには、どこにどのような危険があってそれはどうすれば回避できるかを書いておかなければならない、とのことです。
 手前味噌で言えば、私も土木の施工計画書作成に当たっては、完成への一本道だけでなく、このようにしますが、もしうまくいかなかった場合はこうした対策をとります、とまで書かなければ「計画書」ではないといつも言っていますが、百万人の味方を得た気持ちです。

 このように、畑村先生の「失敗学」は、技術者に限らず社会に何らかの接点を持つためには必読の書であると思います。演題にある建築に関しては、阪神大震災の復興に高層マンションを建てたのは果たして正解か、エレベータ事故のことを想定していたのか、建築では意匠の優位性が言われているが構造の面からもっと検討すべきではないかという2点に触れられたのが印象に残りました。文化功労者の方の建築思想は、私が文化的でないらしくよくわかりませんでした。

 




2006年10月26日

 8月18日の本欄でも同じ問題に少し触れました(このときは日本経済新聞の記事についてでした)が、10月25日の毎日新聞ネットニュース(Yahooニュース 毎日新聞 - 10月25日17時10分更新)によれば、「大学工学部 志望者10年で半減 来春大急ぎで組織改変へ」という状況だそうです。
 この記事に付属していたグラフを引用します。私たち技術者にとっては、かなりショッキングなグラフです。



学部志願者の推移(毎日新聞ネットニュース10月25日)

 この記事によると【工学部の不人気の理由としては、(1)資格取得に直接結び付かない(2)学問の内容が多岐にわたり、高校側が進路指導しにくいなどが考えられるという。】とあります。
 また、ある大学の工学部長は【「ただの工学部というだけでは、何を学ぶのか分かりにくかった。中高校生は理系に興味はあるが、志願者に結びつかないのはそんな側面もあったのでは」という】。さらにある受験予備校の【育研究部チーフは「受験生は就職を考えて医療系学部に集まるが、資格を持っている人が多ければ就職に結び付かない恐れもある。科学技術を背負うのは工学系なので、受験生も広い視野で進路を選択してほしい」と話している】とのコメントもあります。

 では、どのような対策を採ろうとしているのかというと、【関西大(大阪府吹田市)は工学部の募集を停止し、「システム理工」「環境都市工」「化学生命工」の3学部に再編する】【早稲田大も96年続いた理工学部を「基幹理工」「創造理工」「先進理工」の3学部に再編。大学院も併設し一貫教育を強調する】【東京電機大は、これまで工学部に入っていた建築や情報の学科を集めて「未来科学部」を新設】【武蔵工業大(世田谷区)は従来の工学部に加え新たに「知識工学部」を設けて情報関連に特化した教育を目指し、上智大(新宿区)も08年度理工学部を再編する予定だ】そうです。

 一昔前、学生が集まらない理由をまさにこのように【人気】ととらえて私の母校の土木工学科という名称がなくなりました。今では、全国の大学にどれだけ「土木」が残っているのでしょうか。当然これは名称はもちろん、大学だけの問題ではなく、まさに「日本の科学技術」が存亡の危機にあるのを表しているのではないでしょうか。とても学部の再編や名称変更などでは乗り切れない危機であると思います。

 原因には多くが考えられるのでしょうが、冥王星問題や環境問題などがこれだけ話題を集めているように見えるし、携帯電話やコンピュータやインターネットはもうなくてはならないものになっているようなのに、その科学や技術に人気がないのはなぜなのでしょうか。
 先に引用したコメントも、何か的外れのような気がします。【ただの工学部】がわかりにくいのは、単に説明してこなかっただけではないでしょうか。また、【就職】だけを考えて学部を選ぶとすれば、教育がそれを後押ししてきた結果なのでしょう。
 【資格】でいえば、相変わらず「技術士」の知名度は低く、いかにJABEE認定理系学部を卒業すれば「技術士」に近づくとはいえ、まったく魅力の感じられない資格であることが考えられます。

 産業界で後継者の不在が話題になっていると同じように、日本人は、日本人の後継者育成をおろそかにしてきたようです。おりしも、教育の再生が政治課題にまでなっていますが、理工系問題も、小学生や幼稚園までさかのぼってやり直さないといけない問題なのではないでしょう。理科の面白実験などで子供たちは理科に目が向くのでしょうか。
 子供たちが今から生きていくこの世を理解するためには科学と技術(自然と社会)が必要なのだという、本質的なところからはじめないといけないと思います。単に教育に競争原理を取り入れろなどという、経営的発想は、その後で十分でしょう。

 いま思いつきましたが、後継者に不足がないのは芸能人と政治家ぐらいしか見当たらないのはなぜでしょうか。企業経営者でも、中小企業は後継者不足に悩んでいます。芸能界や政界には2世3世が多くいますが、科学者や技術者はどのような具合なのか、誰か調べた人はいるのでしょうか。

 今回は引用が大変多くなりました。ネット記事はすぐに消えてしまうのでリンクでは残らないことが多く、こうした方法をとりました。(もっとも新聞の活字になれば残りますが)





2006年10月9日

 日本技術士会の建設部会では、ほぼ隔月ごとに見学会を催し、部会メンバーのボランティアで人脈をたどって興味ある施設などに伺っています。私も、なかなか参加できないのですが、出来るだけ自分の専門や興味のある施設のときは参加するようにしています。
 9月度の見学会は、「日本最大の風力発電システム実証施設」である三菱重工業株式会社横浜製作所金沢工場でした。

 当日はあいにく悪天候で、雨風が強い中でしたが、約35名の熱心な参加者がいました。室内での説明は同社の風力発電営業担当の方でしたが、さすがに私のような風力発電には素人のようなものにもわかりやすい説明でした。この実証施設の概要は
1.定格出力 2400kW
2.翼枚数 3枚
3.ロータ直径 92m
4.ハブ高さ 70m
5.運転開始 2006年1月
というもので、世界初のClassJ(国際設計規格ICE61400-01のClassUAに極値風速70m/sを加えたもの)対応機であるとのことです。

 説明をお聞きした後、風速10mを越える雨の中に全員出て、施設まで約1kmを歩き、全身ずぶぬれになりながら運転中の風車を見ました。このぐらいの風がちょうど定格出力を得られるので、関係者はデータが収集でき喜んでいるであろうという説明がありました。
 あとの質疑応答の中では、いろいろ発電に関する専門的なやり取りがありましたが、私には勉強不足でよくわからないので、写真の紹介のみにしておきます。

 

まず室内での説明を聞きました

巨大な風車がかなりの音を立てて回転しています

翼が風圧でしなっています

現在、風速10.4m、発電量2,140kwです

 私の住まいの近く、つくば市では、回らない風力発電風車が問題になってしまいましたが、風の定常的なヨーロッパと違って、0mから台風の70mまで風速が変わる日本での風力発電は、まだまだ実用化は遠い感じがしました。技術力でいくら大きな発電施設が作れても、基本的には風任せで、風がないから移動させようと言うわけにはいかないところを、どのように切り抜けるか。作るだけの技術から、自然をどう読むかの段階がきているのであろうと思います。



回らない風車

 これは、最近問題になったODAのダム(泥がたまるダム)にもいえることではないかと思いました。
 何はともあれ、ずぶぬれでの見学お疲れ様でした。部会の世話役様、工場の皆様にお礼を申し上げます。貴重な体験でした。




2006年9月18日

いろいろのこと

(1)自宅のある団地の、少し大きな交差点に写真のようなピンがありました。
                           
 
 しばらく前から測量会社の人たちが道路で測量をしている様子があり、こんな区画が整然としている分譲団地で、何を測量しているのか気になっていました。近づいてよく見ると、ピンの頭には「都市再生街区基本調査 国土交通省」とあります。これで思い出しました。市の広報にそのお知らせが載っていました。【「都市再生街区基本調査」に伴う現地踏査。この度、国土交通省の実施する「都市再生街区基本調査」の一環として、独立行政法人「都市再生機構」が公共基準点及び官民境界杭などの状況を調査することになりましたので、お知らせします。都市再生街区基本調査とは、都市部の地籍調査を推進するための基礎的なデータを整備するもので、人口が集中している市街地(人口集中地区)を対象に、3年程度掛けて実施する調査です。】

 国土交通省のホームページを見ると、そのものずばりのページもありました。そこには【特に都市部では土地の権利関係が複雑なため調査が遅れています(進捗率:全国46%、都市部19%(平成16年度末))。このような都市部の地籍整備の状況を改善し、都市開発事業や公共事業の円滑化・迅速化及び安心のできる土地取引の基盤づくりを進めていくことが都市再生を推進する上できわめて重要です。】とありました。「都市再生」といえば小泉内閣のキャッチフレーズですが、イメージとしてはなにか都市の区画整理事業推進のような感じがありました。しかしサイトの内容を読むともっと基本的なところから着手しているようです。要は街区基準点などをGIS整備や公図確定に関するためデータをデジタル化する調査であるようです。世界測地系に私の街も統一されるのです。すでに「Google Earth」では私の家の屋根も見えますが。(関係ない)

(2)今年の一級建築士学科試験はかなりの難関であったようです。10%ほどの合格率です。当然「姉歯事件」を連想します。しかし、国家資格試験で、このようなこと(資格保持者の不祥事のため試験が難しくなったこと)は、過去にあったのでしょうか。技術士の隣接資格であるだけに気になります。特に、裁判で明らかになった動機を信じれば、至極単純なもので、その単純さが、これだけ大きな、いわば大地震が仮想的に起き、マンションが実際に崩壊(人為的取り壊し)したような重大さを招くまでに至ったとは、少し信じられないような話ですが。

(3)本日の日本経済新聞に低価格入札が相次ぎ、大手のみならず中堅ゼネコンにまで広がってきたという記事がありました。7〜8月期は落札率が73.8%までダウンしたということです。落札率は「落札率は発注者が見積もった予定価格に対し、落札価格の水準を示す」とのことですが、これは本当は何を表しているのでしょうか。電気製品などに「オープン価格」ということがありますが、仮に予定価格が定価であれば、非公表にしてオープン価格にしたらどうなるのでしょうか。以前は公共工事の予定価格は非公表でした。談合して価格をつかんだところがその価格で落札してきたので、談合できないようにという理由で公表が行なわれるようになってきました。ここでまた非公表(もちろん官の情報公開の観点から事後は公表)にしたらどうなるでしょうか。積算能力の無い会社は困るでしょうか。まあ、今日の記事に登場するような会社は困ることは無いでしょうが。





2006年9月9日

 第33回技術士全国大会・創立55周年記念大会が東京(工学院大学、京王プラザホテルほか)で開催されましたので参加しました。
 私は以前「防災特別委員会」の委員であったのですが、事情があって現在はやめています。関心が無くなったわけではなかったので、当日の第4分科会「首都直下地震を迎え撃つ―技術士の役割―」に参加しました。

 首都直下型地震「30年以内の発生確率70%、10年以内の発生確率30%」といわれています。非常に切迫していると思うし、また、参加者もそう感じているようですが、それにしては社会的にはそれほどの切迫感がないようで心配です。私の活動拠点はすこし離れていますが、時々東京に出て地下鉄に乗ったときなど、いまきたらどうするか、など考えてしまいます。
 「防災」といいますが、関心を持つ人たちの間では、もう完全に「減災」にスタンスが移っています。つまり、災害が起きることは防ぎようが無い、いかにしてその規模を小さくするかを考え実行すべきである、ということです。私が「防災特別委員会」にいたとき、技術士会CPD教材として「減災と技術―災害の教訓を活かす」を発行(私が編集担当)しましたが、そのころ(2004年)はまだ、「減災」ということばは一般的ではありませんでした。したがって内容も表題には負けています。改訂版の必要があるのは、委員会内部でも議論されているようです。

 そんな中、中林先生(首都大学東京・教授)の基調講演、パネルディスカッションの中でいくつか印象に残る事項があったので、感想を述べておきたいと思います。

 (1)7月28日の本欄でも書いていますが、帰宅困難者の問題があります。650万人、東京で390万人が該当するといわれています。帰宅地図が売り出されたり、徒歩での帰宅訓練が行なわれたりしています。つまり、被災地(者)をほおって置いて帰ろうとしているのです。自分の家や家族が心配なことはわかりますが、中林先生はこう指摘されました。「直下型地震の発生時、帰宅困難者の住む発生地から20キロ以遠は被害がほとんど予想されない。」
 これは、何を意味しているかといえば、安否の確認(171を確認しておきます)さえ出来れば、歩いて帰れるほどの「元気な人」はその場にとどまって企業のBCPに当たるべきであるということです。過去の災害時のように、助けに来るボランティアを待つのではなく「自助」が必要であるということです。帰宅困難者(被災地に住んでいるのではなく、何らかの仕事をしている)は、そのまま復興当事者になる必要があるということです。
 これは、強制できることではありません。それぞれの家庭と家族の事情があるし、自分の身を守ることが優先されることは当然です。けれども、いま自分は動けるということがわかったとき、何を優先的にするのかが自覚されなければならないと思います。少なくとも、一斉帰宅行動は減らす必要があると考えられます。

 (2)避難所の環境劣悪さは過去の災害でも多く指摘されています。しかし、出来るだけ避難所生活環境を良くするといっても、270万人という規模に、どのように対処するのでしょうか。震災から一ヶ月間の延べ避難所人口は、最大想定で一億人です。想像を絶する規模です。
 仮設住宅48万戸はどこに作るのでしょうか。土地があって建設するだけでも27ヶ月かかると予測されています。これらはもう、今までの災害が参考になる規模を超えています。まったく違った発想での準備が必要なことは明白です。

 (3)企業のBCPが急がれていますが、行政のBCPはどのようになっているのでしょうか。パネリストの方の発言の中に、あるマンションでの話し合いで、行政がすぐ食料を届けてくれるという認識の人がいて驚いたというような意味の指摘がありました。行政で仕事をしている人も被災者になっているということを忘れているようです。
 行政がBCPを急ぐことはもちろんですが、ここでもまた「自助」ということが自覚されなければならないようです。

 以上のように、「自助」「公助」「共助」は、もっと具体的に考えなければならないこと、まず「自助」を自覚しなければならないことを強く感じた3時間でした。






2006年9月4日

 私は技術屋ですが、科学にも趣味がありいろいろ一般向きの本を読んできました。
 ホーキングの宇宙論などは難しくて、読んだそばから忘れてしまいました(活字は読めるが意味はわからない)。その点グールドの「ワンダフル・ライフ=バージェス頁岩と生物進化の物語」(早川書房1993年)などは面白く、一時この手の本を読み漁ったものです。ハルキゲニアオパビニアなど、一度復元図を見ていただきたいと思います。前者は、背中と足が一時逆に考えられていたそうですし、後者には一対で必要充分なはずの眼が5個(奇数!)あるのです。
 この本は今は文庫になっています。歴史にはプレイバックがないという進化論です。なんとなく「進化の法則」などといわれると、法則であるなら何度も繰り返されるだろうと考えてしまう頭に、強烈な一撃です。

 そんなわけで、最近子供たちだけでなく日本人一般の「科学リテラシー」の危機といわれている状況にも関心を持っています。
 古くは(今でも)血液型と性格の問題、つい最近ではマイナスイオンの問題、今ではほぼ否定的決着のついたUFOが異性人の乗り物であるという話題などにも関心が向いています。
 そんな中、科学雑誌、岩波書店の「科学」9月号が、特集「疑似科学の真相/深層をよむ―なぜ信じてしまうのか」という記事を載せたので読んでみました。
 占い(占星術は冥王星の惑星降格をどうするのでしょうか。尤も古くからの占星術には登場しないのかもしれませんが)などは信じない人も多く、特に学校では正式には教えないと思うのですが、驚いたことにとんでもないことがいま学校で教えられていることを知りました。それは「水からの伝言」というのだそうです。
 水に言葉をかけるとその結晶形に影響するというものだそうです。基本的に一般に道徳的とみなされる言葉には樹枝状結晶を作り、道徳的でない言葉ではそうはならないということだそうです。

 問題は、これが小学校の道徳の時間に「水は言葉に影響を受ける。実験で確認された。人体は大部分が水だから良い言葉を使いましょう」として教えられているというのです。学校の道徳の先生に「科学リテラシー」が無いとしても、なぜ水が言葉を、それも日本語を解するのか、どのように考えたら信じられるのでしょうか。しかも、実験で確認されたなどと、権威付けまで付け加えています。
 これを広めた人は「東京学芸大学社会科卒業。東京都大田区立小学校の教師をしながら、NHK「クイズ面白ゼミナール」教科書問題作成委員、千葉大学非常勤講師、上海師範大学客員教授なども務めてきた。現在教師を退職(略)。著作多数。」という人のようです(ウィキペディア:インターネット上のフリー百科事典:による)これは、道徳の時間だから良いという問題ではないと思います。良い言葉を使いなさいという指導に、こうした人類の資産である「科学」をまったく無視したことを根拠にしていてよいものでしょうか。
 
 血液型性格論でもそうですが、必ず反論が来ます。科学は万能ではない、科学にわからないことはたくさんある、それが間違いだということを証明してみろ等々。それは、反論ではありません。証明は、そのように主張する人がしなければならないのはもちろんですが、多くの人は(科学者も)科学は万能だとか、科学にわからないことは無いなどといってはいないのです。それよりも無生物が言語を解するというほうがおかしいと言っているのです。
 思うに、これが「道徳」の時間で教えられているから、一般にはあまり話題にならないのだと思います。生物や、化学や、物理の時間に、このようなことは教えられていないことを望みます。
 先に、主唱者の学歴を見ましたが、「最高学府(死語か!)」を出ていてもこのようなのですから、やはり日本人の「科学リテラシー」は危機的状況にあるようです。ただし、教育現場ではなく「水からの伝言」(氷の結晶の写真集)をもともと発表した著者は、『「科学」ではなく「ファンタジー」と自ら認めている(アエラ2005年12月5日号)』(ウィキペディアによる)そうです。
 そうであるならば、日本の小学生は、その「科学リテラシー」をはぐくむ最初のところで、「ファンタジー」を基礎とした教育をされていることになります。ほとんど誰もが掛け算九九を今でもそらんじているように、そのころ乗った自転車に今でも乗れるように、小学生の時習ったことは終生忘れません。それを考えると「水からの伝言」を教えることはかなり由々しき問題であると思います。

 試みにインターネットを検索してみると、かなり反論のページが見つかりました。少しほっとしました。多くは「疑似科学が蔓延する」日本というような視点からのものが多いように感じます。しかし、「水からの伝言」は教育の問題です。一般論ではなく教育の場で「科学」的な考え方が無くなったら、それこそ本欄で何回か書いたような技術の継承の危機どころではありません。

 さて、なにか一人で腹を立てているような文章になりました。なんだかわからない方はこちらはいかがでしょうか。




2006年8月18日

 今年は第33回技術士全国大会が東京で開催されます。7月末が参加申し込みの締め切りであったので申し込みましたが、受付番号が3桁で500にも達していなかったため予想より少なくおかしいなと思っていたら、すぐに締め切り延期8月末までのお知らせが出ました。案の定でした。
 私は、平成11年の入会以来まだ一度も技術士全国大会に参加したことがありません。札幌や九州大会にはとても費用対効果比を考えると行く気にはなりませんでした(もっとほかの私的な理由もありましたが)。今回は近場なので参加します。

 参加者の申し込み出足が遅いのも気になりましたが、分科会のテーマを見ていてこちらにも少し気になったことがありました。大会テーマは「知の創造 ―技術士の役割―」です。これも少し技術士というカテゴリから離れているのではないか(技術は多くの部分を経験知≒暗黙知としていますから、知は「創造」するものとして捉えるのに少し違和感がある)と思いますが、若者の技術離れ(具体的には大学の工学部離れ)が社会問題化しようというときに、それに関する個別テーマがありません。もう技術士になってしまったから、後継者教育は問題ではないのでしょうか。今こそ、技術士が技術離れに楔を打ち込んで引き戻す時ではないでしょうか。

 17日の日本経済新聞34面「大学激動」は「苦境に立つ工学部」という記事でした。冒頭私の母校が出て、今春入試で工学部志願者が前年比4割近い減であるとのことです。同窓会などで少しは聞いて感じていましたが、これには少々びっくりしました。母校愛など特段持ち合わせてはいないのですが、多少の所属意識はありますから、これではさぞ土木系などは散々だろうなと、ショックを通り越して暗澹たる気分になります。土木工学科の名が消えてしばらくたちますから、土木が工学であることも忘れられているのではないかとも思ったりします。技術士は何より現場で経験をつんだ証ですから、理工系と一くくりにされる理科離れより工系の危機を感じてほしいものです。
 その点、大学の先生たちがいろいろ努力をされているほど、技術士は技術者教育(後継者教育でよい)をしていないように感じられますがどうなのでしょうか。企業内では、いわゆる団塊の世代の後継者を育成することが行なわれているようですが、技術士会の社会貢献としてはまだのようです。良いテーマと思うのですが。

 技術士2次筆記試験も終わりました。建設部門に関してはほぼ例年通りの傾向で、来年度からどのように変化するか図りがたいものがあります。もしかすると単に経験論文が減るだけで、専門の傾向は同じように成るのかもしれません。
 総合技術監理部門の問題は面白かった(不謹慎!!)です。チェックリストです。考えてみれば基本中の基本です。チェックリストが作れるようになれば、その仕事がわかっているということですから、考えてみれば予想されてしかるべきであったのかなと思います。なぜなら、最近の技術者の不正、失敗は、マニュアルとそれのチェックにかかわる事象が多いと思われるからです。つい先日のクレーン船が送電線を損傷した事故なども同類です。
 
 (蛇足ながら。送電線損傷事故について、同じ鉄塔にバックアップ線があるのはおかしいという点をマスコミに顔を出す「識者」は批判していますが、これこそ費用対効果比の問題です。バックアップ線は、通常は使われないものですから、それにどれだけの費用をかけるかは、用地費ひとつとっても、都会ではもっとも難しい判断です。また、復旧が遅いという意見もありましたが、私は3時間で復旧したことを知り、ずいぶん早いなと感じました。しかも夏休みシーズンです。休暇を切り上げて駆けつけた技術者もいたのではないでしょうか。電気は事故があるのが当たり前です。それにしても、事故を起こした会社は以前にも同じような事故を起こしているといいます。失敗から学ぶことをはなから忘れているようです。幸いにも事故による人的被害は無く済みましたが、こうした点はもっと責められてしかるべきではないかと思います。筆記合格(予定)者の方、面接で考えを聞かれる絶好の材料です。蛇足が長くなりました。)
 
 上の様に書いて、これはもう大学工学部の問題ではないような気がします。社会が技術を(空気のようにあまり身近なので)忘れ始めてきたのではないかという妄想が沸いてきました。空気もほおって置くと汚染されるように、技術もほおって置くと社会に対峙するようになります。技術の暴走(技術者の失敗や不正行為も暴走です)を止めるためには、やはり「知の創造」が必要なのかもしれません。 



2006年8月11日

 毎年私の家から育って飛んでいくアゲハ蝶が、今年も2頭無事に飛んでいきました。
 1頭は庭に置いた山椒の木から行方不明になっていましたがどこかでさなぎになっていたようです。2頭目は家の玄関の中に置き変えた同じ山椒の木で暮らしていましたが、すぐ行方不明になっていました。外に出るはずはないので、どこか(うっかり探すとつぶしてしまう恐れがあったので探しませんでした)でさなぎになっていたのでしょう。1頭目に遅れること1週間ほどで昨日10日無事に羽化しました。

7月20日

2006年7月20日の様子。まだ黒い。

7月26日

2006年7月26日。すっかり青虫になりました。

7月27日

2006年7月27日。モスラが2匹・・・・・・・

7月29日

2006年7月29日。小さな山椒なので葉がもうありません。この直後片方が行方不明。どこかでさなぎになったようです。

8月10日

2006年8月10日。羽化完了!!








2006年8月5日

 何か個人の失敗で事故や故障があると個人の責任が追及されただけで終わってしまい、背景にある組織システムの不正常さについての追求はなされにくいとうことについては、多くのリスクマネジメント研究者やコンサルタントが指摘しています。
 しかし、こうした研究は心理学などのいわゆる文系の方面からの追求が多いため、統計的な処理があまり見られず、見られたとしても事後のアンケート分析などが主流です。ただし、事後のアンケート、聞き取りなどは「事後」であることによるバイアスが働いていることが疑われ、技術者などには受け入れられることが少ないようでした。 
 私が「土木技術者の<失敗学>」で分析したのは、小さな何でも無い失敗(ほとんど実害がおきていない)の背景にも、個人の失敗は不都合の原因ではなく組織的な不正常さの結果として出てくるのだということでした。

 最近読んだ『組織行動の「まずい!!」学』(樋口晴彦 著:祥伝社新書044)は、危機管理分析の分野からの同じようなアプローチです。
 新書ということもあり一気に読むことが出来ました。内容に取り立てて新しい知見は無いのですが、一気に読めるだけ、全体像を大づかみにするには便利です。いくつか同意したり、新しい表現であったりしたフレーズに赤線を引きましたので、今回はそれをご紹介します。少しだけコメントをはさみます。
 
42ページ『リスク管理の関係者の間では「ISOを取得した企業でおかしな事故がよく起きる」とささやかれている。』
43ページ『業績が下降しているのに文書ファイルが年々増えていたとしたら「まずい!!」と感じて早めに手を打つべきだろう』

 組織管理は文書を作ることではないのですが、ISOコンサルタントや審査員が「文書が無い」「文書が足りない」と繰り返した歴史があるため、文書を作ることが組織管理であると勘違いしている企業が非常に多いことは確かなようです。

49ページ『I.L.ジャニスは、凝集性が高い集団において、集団内の合意を得ようとするあまり、意思決定が非合理的な方向にゆがめられてしまう現象を「グループシンク」と名づけた。』

 これはそのとおりですが、特に「和を尊ぶ」集団に多いようです。建設業などもそのひとつでしょう。

56ページ『事柄の内容よりも「誰」が提案しているかを重視する属人的志向性の強い職場では、上司の提案に対して反対意見を言い出しにくく、組織ぐるみで違反行為が容認される「属人的組織風土」が生じる』

 日本の組織一般に言えることです。談合などはもっとも典型的なものなのではないでしょうか。

62ページ『唯一絶対というリーダー像は存在せず(中略)「状況」に応じて、有効なリーダーシップのスタイルは異なってくる』

 同じページに『過去の成功体験の呪縛』と出てきています。中小企業の経営者には非常に多いケースです。成功したのだから俺のやり方に間違いは無い、というわけです。世にある経営コンサルタントの本には、徳川家康や西郷隆盛などを引いてリーダーシップを説くものが多いのですが、それについては

64ページ『そのようなリーダーシップ論は、歴史小説を現実と勘違いしているだけの浅薄なものだ』

と、切って捨てています。大賛成です。歴史が好きな私にとって、誰かこのように行ってくれるのをまっていました。

87ページ『安全の軽視は(事故の)「原因」ではなく、あくまで業務改善を追及した「結果」にすぎない』

 何が原因で何が結果か、「土木技術者の<失敗学>」でも論じています。これらの前提に第2章見出し『危機意識の不在』があるのもそのとおりです。危機意識が無いため安全そのものに対する投資が「ムダ」と感じられてしまうようです。

130ページ『成果主義を導入する際、まず管理職の意識改革から始めるべき』

 建設業でも目標管理などといって成果主義が取り入れられていますが、年功序列・終身雇用の中で育った上司に成果主義の評価をされることは、面白いことではありません。自分たちは逃げ切ったという安堵感が露骨に現れている人に多くお会いしました。

137ページ『設計段階で事故の起こり得る要因をできるだけ排除しておくことは、非常に効果的なリスク管理手法である。』

 新幹線の無事故と踏切りの無いことは、決して無関係ではないとも言っています。建設現場の仮設で言えば、仮設計画の段階で事故の起こり得る要因を追求しなくしておくことは、安全管理上重要な視点でしょう。

152ページ『失敗が起きないシミュレーションは悪いシミュレーション』

 工事の施工計画はまさにシミュレーションであるのですから、失敗したりうまくいかなかったりした場合の処理がほとんど書かれていなかった今までの「施工計画書」は悪いシミュレーションの典型です。

156ページ『「想定される重大な危険」よりも「現実のわずかなコスト」に気を取られてしまう』

 いま瞬間ガス湯沸かし器事故でまったくこのとおりの事象が起きています。某大手メーカーの石油ファンヒーター回収コストは膨大なものです。建設現場でも当初のコストを惜しんだために重大な結果を招いてしまうことは日常茶飯事におきています。

186ページ『大規模プロジェクトの途中段階で失敗に気がついたにもかかわらず、関係者の執着により撤退の判断が行われず、そのままない崩し的に計画が進められる現象を「コンコルドの誤り」と呼ぶ』

 言うまでも無くコンコルドとは英仏共同開発の超音速旅客機のことです。(どうでもよい注:アラン・ドロン主演の映画にもなりました)意味はよくわかりますが、「コンコルドの誤り」というフレーズは不勉強で聞いたことがありませんでした。
 ダムが要らなくなっても今までの投資が無駄になるから建設をつづけようというようなことです。今では少し風向きが変わってきたようですが。
 
 たくさん引用しましたが、本当に、エレベーターでのはさまれ事故や流れるプールでの女の子死亡事故などを聞くと『どうして失敗が繰り返されるのか』(本書の副題)と思わずにはいられません。文句をつけるわけではないのですが、これはやはり本書独自の『「まずい!!」学』よりは畑村先生の『失敗学』という用語をお借りすべきであったと思います。



エアポート'80
AIRPORT '80 THE CONCORDE

製作/1979年 
公開/1979年 アメリカ映画 113分

監督/デビッド・ローウェル・リッチ
原作/アーサー・ヘイリー
出演/アラン・ドロン
   スーザン・ブレイクリー
   ロバート・ワグナー
   シルビア・クリステル
   ジョージ・ケネディ
   エディ・アルバート
   ビビ・アンデルソン)








2006年7月28日

 最近、リスクマネジメントの世界だけでなく、事業継続計画(BCP)という用語が一般にもちらほら聞かれるようになりました。災害で事業継続が困難になり倒産するケースは、阪神淡路大震災から、中越地震まで、いくつか報じられています。
 しかし、次に来ると予想されている東南海、首都圏直下型、宮城沖とも阪神淡路に匹敵するかまたはそれ以上に産業と人口が集積しているところです。被害想定も桁違いの大きさです。事前に考えられることは考えて(国に頼るだけでなく自分たちで)手を打っておくことは絶対的に必要なことだという理解が進んできているのかもしれません。
 
 このほど「BCP」計画建設業版が社団法人日本建設業団体連合会により策定され公表されましたので読んで見ました。
 内閣府のBCPガイドラインでは、「事業の中断の原因となるリスクを問わず、重要業務を継続していく、という目的意識をもって策定される」としながらも、「いかなるリスクをも検討すべき」とすると、テロや疫病などあまりに広い範囲を含むため、日本企業にとって最も想定しやすくイメージのしやすい自然災害リスクを想定することを推奨しています。
 自然災害といえば、今年も豪雨災害が繰り返されましたが、地震もまた重大な災害をもたらします。首都圏直下型地震に対応した減災技術の発表や支援活動の仕組みづくりが相次いでいます。「BCP」も大地震を対象にして策定するところが出てきました。業界としては建設業界が最初なのかもしれません。この業界は、何事も個別よりは全体として右へ倣えですが、こればかりは良い試みではないかと思います。

 BCPでは、災害を特定することと、自社の「重要業務」を特定することが重要であるのですが、これについてはこう述べられています。
 『なお、首都圏において地震による広域災害が発生した場合、日本の政治・経済に深刻なダメージを与えることも十分に考えられる。そのため、日建連会員各社は、日本の政治・経済を停滞させないという信念を持って、建設会社としての社会的責務を果たすことを考えなければならない。特に「インフラ復旧工事への対応」については、建設会社の社会的使命と考え、自社の重要業務として事業継続計画を策定することが必要である。』
 
 実際、日常的に多くの人員を工場や大規模商業施設のように一箇所ではなく、建設現場という基地を複数広範囲に配置し、その箇所箇所に復旧の際主役となる重機を配置している産業は建設業だけです。難点は、通信手段が途絶した場合に、相互の連絡が困難になることです。現在まで「地震災害対応マニュアル」などが作成されているようですが、「BCP」も現場単位での周知が特に必要とされてきます。
 起きないで済めばよいのですが、今後もずっと起きないと考えている人はいないでしょう。策定と周知は喫緊の課題ではないでしょうか。
 
 それに関連して、帰宅困難者の徒歩での帰宅訓練ということが行われていますが、果たして誰が帰宅し、誰が踏みとどまって「BCP」を実施するのかまで考えてのことなのでしょうか。もっとも「BCP」計画がなければ、そうした振り分けは出来ず、一刻も早く家族に無事な姿を見せたいと、徒歩での帰宅となり、誰を支援し誰はそのままにしてよいか全体を把握することは困難になるでしょう。まずは、「BCP」策定があって、その上での帰宅訓練となるのではないのでしょうか。



 

2006年7月19日

  土木学会「建設マネジメント委員会」の「公共調達制度WG」が4月に発表した「公共調達制度を考える〜土木技術者の信頼回復を目指して〜」という報告書があります。このページからダウンロードしてみることが出来ますので、詳しくは皆さんお読みいただくことをお勧めします。全体的に感想を交えて要約すれば、次のようなことになろうかと思います。

   公共調達制度の目標は「公正なプロセスのもとで、良いものを安く、タイムリーに調達すること」ということであるが、入札契約制度の改革や独占禁止法での罰則強化、公共工事品確法だけでは、それは達成できない。単に入り口を作ったに過ぎないとされています。これを受けて次の9テーマが論じられています。

1.制度全体の見直しと調達方式の選定
2.技術力活用と事業費削減に向けた発注ロット拡大
3.支払い制度の見直しの方策
4.三者構造の実現(発注者、監理者、施工者)
5.技術による自由競争案件の実施施策
6.技術開発を促進するための新しい制度
7.発注者の体制整備と人事運用方策
8.入札結果をモニタリングし、これを評価する方策
9.地方における公共工事執行のあり方

   内容をざっと見ると、特に新しい制度を提案しているということは見えません。それはそのとおりで、制度というのは有機的なもので、公共調達だけを国の諸制度から切り離してまったく新しいものに置き換えるということは出来ません。
   2から8までは、すでに何らかの制度が存在しているのを、改革して「きちんと」実施しようということです。三者構造にしても、大枠としてはCMの存在は以前からありますし、支払い制度については出来高に応じての部分払いも現にあります。発注ロットの拡大にしても、いつも言われながら、地場産業の育成という掛け声の影で、行われることはまれです。評価の問題にしても、「9.地方における公共工事執行のあり方」にあるように、「低い工事成績をつけた場合は工事監督員にも責任があると解釈される」ため、的確に運用されていないといいます。

   (この9.部分は、私の日常業務と重なって一番面白かったと感じました。事業費が減少する中で、発注ロットの縮小で建設業に少ないが満遍なく仕事を回すという方策は、早晩限界がくるというようなことが書いてあります。誰もが思っていて、まるでルーレットの逆のように、最後の順番は自分でないことを願っていますが、何か積極的な方策を打ち出すのではなく、「運」を待っています。また、総合評価方式にしても技術点の重みが1〜3割では、安易な低価格入札を採用する経営者が少なくなることはないとしています。土木学会も結構わかっているなという感想です。この部分の執筆は地方公共団体の方と地方の大学の方です)

   これら運用上停滞の原因は何かというと、発注者は間違わない「行政の無謬性制約」であるといっています。そして、そのためには「官に誤謬なし」を排して、まず発注側が変わらなければならないとしています。これもまたそのとおりで、公共調達なのですから、調達をするほうが変わらなければ、それに答えようとするほうは変わりようがありません。土木技術者が何を言っても、国民にはどこか胡散臭いと見られている理由は、土木界での官民の境界があいまいで、悪く言えば「同じ穴の狢」であるということがあるように言われます。よく例に出されることに、発注側の監督員には資格が要求されないのに、受注側には細かな要求がなされることがあります。(この点は本欄で何回か触れたように、心ある発注側技術者の資格取得意欲は、近年高くなっています。しかし制度としてはほとんど何もありません)

   7.で発注者の人事に触れていますが、「官に誤謬なし」を崩すのは難しいように(そうたびたび誤謬に気がついて修正されては、今度は行政としての一貫性が保たれず、委任している納税者が納得できない)、工事監督の異動を制限するのも難しいでしょう。天下りはもうほとんど公務員の既得権のような形になっていますからこれも難しいことです。
 それよりも、民においての談合担当の役員の地位はそのままで「脱談合」が出来るかどうかに触れてほしかったのですが、これは本報告書の作成時期から言って出来なかったのは当然といえば当然ですが。

 この報告書のWGメンバー構成を見ると、民が10人、官(公団等含)5人、学が6人のようです。そして注釈として、報告書の意見は「各委員の所属する組織、その他の地位や立場等の公的な部分の意見や見解とは必ずしも一致していない」とあります。ここは一言で「個人の見解をまとめたものである」でよいのではないかと思います。さらに言えば、所属を明らかにする必要もないのではないかと思います。

  いずれにしても総合的に公共調達を考えるには非常に面白い報告書です。ご一読をお勧めします。




2006年7月10日

 しばらく読書の話題から遠ざかっていましたが、本を読まなくなったわけではありませんでした。つい今し方読み終えた本は、話題の「ウェブ進化論−本当の大変化はこれから始まる」(梅田望夫著 ちくま新書)です。今年の2月10日第1刷発行であるのに、私が購入した時は既に11刷(4月25日)となっていましたから、売れに売れているようです。
 内容は副題そのままですが、「Web2.0」と「ロングテール」について考える場合には欠かせない本であると思います。雑誌などでこれらの特集を読んでいましたが(一例として「週刊東洋経済」6月24日号特集「35歳以上のためのWeb2.0」-これ一冊で充分!)、最初から「ウェブ進化論」をよむべきでした。非常によくわかりました。先の雑誌に載っていた「ロングテール」概念にしても、この本には図が出てきていません。つまり本に載せるような図には、「ロングテール」部分と「頭」の部分の比率が大きすぎて出来ない概念なのであることもわかりました。私の関わっている世界で法則とされる「パレートの法則」とは逆の世界理解なのです。もうこのあたりから、それらだけでなく、私自身が、この本の中で「絶対にわからない」側と言われている一団に属していることもわかりました。いくつかの疑問、「無料」の世界がなぜ成り立つのか、「オープンソース」がなぜ広まるのかなども解けました。
 著者は「グーグル」と「マイクロソフト」を例にとり、前者は「あちら側=インターネット側」であるが(完全にそうだとは言っていない。下図に表される真にWeb2.0に属する企業はまだ現れていない。ヤフー・ジャパンや楽天の位置に注意しましょう)後者は「こちら側=リアルな側」であるとしています。それを分けるキーワードが、「不特定多数無限大」への信頼であるとも言っています。

同書223ページ図

同書223ページ図

 この図を見ると、資金と労働力をつぎ込んで整備してきた大組織の情報システムは、Web2.0と対局にあるようで、と言うことはすぐに時代遅れになってしまうようです。 私の感じたことを大げさに言えば、Web2.0はフランス革命(自由平等概念)と産業革命(新機械と新生産方式)とが何倍もの規模で同時にきたようなものです。「あちら側」や「こちら側」などの用語を見ていると、宗教革命でもあるようです。そして私などはさしずめそれに取り残されている階層に属しているようです。
 「マイクロソフト」の創業者が引退をする気持ちは、おそらく(それこそ規模とお金の量は違うが)私と同じような感じになっているからだと、おこがましくも勝手に思いました。私には財団をつくって第二の人生を送るだけの資金は無いので、Web2.0を必死になって追いかけなければなりませんが。「不特定多数無限大」への信頼とは何を意味するか。今まで「ブログ」の世界には入っていませんでしたが、その真に意味するところも、この「不特定多数無限大」に関係するのだと言うことにも気がつきました。単に「大衆は賢い」などとは異なった、「自由」で「独立」してしかも「深くは相互に関わらない」人の集団が社会をつくって行くということなのだろうと思います。一時代前の、民衆とそれを指導する「党」などや、識者と言われる一握りの階層が世論をリードする時代や、多数決民主主義とも違った、新しい考え方が到来しているようです。

 最も印象に残った言葉は、「日本という国は「いったん属した組織を一度も辞めたことのない人たち」ばかりの発想で支配されている国である」(233ページ)という部分です。多くの技術士が、退職しても出身母体と深く関わっている私の半径50メートルの状況や、高級官僚の天下りなども含めて、「いったん属した組織を一度も辞めたことのない人たち」があふれています。つまり日本人は、国土だけでなく人生そのものが狭いのです。団塊の世代もやはりそのような日本人なのでしょうか。若い人たちはそうではないと言うことですから、おおいに期待します。著者の経験則によれば、期待すべきは1991年生れ(因みに私がNIFTYに入会したのは1992年でした)だそうですが。しかし、こうした本が、著者の言う「こちら側」で発行されベストセラーになると言うことは、「あちら側」の人にとってはどのような意味を持つのか、興味深いところでもあります。

 この本に限らず最近は少し自分の専門から遠いものを読んでいたためと、眼鏡のせいで読む速度は非常に遅くなりました。昔はつり革に片手を置かないと本が読めなかったのですが、そうした生活を止めて6年もたつと、ウイスキーグラスが片手になじんできました。これの最もよくないのは、一定の時間がたつと読書にブレーキをかけることです。やはりウイスキーグラスは映画を見るためにしておき、読書はコーヒーにすべきだと思う今日この頃です。(最後は人気ブログ「きっこの日記」風にまとめて見ました)




2006年6月27日

 私はプライベートのページとして「常総散策」を開設しています。ここでは、住まいの近くや平将門遺跡を中心に常総の地を歩き回っているのですが、もちろん史跡なら将門に限らず足を止めることもあります。
 先日茨城県水戸市の県庁三の丸庁舎に行ってきました。ここは「三の丸」との地名通り旧水戸城の跡地で、県指定史跡である「空堀」があります。この「空堀」とその上にある土塁の損傷がひどくなったため、修復工事が行なわれています。会合があったのですが、少し時間に早く行ってこの工事を見てきました。写真も何枚か撮ってきました。実は、ゆっくり写真とデータを集めながら「常総散策」に追加しようと考えていたのですが、よく考えると「版築工法」という古来の工法での修復なので、このサイトの「身近な土木」にも該当するのではないかと、方針を決めかねていました。
 見てきたのは6月24日なのですが、25日に業務が忙しかったためそのままにしておいたところ、26日読売新聞の茨城版に大きく記事が出てしまいました。そこで生来のあわて振りを発揮して、とりあえず「速報」としてこの欄に写真をアップすることにしました。
 施工は大手ゼネコンが請負っていますが、施工方法は昔ながらと言うところがおもしろいところです。現在読売新聞へのリンクは切れています。(もっとよく検索すればあるいはあるかも知れませんが)後はゆっくり「常総散策」と「身近な土木」にアップします。しばらくお待ちください。

 では写真です。まず全景から。延長方向左右からの眺めです。
        

 工事中で中に入れなかったので、隔靴掻痒の感があります。ブルーシートは、雨による斜面浸食を防止するためのようです。右の写真は、まだ工事が進んでいないあたりでしょうか。新聞によれば進捗は半分程度となっています。着工前の調査によれば、土塁にある銀杏の枝(約80年前に植えられた)が茂りすぎ、葉からしたたり落ちた雨水と、ぎんなんを拾いに来た人が浸食の原因だったとの結果が出たそうです。そういえば枝が落とされています。
        

 下の左の写真は、北側の空堀の状態です。右側の写真は、現場を城跡の内部から見たものです。きれいに整備され、敷地内には県庁三の丸庁舎とともに旧議会棟を改修した県立図書館もあります。
        

 今回はこんなところでおしまいです。速報ですから。



2006年6月13日

 茨城県技術士会では、このページで過去何回かご紹介しましたように、会員による(一部会員外も含む)プロジェクトチームを作って活動しています。私も、3チームに所属していますが、そのうちの「公共事業技術支援センター」の代表をしています(あとの2つは「技術教育」及び「建設技術・資格取得支援」)。センターの内容は独自のホームページを開設していますので、そちらをご覧いただければ幸です。メンバーには建設部門以外の技術士も参加しています。公共事業というのは、社会基盤整備ですから、技術士全部門に関わってくることは論を待たないわけで、その意味で多くの部門の技術士に参加いただいているのです。

 このほど、関東地方整備局が立ち上げた「公共工事品質確保技術者」制度に、応募資格のあるメンバーが応募し、書類審査、面接を経て、私を含めた3名が合格、「公共工事品質確保技術者」として委嘱されました。記者発表では明らかにされていませんが、建通新聞社のWebによれば、委嘱された340人(申込者500人)の経歴は「行政機関のOBでトップが国職員の216人(63.5%)。次いで▽公団職員38人▽県職員37人▽市職員1人 の順となっている。民間からは建設業45人、コンサル3人」とのことです。

 講習会会場での雰囲気から、国など公的機関のOBの方が多そうだという感じはありましたが、やはりその通りでした。面接でも、発注事務の内容を知っているかどうかを聞かれましたので、予想通りです。
 さいわい私は、3年ほど発注者の嘱託職員であった経歴を持ちますので、その点では不安はなかったのですが、さあそれではこの分類のどれに入れられているのか考えてしまいました。民間からの応募には違いありません。民間では、建設業に現に勤務している場合は応募資格がないので、この建設業というのは建設業OBであろうかと思います。すると、この中に分類されていてもおかしくないことになり、また、現職であればコンサルタントとしてかとも思いますが、3名とは少ないので果たしてどうかなとも思っています。

  「委嘱者の希望分野(重複あり)は▽入札契約制度65人▽建設環境74人▽河川138人▽道路165人▽トンネル58人▽土質・基礎40人▽電力設備3人▽鋼構造物・コンクリート80人▽砂防・海岸44人▽機械設備8人▽電気設備・情報通信7人▽ダム39人」とあり、やはり河川と道路が多いようです。技術士もこの2部門であれば将来有望だなどとささやかれていますから、仕事も多いのでしょう。

 さて、問題は、委嘱されて何をするかですが、私の希望としては記事にある「要請があれば補助要員として整備局管内の自治体にも派遣される。」という方向を指向したいと思っています。昨年の記事ですがこのページにあるように、「公共工事品確法」を勉強すればするほど、ターゲットは地方自治体と中小・中堅建設業であるとの感じがします。地方自治体には技術者が少なく、中小・中堅建設業は、技術力にはさほど重きを置かない経営をしてきたと思われるからです。この制度は、関東地方整備局独自の制度であるので、全国版とは行きませんが、全国版は大手建設会社が十分に対応可能であるでしょうから、やはり地元密着型の私のようなコンサルタントにとっては、関東地方だけでも充分広い範囲と考えられます。

 先日ある地方自治体の建設課の職員さんとお話をする機会があり、「公共工事品確法」の話題を振ったところ、まだぴんときていないとのお答えでした。国から県に降り、そこから市町村までの道のりはまだまだ遠いのでしょう。ましてや、営業エリアが市町村か土木事務所管内などだけで済んでいる建設業の方には、あるいはずっと遠い感覚があるのかも知れません。

 考えてみれば、公共事業の品質確保などということは、当たり前のことで、某県議会で、「こんな法律が出来たと言うことは、今までは品質確保をしていなかったと言うことか」という質問が出るのも、あながち無理からぬことではあります(しかし、もう少し勉強して質問していただきたい感は強くありますが)。土木学会誌5月号の特集は「技術の継承」でした。内容を見ると、対象は長大橋やダムなど巨大技術に偏った感があります。地方で日常的に社会資本整備に汗を流している技術者の技術は、こうした巨大技術の陰に隠れて先細りになってしまうおそれがあります。もうその兆候は現れています。土木技術の継承は、一技術者の問題だけではありません。地方自治体(発注者)や公共事業制度全体をどのように時代に合ったものにしていくかが問われているのです。「公共工事品確法」が機能するためには、技術の継承と維持について「品質」をキーワードに変えていくことが急務であろうと思います。




2006年5月29日

 今年も救命救急講習会に参加してきました。今年は、最近学校や公民館などに備え付けられるようになってきたAED(Automated External Defibrillator:自動体外式除細動器)講習です。(昨年は普通救急救命でした)AEDは、心室細動によって血液を送り出すことの出来なくなっている心臓に電気ショックを与えて細動を止め、正常なリズムを取り戻させる機器です。2004年7月より医療資格を持たない一般の人でも使えるようになっています。使ってみれば(講習会では訓練用のダミー器を使いました)、AEDが音声ですることを指示してくれますから、そんなに難しいものではないのですが、なにせ人命に関わることですから、使用する(医師法違反にならない)には次の条件があります。

@医師等を探す努力をしても見つからない等、医師等による速やかな対応を得ることが困難であること。
A使用者が、対象者の意識、呼吸が無いことを確認していること。
B使用者が、AEDの使用に必要な講習を受けていること。
C使用されるAEDが、医療器具として薬事法上の承認を受けていること。

 このうち、今回の講習会はBに当たると言うことで、大勢の方が参加されました。皆さん、公民館や学校などでAED設置を目撃されていますが、果たしてどのように使用するのか知りたかったことが参加動機のようです。
 講習会は消防署署員の方々がダミー人形とダミーAEDを使って説明され、その後参加者が順に実際に救命救急体験をします。単にAEDの使用法だけを体験するのではなく、倒れている人を発見してから、外傷、意識の確認、人工呼吸、心臓マッサージを行って、さらにAED使用となる、あるストーリーを持った訓練ですから、時間も要します。
 参加者の訓練中をそばで見ていると、手順の間違いはよくわかるのですが、いざ自分の番になると全く思い出せず、消防署員の注意で初めて気がつく始末です。こうした訓練は、いちいち記憶をたどって手順を思い出しながら行うのではなく、何度も繰り返して、身体に覚えさせることが大切なことが、身をもってわかります。一度でも訓練を受けていれば、最低限記憶をたどって思い出すことが出来ますが、一度も受けていなければ、いくら音声指示があるからと言って、出来るはずがないこともまたよくわかります。

 一般的に訓練の重要性はよく言われますが、これも何らかの訓練を受けてみなければ本当のところは体験できないことです。講師(消防署員)の方のお話ですと、通常は6人程度で1班にするようなのですが、当日は参加者が多く8〜9名で1班になり、そのため4時間たっぷりの充実した講習でした。
 
 さて、本当に使用しなければならない場面に立たされたとき、果たしてうまく身体が動くのか、まだ心許ないので、テキストを読み返して見ました。やった後で読み返すと、これも理解度が違うことに気がつきます。最初に説明を聞き、体験し、読み返す、PDCAサイクルそのままです。使用しなければならない場面には正直会いたくはないのですが、そうした事態こそ日常の訓練がものを言うのでしょう。消火器を使った訓練や、空気呼吸器を使った訓練が建設現場では想定されますが、やはり大切なものと改めて感じています。




2006年5月9日

 以前、私が最初に技術士を受験した頃は、受験申込書の記入欄に「主な業績」欄がありました。特許や受賞した論文などがない場合、苦し紛れのつまらないことを書くよりは空欄にしておいた方がよいと指導を受けました。私にはもちろん特許や受賞した論文などがないため、いま当時(昭和59年)の控えを見ると「苦し紛れ」のことが記入してあります。何も書かないことは受験資格がないように感じ、あせっていたのでしょう。冷や汗ものです。
 この欄がなくなったのはいつ頃からかわかりませんが、平成13年度の総監受験にはありませんでした。(替わりに大学院での経歴欄があります)

 他の人に「これが自分の業績だ」と語れるものがあることはうれしいことです。特許や論文でなくとも、「あのダムは俺が造った」とか「あの橋は俺が架けた」などはよく聞きます。(政治家も同じようなことを言いますが、少し意味が違います)
 土木屋の業績は、それこそ「地図に残る仕事」がいちばんなのでしょう。誇りをもってそのように言いたいものです。
 しかし、このように語る人の言葉の裏には、他に誰もやらなかった(出来なかった)から、俺がやった、俺しかできなかった、と言うような「自慢」臭が漂います。自慢は悪いことではなく、自慢できる「業績」を持たないもののひがみと言われるかも知れませんが、どうもこれにはなじめません。多くは冒頭に「自慢ではないが」と語るのも、それを伺わせます。
 実際はその現場に在籍した(若しくは現場代理人、主任技術者であった)だけかも知れません。土木工事は本当は何人もの人が携わっているにもかかわらず、「俺の業績だ」というのは、すこしおこがましいのではないかと感じます。「あのプロジェクトには俺も参加したのだ」ぐらいがちょうどよい表現ではないかと感じます。少し自慢しても「俺が主導した」ぐらいが、限界ではないでしょうか。

 謙譲はもはや美徳ではなく、技術士試験でも「私が主導した」と書かなければ合格しないことは自明かもしれません。自己顕示は大切だし、それが必要な場合もあるのでしょう。しかしそれは自慢ではなく、全体の中での自分の立ち位置を明確にするだけでありたいものです。
 謙譲は卑屈や遠慮や気後れとは異なります。技術者には、本当に一人で出来ることは少ないものです。中でも土木は、その黎明期の何人かは別として、たとえ構想を立案し、計画の最初から参加したとしても、それは組織の一員として行ったことですから、大勢の協力者がいたはずです。そうでなければ、文字通り一人だけでは、そのプロジェクトは頓挫していたでしょう。

 このようなことは科学者の世界でもあるようです。ここをご覧ください。政治家の自己顕示は今に始まったことではありませんが、行政の世界(お役人)にもいるのはすこし困ったことです。どうしたわけか、最近立て続けにそうした方にお会いし、話を聞く機会があったもので、以上のような感想を持ちました。こうした自己顕示の強い人に対してとくに反論したいとも思いませんが、「俺しかできなかった」のなら、できる人を育てたのですか、と、聞いてみたい気はします。この欄はあくまで「ひとりごと」です。


 

2006年4月29日

 先に日本技術士会のCPD認定についてについて書きました。4月18日現在を見ると、かなりの方が新たに認定されています。技術士部門の中で建設部門は多いので目立ちますが、一体日本の建設業の中で第一線で活躍している多くの土木施工管理技士は、どのような研鑽を積んでいるのかが少しだけわかる資料がありました。

 今月(5月号)の「JCMマンスリーレポート」(発行:社団法人全国土木施工管理技士会連合会)に、同会で行っているCPDSについての案内記事が載り、技士会別CPDS加入者数という資料が掲載されています。
 これを見ると1人しか登録されていない県がある反面、2,940人もの登録がある県もあります(技士会は県別)。最も多いのは実は非会員で、5,633人います。全体で29,470人ですから、19%が非会員です。県別では上位から広島県(2,940人)愛媛県(2,641人)長野県(2,411人)です。(因みに私の所属する茨城県技士会での加入者は7人です。私は加入していませんし、私のように技術士会1つに絞っている方が他にもおいでになったとしても、少なすぎる感じがしますが。加入者が一桁は、他に、和歌山県、熊本県、中央部会です。単に活動が活発でないのだけが理由ではなく、何かほかの理由があるのではないでしょうか。知りたいものです)
 各県別の加入者数の詳細は「JCMマンスリーレポート」を見ていただくとして、少し傾向を探るためにグラフ化するとおもしろい結果になりました。図は、そのグラフです。県名はとびとびですがおおむね左が東日本(北)で右に行くほど西(南)になっています。右端は技士会「非会員」です。非会員の分布もわかるとおもしろいのですが、これだけでは残念ながらわかりません。山梨県と岐阜県の間の2,000人超えは長野県です。和歌山県と島根県の間の2,000人弱は鳥取県です。


図 技士会CPDS加入者(単位:人)
(「JCMマンスリーレポート」より筆者作成)

 全体を見ると、東京が少ないことが少し意外ですが、傾向では、「西高東低」の様子がうかがえます。これについては、CPDSが入札資格審査の技術力評価などに用いられている事例が紹介されていますので、理由の1つではないかと考えられます。
(1)九州地方整備局がCPDSを技術者評価に加点
(2)鳥取県では入札参加資格者格付けに加点
(3)広島県では入札参加資格審査の主観的事項に加点
(4)愛媛県では入札参加資格審査の主観点数に加点
(5)高知県では入札参加資格審査の主観点数に加点
(6)長野県では技術者要件中でユニット数(建設系11団体)を評価
(7)佐賀県では入札参加資格審査の主観点数に加点
(8)長崎県では適正な企業評価で加点

 このように、長野県を除くと全て西日本に属する県の入札関係で何らかのメリットがあります。また、佐賀県では現在627人ですが、これは基準日が平成17930日なので、早晩増えるでしょう。長野以北ではまだこのような例はないようですが、これも「品確法」での技術者評価やコリンズでの登録が先行していますから、遠からず何らかの加点が制度化されるでしょう。CPDは、自己研鑽、継続研鑽ですが、そのための動機付けとしては、建設業の場合最もわかりやすいのが入札関係であることが見て取れます。技術士の場合、「技術士の資質向上の責務」以外今は何もありませんが、これも建設コンサルタントの世界では加点対象となるのは時間の問題ではないかと思います。
 何かメリットがないと普及しないと言うことではISOがすぐ思い浮かびます。他動的な状況が、会社と個人という質は異なっても、同じように現れないとは限りません。CPDの加入が、真に自己研鑽であることを願っています。
 もう一つ、全く関係のないことなのかも知れませんが、いつでも新しいことは日本の場合西からやってくることには、何か深い意味があるのでしょうか。明治維新から自動改札機まで・・・・





2006年4月19日

 最近、ネット・セキュリティに関しての話題が多く聞かれます。Winny(正確にはWinny に感染するAntinnyというウイルスソフトによる)情報漏洩事件や、フィッシング詐欺、スパイウエアなど、毎日新聞などを賑わしています。
 その最も根本的なところにパスワードによるセキュリティがあります。パスワードは、以前は4桁の数字などが使われていましたが、最近では、桁数を大幅に増やしたり、アルファベットを入れたりしないといけないようになってきています。しかし、銀行のカードは未だに4桁数字のままです。これが、少し変わってきました。私の利用している銀行でも、生体認証(バイオメトリクス認証)カードという物が始まりました。私はまだ利用していませんが。
 と言うのも、なんだか怪しいと思っているからです。怪しいというのは、別に怪しい人が言っていると言う意味ではなく、100%完璧に本人認証ができるとは、とうてい思えないからです。DNA鑑定でさえ100%は望めないのに「たかが」手のひらや指の静脈パターンなどでは誤認するのではないかという思いがぬぐえません。このあたりは、その道の専門家に聞くしかありませんが、万が一盗難に遭った場合、犯人がなりすまし認証するのと本人が使った場合では確率はおそらく格段に違うのでしょうから、採用されてきたのかも知れません。
 しかし、もし、お金をおろすとき本人が誤認されたら、どうして本人であると証明するのでしょうか。パスワードなら間違えたとき入力し直せば承認してくれます(3回という制限はありますが)。しかし、本人が使って機械が間違えたときのことがわかりません。もう一回というのでしょうか(最近の機械は話をしますから)。もしそうだとすると、それではあまりセキュリティ強度が高いとはいえないのではないでしょうか。

 もう1週間前になりますが、4月12日の「日経」朝刊に、「ネットと文明」という記事がありその一つ「暗号は猫の顔」というテーマがありました。ニーモニックセキュリティというベンチャー企業が開発した本人認証技術「ニーモニックガード」のことです。これに関して同社のネット上におもしろい論文があります。詳しくはそれを読んでいただきたいと思いますが、誰か、この論文がどのような意味を持つのか検証してくれるとありがたいと思います。

 本日が本年度技術士試験受験申し込みの最終日です。




2006年4月6日

 技術士受験を支援するサイトはたくさんありますが、その掲示板などを読んでいると、最近とみに「○○を教えてください」という書き込みが増えているように思えます。「参考書を教えてください」などもありますし、「論文の構成はこれでよいでしょうか」などもあります。「他の人にこのように言われたがどうでしょうか」などもあります。自分の頭で考え、自分で判断を下し、結果を引き受けられない人が技術士になろうとすることは、とても不思議に感じます。
 参考書などは本屋に行けば棚1つをしめるほど実物があるし、最近では町の図書館にも置いてあります。ネット書店でも見ることが出来ます。論文の構成など、10人に聞けば10通りの答えが返ってくるでしょう。
 広く意見を聞くのはよいのでしょうが、自分の意見を隠してまず他人に聞くと言うことは少々「卑怯」ではないでしょうか。

 もっとも、こんなことを言っていては、「支援サイト」の意味はないので、皆さん懇切丁寧に返信を書いていらっしゃいます。たまに、私のように「自分で調べたら」という人もおられますが、その後からすぐ親切な人が出てきますから、私のような態度は少数派なのでしょう。
 
 かくいう私も受験支援を行っていますが、先日も同じような問答がありました。参考書はどうして手に入れるのかを質問されたので、「本屋に行けばたくさんありますよ」(建設部門のことです。参考書がない部門ももちろんあります)とお答えしましたら、「どこの本屋ですか」となりました。地方にお住まいで、近くに大きな本屋が無いのかと思い、お住まいをお聞きしたところ都会でした。いくつか大きな本屋をお教えしたのですが、全部場所をご存じでした。
 「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」と言いますが、「一時の恥」という態度には、残念ながらお見受けできませんでした。
 こちらも質問に答えるのが仕事ですから、聞かれたことには必ず答えるようにしています。そこで、「本屋に行き、内容を見て、自分に合っていると思う本を選んでください」とお答えしました。ご不満のようでした。聞きたかったのは講師推薦の書名であったようです。私は「このようにしたら(あなたが決めた)目的を達成できるよ」という態度でいましたが、「目的はこれがおすすめだよ」ということであったようです。
 まあ、(たかが)参考書ですから、どちらでもよいのでしょうが、実際の所私は技術士受験参考書のほとんどを読んでいません。自分が受験する頃はほとんどが過去問復元集であったので、それは省き、知識の整理出来る本を、中身を吟味せずに購入したのみです。最近のように、こんなにたくさん、選ぶのに苦労するような時が来るとは思いませんでした。 講師としては、あらゆる質問に答えられるように、この問題でも、世の受験参考書を吟味し、推薦できるようにしておかないと、職務を全うできないという考え方も出来るかも知れませんが、違和感があります。自分で選んだり考えたりしたことを、他人からお墨付きがほしい気持ちは少しわかりますが、仮にも技術士という資格を得ようとするからには、まず「自分で(判断して)選び考える」ことが大切なのではないでしょうか。そのための手助けはいくらでもしますが、ストレートに答えを言う気にはなれませんし、むしろ当人にとって有害なのではないでしょうか。

 ともあれ、JABEE課程卒業生が出てくれば、技術士も一気に若年化するでしょうから、私のようなことを言っていると「老害」だ「出し惜しみ」だなどと言われかねません。この欄での「ひとりごと」だけにしておきます。




2006年3月30日

 社団法人日本技術士会が、「CPD認定会員」制度を開始しました。Webから出来るので私も早速認定の申請を行いました。Web上で認定されるか否かの判定が出来、認定されると写真を送る仕組みになっています。
 手続きをしたところ、このほど認定証が送られてきました。なんとも気恥ずかしくなるようなゴールドカードですが、これまでの会員証の有効期限が10年であったのに対し、3年です。これはまあ、CPDの性格上当たり前のことです。
 私は、土木施工管理技士会のCPDS(登録証があります)は登録しておらず、土木学会、地盤工学会などのCPDも全部技術士会にまとめているので、今回がはじめてですが、少しづつ研鑽してきたことが認定されることは、正直うれしい気持ちです。もしかすると、技術士試験に合格したよりうれしいのかも知れません。(だからこうしてひとりごとを書いています)
 私の関係する茨城県技術士会プロジェクトチームのメンバーでも2人認定されていますから、これもうれしいことです。まだ、この制度を知らない方が多いようなのですが、ぜひ認定申請をされるとよいと思います。技術士会のWebでも、認定会員名が掲載されています。これも、世の中に認知されるためには、大変よいことであると思います。個人情報保護うんぬんで、医師の国家試験合格者の氏名が発表されなくなりましたが、今年の技術士合格者は新聞に氏名が出ていました。大学入試などと違って、世の中に知ってもらうことが大事ですから、来年度以降も継続してほしいと思います。


 
第一回目に認定(2006320日)された119人の会員の方の内訳では、建設部門が59人(49.6%)と、最も多いのは予想通りです。総合技術監理を含めて4部門をお持ちの方が3人、3部門は7人もおられます。会員番号を見ると、最も最近の番号の方は情報工学部門で、時代を表しているようです。一方4桁の方が2人いますが、最も若い番号をお持ちの方の入会年は、昭和58年です(ちなみにこの方は農業部門です。これも時代を表していると考えるのは、少し考えすぎでしょう)。登録即入会とは限らない例は、もう一人の方が平成13年入会と言うことでもわかりますが、昭和58年に入会されていて、現在CPDを継続されていると言うことには、脱帽です。



2006年3月20日

 読売新聞3月19日朝刊11面の「一筆経上」欄に「ネットを知らない大人たち」という記事がありました。
 ウイニーというソフトに感染するウイルスによって情報流出が相次いでいることを受け、使用自粛や禁止令が出ているが、若者たちは『「何をいまさら」と笑っている。』との指摘から始まり、『これからの時代は、年配者でもネットを活用できるネット・リテラシー(読み書き能力)が欠かせない』と、述べています。
 確かに、これだけインターネットを利用する時代になりながら、有料であるからといって自分のコンピュータにアンチウイルスソフトを入れていなかったり、入れていても最新版へのアップデートをしなかったりする人が驚くほど多いことは確かなようです。技術士のメーリングリストでもそのような問題が(またも)議論されています。

 世の中に、車の運転をしないでもなんら支障のない人がいるように、インターネットを利用しないからといって、その人にとってはなんら支障がない人もいるのは確かです。しかし、運転している場合は、交通法規を厳守するのはもちろん、マナーの点でも一定の知識と態度が要求されます。同じように、インターネットを利用すれば、初心者だからといって誰も若葉マークは与えてくれません。知らなかったでは済まされない事態がいずれ起きます。ウイルス感染がそのもっとも象徴的なものです。
 ウイルスを作るほうが悪い、俺は悪くないといっても、感染したほうは被害者ではなく加害者となるのです。

 日本では「年寄りだから」という言い訳が、比較的簡単に通りますが、いったんインターネットの世界(電子メールも同様)に足を踏み入れたら、それは無意味です。私もそろそろ年寄りの部類に入りそうですが(シルバー人材センターや、老人会への入会年齢がすぐそこです)その言い訳だけはしないでおこうと思います。
 
 技術士は専門部門ごとに分かれていますから、私のような建設部門では情報リテラシーは専門外と思われますが、もう一度よくこの制度を考えてみると、実は違うことがわかります。大きな技術一般の知識と判断力の上にたっての専門であることは、一次試験がそのような構成になっていることがあらわしています。
 いま、高齢の技術士は、一次試験を経ないで取得した方のほうが多いので、専門部門がメインと考えられていますが、実は、技術一般の知識経験が求められているから、実務経験7年という少し長い制限があったのです。今後、JABEE認定の一次試験免除者が出てくると、その方たちは科学技術一般の広い知識を大学で学んだあとに技術士となるわけです。
 もちろん今までの経験7年技術士にも同じような人がいるわけですが、インターネットの世界が広がったのはここ数年のことですから、意識的に学ばなければいけないことになります。
 いまや、技術の世界でネット・リテラシーは必要不可欠で、情報工学部門だけの専門性とはわけが違います。「ネットを知らない大人たち」といわれないためだけでなく、「ネットを知らない技術士」といわれて笑われないためにも、そして何より、ネット上での加害者にならないためにも、ネット・リテラシーは必要不可欠です。(これらはもちろん、年齢に関係なく現役で技術士として活動している人にのみ当てはまる言い方です。ネット上には、ほかの方、いわば車の運転をもうしなくなった人たちも大勢い
ます。しかしそのようなかたがたは、もう技術士とは名乗っていないでしょう)

 それにしても、防御のことばかりが要求されますが、この世からウイルスソフトを撲滅する方法を誰か考えてはいないのでしょうか。(今の形のインターネットを作り上げたマイクロソフト社などは、どうなのでしょうか)癌撲滅がなかなかうまくいかないように、誰かが研究しているがうまくいかないのでしょうか。
 そのあたりが知りたいものです。






2006年3月12日

 茨城県技術士会のプロジェクトチームに、「公共事業技術支援センター」があります。「公共事業品確法」が国会に提出されて、技術士の関与出来る分野が広がるのではないかと思い提案し、認められたのは1昨年暮れでした。プロジェクトチームはすぐ発足したのですが、同法施行の昨年4月以来、どういった関与が出来るか議論は迷走してきました。
 それというのも、公共事業の世界は、発注者と受注者の2者だけで、審査などチェックは全て発注者の側にある(特別な場合で、照査やアドバイスを業務委託として発注する例はありますが)ため、第3者が関与できる場面が見つからなかったのです。業務委託では、プロジェクトチームの法人格が問われたり、他社との競争となったりで、実質的には第2者に変わりありません。あとは、プロジェクトチームとしては、第2者の下請負をする方法がありますが、それも法人格という壁があります。地方自治体の場合、「地方自治法施行令」には、「学識経験者」の意見を聞かなければならないという文言がありますが、調べてみるとほとんどが大学教授を想定しているだけです(このあたりは以前にも書きました)。
 こう、した中、国土交通省関東地方整備局が、「公共工事品質確保技術者制度」という仕組みを創出しました。

これによれば、技術士の内
イ)技術士(建設部門又は総合技術監理部門)、または一級土木施工管理技士の資格を有し、かつ、公共工事の監督・検査業務に関わる経験が3年以上である者。
ロ)技術士(建設部門又は総合技術監理部門)、または一級土木施工管理技士の資格を有し、かつ、公共工事の主任技術者・監理技術者又は現場代理人の経験が7年以上である  者。

に、講習受講と面接に合格したことを条件として「品確技術者証」を交付し、関東地方整備局が発注する工事(営繕部及び港湾・空港部所管工事を除く)において、総合評価落札方式に関する技術提案の審議を行うことができる、とされています。
 要件のイ)は、発注者側を想定し、ロ)は受注者側を想定しているようです。いま、公務員技術士が増えつつありますから、その辺もにらんでのことでしょう。
 この制度は、明13日にならないと詳細は明らかになりませんし、今後どのような推移をたどるかわかりませんが、少なくとも私たちのプロジェクトチームの考えていたことの一部ではあります。公共事業と言うからには、建設部門のみでなく、もっと多くの部門でもよいような気がします。また、総合技術監理部門(記者発表資料では、「管理」となっています。誤記です)では選択科目が明示されていませんが、このあたりも13日には明らかになるのでしょうか。
 ともあれ、「技術士」が、建設コンサルタントの受注要件以外でこのように明記されたのは、初めてのような気がします。少なくとも、技術士の知名度がいくらか上がって来ることは確実のような感じがしています。

 技術士2次試験受験申し込みのうちのインターネット申し込みが始まりました。来年度は試験方法が変わるので、今年は受験者が多くなることが予想されています。また、一級土木施工管理技士試験の要綱も発表されました。ともにもう一段の活用が望まれる資格です。




2006年3月4日

 「日本経済新聞」3月2日3面にある大手商社が人事制度を見直し、入社「10年目まで完全年功制」とするという記事がありました。やはり、バブル崩壊後の成果主義人事制度、能力主義人事制度は、その言葉とは裏腹に、人件費抑制のための制度であったようです。ある建設業の経営者が、社員を成果主義で差別化するのは、辞めてほしい社員が自主的に辞めるための制度だとおっしゃっていましたが、その通りであったわけです。
 年功でトップに上り詰めた経営層が、今度は遅れて入社してきたものを能力や成果で評価すること自体が、遅れてきたものにとっては矛盾と感じられるため、この制度は定着しないと、本欄でも何度か書きましたが、そんなことは経営層にとってはどうでもよく、反発して辞めてくれれば目的は達成されていたわけです。
 いま、景気が回復して、しかも少子高齢化の勢いは予測を超えて進んできているため、人手不足が広がってきています。そのためには、一度抱え込んだ労働力を、今度は逃がさないようにしなければなりませんから、差別して辞める人がでては困るわけです。

 建設業の従事者は逆にまだ多いため、他産業への流出が起きているかというと、そうした現象はよく見えません。昔は、景気が悪くなったときのバッファの役を建設業が担っているのだという議論が聞かれましたが、どうもそうではないようです。
「日本には建設業が必要です」の中でも、建設業がなくなったら(公共事業がなくなったら)それに従事する人が失業するということが何度も書かれています。労働力の流動化は、そう簡単には実現しないようです。若年労働力が極端に不足し出す前に、この流動化を成し遂げなければならなかったのですが、冒頭に見たように、企業は今度は囲い込みにシフトしていきます。建設業従事者の流動はなく、相変わらず労働生産性の上昇を、一人で出来る仕事を五人でやっている状況が妨げていくでしょう。考えるべきは、建設業そのものの流動化(会社ぐるみで他産業への転換を図る)ですが、労働集約的な産業が、従業員を抱えたまま「新分野進出」は、かなり困難なことです。
 建設業、それも中小企業では、IT化も遅れに遅れています。企業のIT化は、いろいろ議論もありますが、これも本欄で以前書いた(2004年9月18日 柄にもなくとても難しい本を読みました。『情報技術と日本経済:「ニュー・エコノミー」の幻を超えて』(西村清彦、峰滝和典著 2004年5月30日初版第1刷 (株)有斐閣))ように、五人でしている仕事を一人でするための強力な武器です。労働生産性を上げることになるのに、なぜ中小建設業でのIT化は遅れているのでしょうか。まさか、役所が言ってくれなければ何もしないという、または役所が言ったことだけをしていればこと足れりとした考え方に今でもいるのでしょうか。
 工事のない時は従業員を辞めさせ、失業給付で生活させ、工事を入手すると雇用するなどというこそくな手段を続けていると、建設業は本当に滅亡してしまいます。困るのはそのようなことをしてきている経営者だけで、従業員は遅ればせながら労働力流動化の波に乗って行きます。炭坑がなくなったとき、同じような現象が起きました。あのときは建設業が受け皿になりましたが、今度は、日本に回帰してきている製造業でしょう。
 早く業務をIT化し、一人で出来る仕事は一人でやる業界にし、若年労働力を受け入れる体制にして行かなければ、建設業滅亡の時はすぐに来るでしょう。



2006年2月20日

 (1)前回の補足
  前回、技術士2次試験の「対申込者受験率」を計算しましたが、よく考えてみると、失格者の割合がわかりません。おそらく「対申込者受験率」この中に、棄権(会場で途中退場)とともに失格者も含まれるのではないかと思いますが、果たしてどれくらいの率なのでしょうか。

 (2)「日本には建設業が必要です」
 1月21日の本欄に紹介した「日本には建設業が必要です」(米田雅子+地方建設記者の会:建通新聞社)を読んでみました。地方建設業は、もう新分野に進出することも出来ないほど疲弊している、その実態報告を期待して読んだのですが、それについては福島県、長野県の紹介が目立つくらいで、あとは、「建設業はこんなにがんばっているのだ」という内容でした。がんばっているのに世間にはそう取られていない、報告するというより、なんだか恨み節のような印象を受けました。がんばったからと言って評価されないのは他の分野でもたくさんあります。それより、建設業は今まで、そうしたがんばりを「世間」に向けて発信してきたでしょうか。
 地方建設業には、現内閣が変わればまた公共事業費が増えるとたかをくくって、バブル崩壊後の10数年を無為に過ごしてきたことへの反省が全く感じられません。同情を引くことに専念しているだけでは生き残れないというのは、過去にもいろいろな業界であったことです。
 同時に、本書にもあるように、発注者側も、地方建設業の行く末を真剣に考えていた様子はありません。これは、建設業という業界には、官製談合などという言葉に象徴されるように、おそらく発注者も含まれるからです。つまり、地方建設業(地方発注者含む)全体として無為無策の期間が続いたのでしょう。
 2月17日の「日本経済新聞」一面トップは、「公共事業GDP比で削減目標」「「現状の1/3に圧縮」案も」という記事でした。国土交通省はこのペースで予算を削減していくと2020年度にはインフラの更新投資さえ出来なくなると反論していますが、なんだか弱いトーンしか感じられません。
 日本には建設業が必要なのは当然と考えますが、なぜ必要かの理由が「がんばっているのだから、従事者が多いのだから」では、何ともならないのではないでしょうか。では、なぜ必要なのか。社会のインフラを構築するのは直接的には建設業だからです。もっとその点を強調しないと、荒廃した日本が出来てしまいます。もう十分に荒廃しかかっていますが、その責任の一端は考えない建設業にあったのではないでしょうか。

 (3)「自動車道橋脚で偽装」
 2月17日の「読売新聞」一面トップは、高架道路橋脚の基礎杭頭の出来型偽装があったことの記事です。本日(2月20日)にもフォローの記事が出ています。「日経コンストラクション」2月10日号特集は「土木でも「改ざん」続出」でした。これからますますこうしたことが明るみに出るでしょう。なぜなら、土木では、できあがってから検査しますが、そのとき基準値に満たない場合、どのような対策をするかは決められていませんから、基準値通りに出来たとするしか検査合格の方法は無いのです。「強度には問題がないと考えている」というコメントがありますが、それならば基準値はあってないようなものです。「土木は性善説で成り立っている。だまそうとする行為が頻発するようならば、土木のルール自体を変えることも検討しなくてはいけない」とのコメントもありました。これにも少し疑問があります。検査手順の問題ではないかと思います。段階確認で異常が発見されたら振り出しに戻れる仕組みを徹底しないと(つくってあるはずですが)いけないことです。どのような工法かわかりませんが、削孔経を確認してから鉄筋籠挿入、コンクリート打設と、振り出しに戻れる機会はいくつもあったはずです。それでもそれが行われなかったのは、いつでも同じ理由です。「工期の遅れを避けたかった」と。耐震補強のアンカー切断の時も同様でした。

 本日は、視点がバラバラでした。反省。
 
 




2006年2月11日

 連続での技術士試験感想です。

 日本技術士会のホームページには、統計情報というページがあります。平成17年度の情報を見ていると、「対受験者合格率」最低は「環境部門」の10.5%ですが、「建設部門」の14.2%がそれに次いで低く目に付きます。もっと目に付くのは、「対申込者合格率」で、これも「環境部門」6.9%「建設部門」8.5%です。
 この表では計算されていない項目として、「対受験申込み者受験者数があります。それを計算してみました。

技術部門

受験

申込者数

(人)

受験者数

(人)

 

対申込者

受験率

(%)

合格者数

(人)

 

対申込者

合格率

(%)

対受験者

合格率

(%)

機       械

786

586

74.6

158

20.1

27.0

船舶・海洋

10

9

90.0

3

30.0

33.3

航空・宇宙

25

17

68.0

5

20.0

29.4

電 気 電 子

1,059

729

68.8

118

11.1

16.2

化       学

153

120

78.4

24

15.7

20.0

繊       維

29

18

62.1

10

34.5

55.6

金       属

117

91

77.8

25

21.4

27.5

資 源 工 学

25

16

64.0

6

24.0

37.5

建       設

16,661

9,994

60.0

1,424

8.5

14.2

上 下 水 道

2,097

1,247

59.5

248

11.8

19.9

衛 生 工 学

812

527

64.9

99

12.2

18.8

農       業

1,173

693

59.1

154

13.1

22.2

森       林

191

123

64.4

27

14.1

22.0

水       産

107

68

63.6

20

18.7

29.4

経 営 工 学

138

107

77.5

28

20.3

26.2

情 報 工 学

446

309

69.3

48

10.8

15.5

応 用 理 学

643

453

70.5

90

14.0

19.9

生 物 工 学

53

39

73.6

11

20.8

28.2

環       境

777

512

65.9

54

6.9

10.5

原子力・放射線

286

232

81.1

75

26.2

32.3

総合技術監理

5,865

4,089

69.7

1,037

17.7

25.4

合  計

31,453

19,979

63.5

3,664

11.6

18.3

 「建設部門」はちょうど60%です。つまり、受験料を払い込んでいながら60%の人しか受験していないのです。何とももったいないことです。合計でも63.5%ですから、極端に低いわけではないので、過去の傾向も計算してみました。下図のようになります。

 多少上昇傾向も読み取れますが、これも7年間を平均すると59.0%です。私の知り合いにも、業務の都合で受験しなかったという人が少なからずいますが、4割の人がそう考えているのであれば珍しくはない様です。技術士会の収入増で貢献しているなどとは冗談にもいえません。
 ここはやはり、万難を排して受験する、受験したなら評価を得られるように最後まで中途退席しないでいるという態度が重要ではないでしょうか。中途退席者、失格者の状況もわかるとよいのですが、なかなかそこまでは技術士会に要求できるものかどうかが難しい。

 こう考えると、「環境部門」と「建設部門」の合格率の低さは、どこに原因があるのでしょうか。過去にもたとえば「電気電子部門」が他と比べて低く、問題の程度が難しすぎたのではないかというようなことがささやかれたことがあります。
 しかし、受験指導を専門にされている方に伺ったところ、言下に「建設部門の方は勉強しないですから」といわれてしまいました。欠席も多くしかも勉強しないで受験するとなれば、あまり好ましい状況とはいえません。
 平成19年度から試験方式が変わることもあり、平成18年度の受験動向が注目されるところです。

 なんだか計算してみただけの、尻切れトンボになってしまいました。

 


2006年2月10日

 技術士試験の合格者が発表になりました。(社)日本技術士会のホームページに掲載されています。合格された皆さん、おめでとうございます。技術士の世界にようこそ。残念ながら届かなかった皆さん、気持ちを切り替えて今年度にチャレンジしましょう。次の機会はあと半年先ですから、如何に早く切り替えるかが大切です。

 新聞などによると、個人情報保護の観点から、こうした発表の際、個人名は出さないという報道があったので、果たしてどのようになるかと思い、5時にアクセスしてみましたが、受験番号と個人名の組合わせ発表は例年通りであったようで、何となくほっとしました。受験者にしてみれば、受験番号だけでなく自分の名前があったほうが喜びも倍増でしょう。これで不利益を被るという考え方がよくわかりません。ダイレクトメールが届く、などの問題があるようですが、発表には住所はないので、それは他からの漏洩でしょう。本当にあったとすると、それはそれで大変なことですが。
 個人情報保護の過度な適用に対する憂慮表明は読売新聞などでキャンペーンが行なわれていますが、どうもそれは深く静かに進行しているようです。
 不在票をもって郵便局に行ったときなど、本人確認をされますが、確認書類のコピーを拒否する人に最近会います。通勤用の自転車に名前を書いていることは普通だと思っていましたが、それも止めているという人にも会いました。

 氏名というのは単なる記号のようですが、しかし最も個人情報の凝縮したものです。大ベストセラーになった「ジャッカルの日」(フレデリック・フォーサイス)の中で、警察が正体不明の暗殺者を追う手がかりをつかむ場面で、偽名であろうともともかく名前がわかれば追跡はできるという場面があります。昭和天皇が、側近が雑草といったとき、雑草という草はないと諭されたという話もあります。名前があると言うことは、この世の中での個の存在が確認できるということです。新種の動物や植物、細菌など、発見されればまず(その系統などの探求は後にして)名前が付けられます。猿学の発展した理由の1つに、個体識別のため、群れの一頭一頭に名前を付けて観察したということもあります。ものや生き物に名前を付けると言うことは、人間が人間となった最も根本的な理由であると思います。
 そうした名前を秘匿するということは、この世の中で個の存在を秘匿するということにならないのでしょうか。秘匿することを望んでいる人は、それこそ単なる記号である数字などで自分を表したいのでしょうか。自転車に書く名前であれば、自分だけがわかればよいのでそれこそ○×でもよいでしょうが。

 もちろん、個人情報保護というのは名前だけの問題ではなく、そのバックにある個の情報のことを言っているので、それはそれで大切なのですが、どうも個人情報=名前、住所、電話番号、などのようなとらえ方をしているようで気になっていました。

 何はともあれ、私が少しアドバイスをした受験生も二人見事に合格していました。これも受験番号だけではわからなかったことです。アドバイスがどれだけ役に立ったかどうかはわかりませんが、少なくとも私は少し自分が役に立ったと思って自己満足しています。





2006年2月2日

 平成19年度から変更になる技術士2次試験の概要が、1月30日付で発表され、(社)日本技術士会のホームページに掲載されています。詳しくはこちらを見て頂くとして、以前(2005年10月22日)この欄でも書きましたが、パブリックコメントによって多少の変更はあった(試験時間など)ものの、大筋では原案通りとなっています。
 最も大きな変更は、技術士試験名物(?)技術体験論文が、筆記試験合格後、口頭試験の前提出となったことです。

 私は、これが無くなったら技術士試験ではないような気がしていますから、そして廃止の理由が受験者の負担軽減という理由になりにくいと思われる理由でしたから、そのとき反対意見を投稿したのですが、それらの集計についてはまだ発表されていないようです。発表されるのかどうかは知りませんが。
 受験者の負担軽減という理由では、世間(技術士の世間)では、今度は複数の人が書くから、完璧なものが出来るなどの陰口もありました。その点をどう担保するのかと思っていたら、口頭試験の時間が、1.5倍の45分になりました。
 これは考えてみるとちょっと大変です。試問事項が3点ありますが、この時間配分は決まっているわけではないので、全部論文をもとに行なわれたら(受け答えでU、Vも採点できる)45分間、自分の手元には何もなしで、自分の書いたことに答えなければならないこととなります。
 まあ、職種によってはクライアントと話をすることが大きなウエイトを占める場合もありますから、45分というのは人によって長短の感じ方が違うでしょう。
 しかし、これは試験ですから、会社に帰ってから「先ほどの補足・・・」などと電話することはできません。よく、受験指導などで、クライアントに接するように話せばよいというベテラン指導者を見かけますが、段々旧制度の技術士に指導を受けたのでは、的がはずれてきそうな気がしますよ、受験をお考えの方。

 まあ、制度のせい(技術者としてのライセンス。一級建築士のようなものか)として、近年は技術士受験指導が花盛りです。私が最初に受験した頃は、指導などしてくれる人はおらず、(いま考えると現在行なっている団体で、当時から指導をしていた団体もあるようですが、全く知らなかったのは、中堅建設業にいたからでしょうか)参考書などはなく、大変といえば大変でしたが、反面自分の書いた文章が直される屈辱(?!)はありませんでした。あるのは不合格のハガキのみ。何が悪くて不合格なのか、一切わかりません。
 私はへそ曲がりのせいか、こうした試験が好きで、「傾向と対策」本は、大学受験の時もあまり使いませんでした。(その結果というか報いというかがしっかりと出ましたが)
 総合技術監理部門が出来たときも、一回目でなんだかみながよくわからないでいるようなので受験しました。このときはCMという青本的には完璧な材料をもっていたので、なんとか合格しました。

 別に回顧談や自慢をするわけではありません。ある技術士受験の掲示板を見ると、何がわからないから教えてくださいとか、私はどうしたらよいでしょうとか、甚だしいときは、どの部門を受験すればよいでしょうかなどという投稿があります。そのぐらいのことを自分で調べず、自分の考えが無くてどうするのでしょうかね。そうした人に独創性を含んだインパクトのある論文をと指導しても、出来るわけはないでしょう。私は仕事の1つとして受験指導をしていますが、まあ、その板を運営されている方々のボランティア精神には頭が下がりますけれど。

 何はともあれ、2月10日の5:00を待たずに、早くも平成18年度の受験は始まりました。
 

 


2006年1月21日

 今日は雪で私の関係しているNPOの会合が中止となったので、このところ開設に忙しかった「e−ラーニング講座」(1)(2)(3)の資料を片づけながら、読んでいなかった本や雑誌に目を通しました。

 その一つが、「公共工事品確法と総合評価方式 条文解説とQ&A50問」(日刊建設工業新聞)です。まとまった本は、本書がおそらく初めてなので、興味を持っていましたが、まだ読んでいませんでした。内容はほとんどが解説ですし、参考資料的なものはインターネットで読むことが出来るため、びっくりする様な内容ではないのですが、これも私の関係する技術士チームのテーマなのでまとめての勉強です。

 大きな問題の1つに、発注者支援の問題があります。この欄でも、ずっと以前に書いたように、地方公共団体には、技術者のいないところもあるようなので、国や県が支援しなければいけないのですが、今のところそうした機関は「建設技術センター」などが考えられています。私たちのチームは、技術士の団体が、その総合力を発揮して、この発注者支援機関になれないかと言うところからが出発点です。
 本書の101ページに、「民間企業であっても、必要な条件を満たしていれば支援機関として区別する必要はないと考えられます」とありますが、「企業」というところが引っかかります。公益法人の見直しもあることですから、企業としてではなく、第三者公益法人として技術士会が参画できればよいと考えますが、方向性としては、まだまだです。
 そこで我がチームは、そちらの方向は漸次進めることにし、品確法と総合評価方式に対応する民間企業(受注者)への支援も考えることにしました。現在はその勉強中ですが、近いうちに何らかの方向性を打ち出したいと考えています。

 もう一つ読んだのは、いつもお世話になっている「日経コンストラクション」1月13日号特集【荒廃する日本の社会資本】です。
 このところ、予算の減少に伴って、建設業の淘汰や新分野進出ばかり考えてきた結果が、社会資本の荒廃を招いたのです。淘汰と共に育成を考えなければならなかったのですが、いかんせん数が多すぎました。
 しかし、15年後にはいまの半分になるとの予測が出ています。(同56ページ)そして、その中にはいるためには、品確法に対応した「技術力」確保が必要だともあります。
 社会資本の荒廃は、1つは老朽化、1つはメンテナンス不在からですが、土木資本の長寿命化やメンテナンスは、これまではあまり建設会社の目指す方向性とはなりませんでした。それは、発注者がそう考えなかったからで、今後は少し変わっていくでしょう。何しろ少子高齢化は、もう将来のことではなく、現状になってしまったのですから。
 日本には建設業が必要です」(建通新聞社:米田雅子+地方建設記者の会)との本がありますが、全くその通りで、これも読んでみたい本です。米田さんという方は、早くから新分野進出を説いてきた方です。しかしこの本のキャッチコピーは「地域を、国を守るために建設業は未来永劫必要なんです!」です。中身はまだ読んでいませんが、何となく気になります。

 一級土木施工管理技士試験の合格者が20日発表されました。19,379人の技術者が誕生しました。この人たちが、地域を守るために活躍できるために、何が必要なのでしょうか。





2006年1月11日

 昨日10日の「日本経済新聞」1面に、「公共工事 入札企業 民間が認定 国交省 一般競争入札を拡大」という記事がありました。「履行ボンド制度」を検討していて、「一部の金融機関も手数料ビジネス拡大につながると保障業務に前向きになっている模様」としています。これは、ずいぶん以前から導入されるといわれながら、実現しませんでした。
 同省の2004年8月「公共工事の入札契約をめぐる制度体系」を見ると「
現状においては、履行ボンド予約の制度の導入は、主に引受機関の問題から困難」とされていましたから、ここ1年強でなにか変化があったのでしょう。本当に実現するかどうか見守りたいと思います。
 しかし、ここで保証されるのは財務的なことで、施工能力とはまた違っている分野ではないかと思います。施工能力には技術力も含まれなければならないはずで、その技術力を保証するほうはどうなるのでしょうか。工事成績のデータベースを作るという方向が、「品確法」対応で言われていますが、ここで施工能力=財務体質+技術力とした保証が行われれば、金融機関では後者の審査は難しいでしょうから、技術士の出番があるのではないかと、初夢ですが思ってしまいました。

 もうひとつ、「首都圏外郭放水路」トンネルにおける平成14年ごろおきた現象であるセグメントの剥落についての記者発表が関東地方整備局(リンク先ページの記者発表)1月5日にありました。
 大深度大口径で内圧のかかるシールドトンネルということで、技術士会でも施工中の見学会が以前あり、私も参加し、見てきたことのあるトンネルです。
 発表の写真を見ると、かなりひどいようで、満水時内圧と空にした時の外圧でのセグメントの動きに、水膨張性止水シールが膨張するのみで追従しないためが原因のようです。対策は、二次覆工を行うとのことです。
 最近、止水シールの性能向上と、継ぎ手形状の変化で、トンネル内面の平滑さが保てるようになり、二次覆工は省略されることが多いのですが、大深度内圧トンネル
では、考え直さなければならないようです。 この発表でも、「発生要因は予測し難い新たな知見であった。」と、強調しています。
 
 新年の話題が、今回もそれぞれ行方のウオッチを欠かせないものとなりました。

 


2006年1月1日

 新年明けましておめでとうございます。
 いつもこのページにおいでいただきありがとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 年の初めの話題としてはなんだかふさわしくないようですが、これは避けて通れない事件ですから、一言します。
 振り返れば昨年暮れは「構造計算書偽装」問題が、どこまで広がるのかという不安と不信が解決されないままに過ぎました。ついに建築界のみならず土木界まで、その渦中にいたことが明らかになりました。この声明は毎日新聞に対するものですが、読売新聞によれば、何も知らずに(知ろうとしなかった?)「総研」の推薦状を書いたコンクリート学者がいたとのことです。しかもその肩書きは、土木学会のコンクリート小委員会委員になっていましたから、土木学会はその人の権威付けにされたわけです。
 技術士の名義貸しが時々話題となりますが、学者の世界でもこうしたことが起きているようです。こうしたことというのは、信義に対する裏切行為です。学者だからといって、すべての人が善人であるとは思ってはいませんが、推薦状を読んだほうは本当のことが書いてあると思うでしょう。

 お隣韓国ではES細胞の捏造が起きました。あたかも「旧石器捏造」のような事件ですが、私の気持ちの中では悔しい思いがまたまたしています。
 それというのも、座散乱木遺跡で旧石器発見の最初の報道があったとき、私はちょうど千葉県のある遺跡の近くでシールド工事に従事しており、これがきっかけで考古学に興味を感じ、いろいろ勉強しました。それが20年以上たって完全な捏造であったといわれた悔しさが思い出されます。
 このときも、捏造した本人は学者でもなんでもないのに「神の手」などと持ち上げた学者たちがいました。その中の一人は、当時は自分の学説が証明されたといっていたのですが、捏造が明らかにされると何の反省もなく、今では奈良文化財研究所にいます。
 さらに、人間の脳死移植の問題では、私は移植そのものには反対ではありませんが、これは過渡期のことで、ES細胞の研究にもっと予算をつぎ込めばよいと思ってきました。ES細胞が本当であれば、他人の臓器を移植することはなくなります。何度か、そのような意見を述べたこともあり、韓国での発表があったときは、やっとその方向に世界が動くと期待しました。残念ですが、ES細胞研究は協力なブレーキがかかったようです。

 このように、私が期待したことは、学者や技術者の一部が行った行為によって覆されています。昨年までは。私が期待しても、それがどうしたといわれそうですが。
 今年はどうでしょうか。新年早々あまりよい展望は開けないでいますがしかし、気持ちの切り替えは何かを生み出すでしょう。寝ておきて昨日とはなんら変わらないのですが、今日は新年最初の日です。誰かがこうした状況を、今年は変えてくれるでしょう。私もその中に参加していきたいものです。

 新年早々あまり明るい話題ではないので、将来展望をひとつ。NASAは2030年ごろ火星に人を送る計画だそうです。人面岩の真相を探るのでしょうか

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