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技術士のひとりごと 2008

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2008年12月27日

12月23日の読売新聞茨城版に、『霞ヶ浦・北浦に市町村境 交付税8000万円増額』という記事がありました。境界線が決まっていなかった霞ケ浦と北浦に境界線が決まり、「面積などに応じて配分される地方交付税が沿岸市町村で計約8000万円増えると試算され、財政難に苦しむ自治体にとっては朗報となる。」とあります。
琵琶湖でも市町村境界がなかったが、2007年に決定したところ、地方交付税が計約2憶8000万円増え、それに刺激を受けたことが始まりと、記事にはあります。

この記事で私が知らなかったことが2つあります。2つと言えば全部ですが。

その1。
地方交付税の分配に自治体の人口だけでなく面積が関係していたこと。
その2。
霞ヶ浦のような日本第二位の大きな湖でも境界が決まっていなかったこと。

まれに、山の頂上がどの自治体に属するかの裁判などのニュースを見かけたことがありますが、それとは違う実質的意味をもつことのようです(山頂帰属も実質的意味を持つのかもしれません。認識不足ですが、今回は立ち入りません)。少しインターネットを検索してみただけで、境界未確定の自治体はかなり多くあるようです。
国土地理院のホームページにも、この記事の個所について【A:霞ヶ浦は、水面が境界未定のため、沿接する次の市町村の面積には含まれません。土浦市、石岡市、潮来市、稲敷市、かすみがうら市、行方市、小美玉市、稲敷郡美浦村、阿見町 B:北浦は、水面が境界未定のため、沿接する次の市の面積には含まれません。鹿嶋市、潮来市、行方市、鉾田市】などとありました。
私などは仕事柄、官民境界については注意して過ごしてきましたが、官官境界についてはあまり考えては来ませんでした。しかし、この記事を読むと、結局のところ、(その1)が原因となって(その2)が起きていたようです。地方交付税については、例によって私のような素人ではなかなか理解に苦しむ制度のようですが、このページの「6 普通交付税の額の決定」にある、基準財政需要額=単位費用×測定単位×補正係数 という式の「測定単位」の下側のカッコ内説明に(人口、面積等)とありますから、このあたりが根拠であるようです。
今回のように、沿岸から等距離にある点を結んだ線を境界と早くから決めてしまえばなんら問題はなかったのでしょうが、そこには、歴史的経緯やら何やら住んでいる人のいろいろな思いがあったのでしょう。
それはともかく、確定しなければ交付税が入らないとなれば、これはいずれにしろ確定しなければならない、ということで(その2)が解けます。

さて、疑問がわいてきます。自治体の境界はだれがどのようにして決めるのか、もしくは決めたのか。
この記事にも、以前国(国土地理院)が問い合わせたが自治体からは未確定という返事があったため、地図には書かず、したがって各市町村の面積に算入していないとありますから、少なくとも国が決めることではないようです。関係する自治体がよりあって合議のうえ決めるようです。決めたことを県を通し国に届けて確定する仕組みとなっているようですが、関係する自治体が2つの場合と、4色問題ではありませんが、複数ある場合とでは、その手間は大きく違うでしょう。

しかしながら、いま決まっている境界はいつ決められたのかがわかりません。県境などの場合は明治維新後ですから、あるいはその時(もしくは地租改正時)に日本中の境界が決まったのかとも思いますが、そうであれば、中央集権国家が、部分的に決めないで残しておいた意味がわかりません。先の山頂の例と違って、裁判などで争っていた様子もありませんが、もしかするとそのような事例もあるのかもしれません。

あるいは、戦後地方自治法ができてからかもしれないと思い同法を読んでみると、9条の三に「公有水面のみに係る市町村の境界変更」などの文言がありました。それに、9条の二には、「市町村の境界が判明でない場合において、その境界に関し争論がないときは、都道府県知事は、関係市町村の意見を聴いてこれを決定することができる。」とあります。

以上を総合すると、いつの時点にか決まっているとされた境界は地図(国土地理院の作成した地図)に描かれているもので、それが地方交付税の根拠となる面積の根拠となるのであるということができそうです。つまり、地図ができたときが決まった時ということでしょう。

ふと思い出し、「地図に訊け!」(山岡光治著 2007年 ちくま新書663)を読んでみたら、こんな文章がありました。
地図に表示されている行政の界は、地図の上で当該市町村が確認できた箇所を表示する決まりになっていて、地図作成者が現地確認したのではない。地図作りの者は、当該市町村の主張が一致した境を地図上に忠実に表記して済ませているだけ。あくまでも、当該縮尺の地図の上でのみ決着が付いているだけだから、時間の経過によって、混乱する事態になる。」(80ページ)
なんだか危うくなってきましたが、考えてみればその通りで、現地に境界線を引くことなどできませんから、境界線とされたところが改変されて税収の対象などになってくると、紛争のタネになるのでしょう。
そのとき、紛争の渦中に二万五千分の一地形図が証拠の品として登場をお願いされても困惑する。湖などについても同様だが、琵琶湖や霞ケ浦、十和田湖、浜名湖などの大きな内水面では、思惑がすぐそこに見えているから、いつまでも境界が確定していないが、平成の大合併でいくらか事情は変わるかもしれない。」(同)

著者の考えていた事情とは幾分違うとは思いますが、まあ、円満に解決して紛争にならなかったのは何よりでした。





2008年12月14日

このサイトにあるとおり、私の所属する茨城県技術士会では、いくつかのチームを組んで、それぞれ活動を行っています。その中で、私は「技術教育プロジェクト」に属しているのですが、ここでは最近の理科支援員等配置事業(SCOT)での活動のほか、発足当時から技術サロン「ザ・技術士」という会合を持っています。
当初、無料の技術相談の看板を掲げ(今でも降ろしてはいませんが)、複数部門の技術士が待機しているのだから、その時間で、誰か当番を決めて何か話をしようということになり始まったのが、ミニ講演会で、今年12月6日ついに100回目を迎えました。
2時間半のうち1時間半ぐらいをお話にあて、残りの時間は質疑応答というか、お話に触発された勝手な議論をします。最初はプロジェクトメンバーの回り持ちでしたが、それでは視野が狭くなる(ネタがなくなる)ということで、茨城県技術士会会員から募り、もっと広げ、とにかく何か話をしていただける人と広がってきました。途中からは見学会も企画するようになっています。

部門の違う技術士の話を聞いていると、それだけで貴重な勉強になり、また技術士でなくともなにか専門を極めた方のお話は、この機会がなければ決して聞けないため、これもまた貴重な時間です(連れてきてくれたメンバーに感謝)。茨城県技術士会のCPD時間の認定もされています。
それにしても、当初は100回継続するとは想像もしていませんでした。1年12回ですから8年以上です。その内容をまとめた抄録集も2冊となり、このほど国立国会図書館に納本しました。その礼状がここにあります。

そして、100回目の当番が私に回ってきていました。
100回目の当番が私だということは、割り当てられた今年初めには気がつかず、同じ茨城県技術士会10周年記念誌を10月末に読んだときに、ある中心メンバーの文章で気がついたので、もう話す内容の準備はあらかたできていました。少しは100回記念にふさわしいものにしようかとも思ったのですが、そう急な方向転換もできず、まあ考えていたテーマが、近代土木技術の黎明期に関することなので、そのままにしました。

というわけで、無事100回目の話題提供を終えることができました。どなたの提供する話題もオリジナルなもので、本来であればその内容を逐一一般に公開しておくことが良いのでしょうが、引用画像など著作権にかかわる処理があるため、Webでの公開は無理があります。
今回の私の発表も、いわゆる明治期の古写真と呼ばれるものの中から、土木工事(主として鉄道橋梁工事)にかかわるものを趣味で収集しておいたのをスライドで見ていただいたものです。
明治期であれば著作権の消滅しているものが多いのでしょうが、たいていは所有者の許可なくては公表できません。私は趣味で収集しているため、原本ではなく著作物からの複写ですから、なおのことです。

サイトで見ることのできる古写真データベースで大きいのは長崎大学附属図書館「幕末・明治期日本古写真超高精細画像データベース」や、国立国会図書館所蔵写真帳「写真の中の明治・大正」などがあります。
しかし、ご覧になればわかりますが、土木工事の写真はほとんどありません。土木学会にも画像のアーカイブスがありますが、時代が大正以降と、古写真というのはどうかと迷います(しかし、話は横道にそれますが、この中の雑誌「土木建築工事画報」全巻を収録(1925(大正14年)年2月〜1940年(昭和15年)9月)したページは圧巻で、見ていてまったく飽きません)。

このようなわけですが、「ザ・技術士」は、ごく内輪の会合ですから、しかも配布用印刷物にはしていませんから、紹介だけはできると考えたわけです。多くの最近は、鉄道古写真の本なども多く出版されていて、その編集者や読者には意想外でしょうが、中には工事中の鉄橋やトンネルの写真がいくらかあり、これが非常に役に立ちました。そんなこんなで、約半年かけて収集したお話は、1時間半ほどで終わりました。解明できなく残った謎は多いのですが、これは趣味ですから時間をかけて解明し、またお話できればと思っています。

100回目で思い出しましたが、私が技術士会の仲間と、技術士会とは関係なく活動しているNPOがあります。こちらもおおむね1回/月で活動していますが、11月の会合が100回目でした。いずれも、私がゼネコンを退職して技術士会に入会した後、ほぼ同時期に開始したので、不思議はありませんがこちらもまた良く続いたものだと思います。いずれも、中心になっておられる方の情熱が途切れなかったことが最大の理由でしょう。

私はと言えば、最近どちらも欠席がちですが、次の100回目に向かってぼちぼち再スタートしようと思っています。







2008年11月27日

メインで使用していた自作パソコンの故障が起きました。電源ユニットと冷却ファンで、けたたましい音を発するようになりました。これだけなら取り換えれば済むことなのですが、動画を見るとモザイクが入るようになり、メモリも故障しているようです。
この旧機は2003年9月に作ったもので5年たっています(5年で壊れる製品なんて、と家人からは白い目で見られています)し、先にこの欄で書いたように、オンボードのLANも故障していますから、久しぶりに自作3台目に挑戦することにしました。
電源ユニット付きパソコンケースとマザーボード、メモリとDVDスーパーマルチドライブ(これは必要なかったのですが、気分一新。安くなりました)、HDDの容量の大きいのを新品で購入しました。
最近は激安パソコンが出回っていますから、購入したほうが安い場合が多いのですが、CPUにCore2Duoを入れたかったので、そうすると自作のほうがいくらか安くなりました。

というわけで旧HDDからのデータ移行などで手間取り、この欄の更新が滞ってしまいました。なぜ手間取ったかというと、この際だからHDDの内部をよく整理しようと考えたのです。何しろ、独立してパソコンを頼りに仕事を始めたのが1999年で、それからのデータがメールも含めてすべて保存してあり、HDDの中がまるで私の机の上や本棚のような有様です。もっと悪いことに、机の上の紙や本棚の本は一目見て処分してよいものと悪いものを区別できます(本当かい)が、HDDの中には重複して同じものがあちこちにいくつもありますから、始末が悪いのです。今までの整理とバックアップの方法がいい加減だった報いです。
この原因は何か。中身が同じでも、作業途中でファイル名を変えたもの、解像度をWeb用に落とした同じ写真(厳密にはこれは別物)、たしか以前ダウンロードしたはずだと思っても探すのが面倒で再ダウンロードしたPDF資料などなどなど。重複ファイルを探してくれるソフトがあるところをみると、そうした需要(私のような人)が多いことは想像がつきます。いつかこの欄でも書きましたが、紙の書類の総電子化などということを始めたばかりに、この傾向にますます拍車がかかっています。2〜3日重複ファイルの整理を試みたのですが、結局あきらめました。またいつかまとまった時間をとって挑戦しようと思います。そのころは、整理の必要もなくなっているでしょうが。
HDDの容量が大きくなり、コストパフォーマンスが上がっても、なかに整理しないで詰め込んでおくと、今度は整理に時間をとられ、結果としてコストパフォーマンスは下がります。整理するとは捨てることだといいますが、最近でも、処分した本が必要になったことが度々あります。人間は未来を予測することは(完全には)できないので、いつか必要になるときがある(だろう)としてすべて保存しておくか、必要になったらまた入手すればよいと考えて、時間順に処分していくか、どちらかに決めなければなりません。
先のようにすると、とても私のようなうさぎ小屋では間に合わないのです。亡くなった後で膨大な蔵書をどこかに寄付したなどという話を聞くと、うらやましい気がします。技術屋の集めた本などは、時間が過ぎればどこも引き取ってはくれないでしょうけれど。
後者のようにすることが「整理術」だというようなことは、何かの本に出ていましたが、必要になるたびに購入することは、なかなか懐が許してくれません。

というわけで、電子情報であれば、物理的空間はずっと少なくて済みますから私向きです、と、慰めています。全文検索をかけて、必要なファイルを探す時間は、積んである本の中から目的の本を探すより、なんだかとてつもなく無駄に感じます。写真がデジタルになっても、写真用プリンタが次々発売され売れるのは、やはり紙の魔力なのでしょう。人類史上最大の発明は紙です。常日頃、整理整頓ができていない現場は、安全もできていない、などと言ってまわっている割には、紺屋の白袴です。むろん電子情報ですから話は少し違いますが。

というわけ(3回出ました)で、今回もまたいいわけでした。




20008年11月14日

「こくぶん祭」というのが行われました。正式には「第23回国民文化祭:いばらき2008」といいます。11月1日から9日まで、茨城県各地で、いろいろな催し物が行われました。わが茨城県技術士会のメンバーも、オペラなどに出演なさったりして活躍されました。
私といえば、とんと文化芸術とは対局にいますが、時々この欄で、ももごもごお話ししているように、また、このサイトでも細々と連載しているように、平将門関係の歴史に興味があることはあります。

というわけで、「こくぶん祭」の一環として行われた「シンポジウムin坂東」(11月8日)に行ってきました。
坂東市では11月16日が将門祭りです 市民音楽ホール「ベルフォーレ」にも将門がいました

作家立松和平氏の講演と「将門の人間像」と題するパネルディスカッションです。坂東市には立派な音楽ホールがあって、そこで一度だけオーケストラ演奏を聴いたことがあります。その広い会場がほぼ埋まるほどの聴衆がいたのには、少々驚きました。さすがご当地だけあって、将門にこんなにも関心がおありかと、感心したりしました。
しかし、それも宜なるかなです。何しろ、コーディネーターが村上春樹氏(同姓同名の作家とは違い、こちらはその著書に私がいつもお世話になっている将門研究の国文学者です。著書「平将門伝説」(汲古書院)ほか)、パネラー(このようにチラシ案内にもありますが、これは和製英語で、正しくはパネリストであるといいます)には、かの川尻秋生氏(早稲田大学。著書「平将門の乱」(吉川弘文館)ほか)が参加されています。ほかに高橋修氏(茨城大学)、宮瀧交二氏(大東文化大学)も参加されていますが、このお二方は私の勉強不足で、今まで存じ上げませんでした。
村上先生も川尻先生も、私の感じるところ、今までの将門(とその時代)像をかなり修正された方です。歴史学上の最近の研究成果は、私が高校生の時学んだ日本史の内容を大きく変えていますが、このシンポジウムでお話しされた現在の将門研究の成果でも、その内容が大きく変わりそうな印象を受けました。
基調講演の立松和平氏 パネルディスカッション

基調講演の立松和平氏は「利根川の文化と文学」と題されてのお話でしたが、「坂東の川は皆、利根川に流れ込んでいる」という視点が、シンポジウムでも少し語られました。少しと書きましたが、話題全部はとても書ききれませんし、私としては、この視点による以下の点がもっとも勉強になった点ですので、この点を書いておきます。

将門の時代、もっと強調されてよいのは、水運である。よく「将門記」を読んでみると、「
良兼は、桓武平氏の族長的立場にあり常総の内海から鬼怒川・小貝川水系を通じて下野まで影響下に収め」ていたが、「将門の北下総の水系掌握により」「勢力圏は分断され」それが、将門の乱の原因ではないかと考えられる、これが、高橋先生のコメントの主題であろうと思いました。
今まではなにか、将門というと、鎧甲に身を固め、荒野を騎馬隊で駆けめぐるというイメージでした。小説にも馬の記述はあっても、あまり水運の記述はなかったように思います。もちろん、それもあったでしょうが、物資(軍事物資に限らず)の輸送は、宮瀧先生ご指摘の通り、馬では限界があり、船のほうが大量輸送に向いています。この地方が、古代は豊かな水系が縦横に走っていた、という視点が、地形を現在でみる私には欠けていたようです。
赤城宗徳著「新編将門地誌」(筑波書林 昭和62年)の118ページには「
岩井を京都になぞらえ、そこに王城を建てようなどという大それた考えは大いに疑問であり、水運を利用して、まず経済的基盤をかためようとした」とあります。今更ながら、こうした視点を見逃していたことに気がつくのです。

この点を強調された研究が、茨城県立古河第二高等学校の内山俊身教頭先生が、「地方史研究協議会08年度大会」で発表された「古代・中世における猿嶋郡域の歴史的特質」なる報告であるとのご紹介もありました。
そして、内山先生は将門研究の最大論点の一つ、将門によって東国は独立したか、について、この猿島郡西部水系を将門が掌握した形跡のないことから、東国独立は実体がないと結論されているそうです(私は、この報告文は未読。高橋先生は、こうした視点からの研究がもっと行われることを期待)。
もう一つの論点である将門は「武士」か(武士の発生)、について、川尻先生がさらっと語られました。この点は先の「平将門の乱」に詳しいので、省略します。私の印象はこちらに記してあります。

後先が逆になりましたが、立松和平氏のお話は、「足尾鉱毒事件」の田中正造と、小説「土」の作者である長塚節についてであり、将門については氏も勉強不足のような感を受けました。こんな訳で、今年もまた、坂東市で将門の話を聞いてきました。昨年の記録はこちらです。




2008年10月24日

わが茨城県の北茨城市と高萩市にまたがってある「石岡第一発電所施設」が、国指定重要文化財に指定されることになったそうです(10月21日「読売新聞」茨城版)。記事では「鉄筋コンクリート技術を用いた国内で最初の発電所施設。なかでも本館は、現存する鉄筋コンクリート建築物として国内で最古級だという。」とされています。こうした文化財として指定されるものは圧倒的に建築物が多いようなので、ちょっと調べてみました。
インターネット上に「国指定文化財データベース」がありますから、その中で「国宝・重要文化財(建造物)」にアクセスし、「重要文化財」のうち「近代/産業・交通・土木」を開いてみました。全部で62件あり、茨城県では2件、「シャトーカミヤ旧醸造場施設」と「横利根閘門」です。前者は「神谷バー」で有名な神谷伝兵衛の創設ですからご存じの方も多いと思います。しかし、これは建築物です。一方の「横利根閘門」の方は土木構造物と言えます。

ということで、土木構造物ではほかにどのようなものがあるのかに興味があります。といっても、建築物と土木構造物は、その境界が昔は今ほどはっきりしているわけではなかったので、かなり難しいことになります。たとえば、「勝鬨橋」は明確に土木構造物といえますが、「碓氷峠鉄道施設」などは、多くの隧道と橋梁のなかに「旧丸山変電所蓄電池室」や「旧丸山変電所機械室」など、煉瓦造建物も含まれますから、一体としての文化財という考えからは、建築だ土木だという区分は除いた方が良いのかもしれません。ということで検索は断念しました。

土木学会では、「土木学会選奨土木遺産」を選定しています。また「日本の近代土木遺産」として「現存する重要な土木構造物2800選」を公表しています。
ところが、これを見ると、例えば茨城県の例ですが、「鉾田駅舎(鹿島鉄道)」(2007年4月1日廃線)などがあり、この建物は「木建造物(切妻屋根)」と紹介されています。煉瓦やコンクリート造であれば先のような感想も持ちますが、木造では少し違うのでは(土木から離れるのでは)という気がします。いやいや、そんな狭量な気持ちではいけないと思いなおし、やはりここは「近代/産業・交通・土木」と、一くくりにしましょう。2転3転するのが私のまとまらない頭ですが、以上を探しているうちに、こんな記事を見つけました。「建設業法「産業」認知には道遠し」(「CE建設業界」連載「建設業戦後史の側面」2007年12月号)には、「永年待望の「建設業法」が実現、施行されたものの、建設業は一部の大手企業を除いてはひとつの産業、企業として扱われるにはほど遠かった。」とあります。産業でなかったものが「産業遺産」を残したというのも面白い現象ではありませんか。もっとも、インフラストラクチャ―を造る産業であると主張すれば、少しは違ったかもしれません。そもそもの始まりが「土木」、先の時代以降でも「建設」ですから、江戸時代の「普請」イメージが今でも抜けていないのかもしれません。

わけのわからない文章を書き連ねていると自分でも疲れてきますから、「鉄筋コンクリート技術を用いた国内で最初の発電所施設」に対抗(?)して、「日本最古の鉄筋コンクリート柱」を見ておきましょう。

写真は、土木学会の建物1階テラス(今は喫煙所になっている)の一番奥にある、その柱です。
説明板には以下のようにあります。
【日本最古の鉄筋コンクリート柱 このコンクリートの柱は、米海軍横須賀基地内にあったものです。以前は、日本海軍横須賀鎮守府と民間の土地との境界を表す境域標柱として使われていたものが、鎮守府の拡張に伴って基地内に残されそのままになっていたものを、米海軍が掘り起こし横須賀市へ返還された標柱の内の1本です。この境域標柱は、「明治33年2月13日」(1900年)の銘があります。日本に残る古い鉄筋コンクリートは、建物では三井物産横浜支店の床(明治44)、橋では京都の琵琶湖疎水橋(明治36年)などがあります。年号があるものでは、このコンクリート柱が最古の物と考えられます。大きさ:15p×16p×2m 重さ:約100kg コンクリート柱の4面に書かれている文字 「横須賀軍港境界標」「明治33年2月13日」「海軍省」「第○○号(号は旧字號)」】

セミナーなどの休憩時間には、喫煙所にたくさんの人が行きますが、あまりこの標識を見ている人にお目にかかったことがありません。もっとも、土木学会の建物が新館になる以前は、確か玄関のあたりにあったので、もう皆さんご存知なのかもしれません。

※各リンク先は、できるだけ公のサイトとしていますが、「鉾田駅」の画像はこのサイトが非常によく、トップに「Link free」とありましたのでリンクさせていただきました。ありがとうございました。






2008年10月10日

本日の話題と言えば何といってもノーベル賞のことでしょう。わが茨城県にある「高エネルギー加速器研究機構」には何度か見学に行きましたが、今か今かと言われていた受賞者決定が、ようやく決まり、機構長の言葉ではありませんが、「ほっとした」というところでしょうか。【KEKのBファクトリー実験は、ノーベル物理学賞の受賞対象となった小林・益川理論の検証に重要な貢献を果たしました。】などとWebに書かれています。膨大な資金を投じて建設されている、こうした施設は、ダム・道路などと違ってだれも無駄とは言いません。
とはいっても、この話題について、マスコミ発表以上のことを私がこの欄に書けるわけもないので、半径50mの生活からくる話題に大転換します。

私はスポーツにとんと縁がなく、従って、自分ですることも見ることもほとんどない、運動と言えば歩き回るか愛車(折りたたみ式5段変速自転車)で走り回るかです。
愛車
ですから、1億総評論家であるプロ野球のTV中継も、新聞のスポーツ欄もほとんど見ることはありません。
とはいえ、王・長嶋さんを見ながら育ったの世代であり、全く興味がないかと言えばそんなことはありません。高校の時の物理の先生の口癖は、「王選手が投手より打者としての素質があると見抜いたのは俺が一番早い」、でした。今でも覚えているくらいです。物理は忘れましたが。
そんなわけで(?)何となくジャイアンツファンで過ごしてきました。それも、長嶋選手の引退後はファン心理が薄れ(もともと野球ではなく、長嶋語をメインとするキャラクターが好きでした。実家の近くで仕事をした時に聞いた地元の人の、長嶋監督の子供の時の話も、それを加速しました)、ますます遠ざかりました。

1994年10月8日、私はたまたま病院で手術をして入院していました。入院生活の経験は複数回ありますが、長期はこの時が初めてで、この日はもうすぐ退院という日でした。
病室は6人部屋で、みな違う病名で入院されていました。何しろ外科ですから、みな元気でした。交通事故あり、肝臓が良くなく胆石の手術まちの人ありで、当時のことですから屋上に行くと煙草の煙がたなびいていたりしました。
各自のベッドはカーテンで仕切られており、TVがあってプリペイドカードを購入して消灯後も映画などを見ていました。
(この日のことは、私が乏しい知識でご紹介するよりも、前記長嶋選手引退と同じこのサイト(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)をご覧ください)

たまたまこの日は映画がなかったのか(以前は毎日のように映画枠がいろいろなチャンネルでありましたな)、新聞でこの日に関する記事を読んだのか、今では忘れてしまいましたが、私にしては珍しく野球中継にチャンネルを合わせました。もちろん音を出すことは憚られますからイヤホンです。消灯時間を過ぎて試合に見入っていました。経過は先のサイトに詳しいとおりです。
優勝が決まった瞬間、妙に静かだった病室中が「ホウ」とも「ウワ」ともなんとも表現しようのない「音」でいっぱいになりました。なんと、ほぼ全員がTVの同じチャンネルを見ていたようなのでした。
長嶋監督が長嶋語で、この試合は「国民的行事」だと言ったとおりになっていたようです。私もその一人でした。
14年後の今年の10月8日は、優勝決定には至りませんでしたが、これを書いている今日10日も試合があります。昨日は負け、はたして今日はどうか。というところです。「メイクドラマ」などという長嶋語が翌年1995年生み出されました。13ゲーム差をちじめてきた結果はいかに・・・・・。




2008年9月28日

所用で東京北区に行ってきました。
北区役所はJR王子駅から石神井川沿いの遊歩道を行き、王子神社の中を抜けるとすぐ目の前です。というところで思い出しました。この神社の地下には、日本で初めて下水道にシールド工法を適用した「石神井川下幹線」があるのです。
王子神社 遊歩道(右が王子神社、左が石神井川)
左写真は区役所の方から王子神社を見たものですが、この地下にあるのです。
実は、私はこの工事を東京都で設計された方にお会いしてお話を伺ったことがあります。もう12年ほども前のことですが、仕事の話の中で、今度少し文章を書いたので読んでみて、と言われました。その方が「月刊下水道」1996年12月号にお書きになった【「青年期の下水道(12)「シールド事始め」」】を読むと、以下の記述があります。
【本邦初登場の下水道シールド工事は地形上の理由からやむなく王子神社の崖下をくり貫いたトンネル横坑からの発進を余儀なくされました。】(同95ページ)
この、崖というのが右写真の左下なのです。石神井川まで降りて痕跡を探してくればよかったのですが、ざっと見ただけではわかりませんでした。

思い出しついでに少し調べてみました。「わが国シールド工法の実施例・第1集」(土木学会「トンネル工学シリーズNo.4」1966年11月)によれば、【「石神井川下幹線その9、10」、トンネル外径:2,400mm、地質:粘土、施工延長:1,491.6m、施工期間:昭和37年4月〜39年3月、企業者:東京都下水道局、施工者:熊谷組、総工事費:280.940千円】とあります。同書150ページにはその平縦断面図、セグメント図(写真も)なども掲載され、手掘り圧気工法による空気消費量の図、蛇行図なども載っています。
「株式會社熊谷組四十年史」177〜178ページにもこの工事に関する記述があり、【都市土木におけるこの種の工事に先鞭をつけた】とされています。
使用されたスチールセグメントもわが国初との記述もあります。先の「実施例集」の路線図は小さくてよくわからないのですが、北区役所の脇を通っていますから、もしかすると写真の大イチョウや鳥居の下を通っているのかもしれません。
私が就職して最初の現場のシールド工法は、メカニカル圧気でしたが、この工事の6年後です。セグメントも【波形鉄板とL形鋼を組み合わせて溶接】(事始め95ページ)したものではなくなっていました。

王子と言えば飛鳥山ですから、立ち寄ってきました。ここにも思い出があります。
飛鳥山公園 明治通り
写真左は飛鳥山公園の交番ですが、この都電のレールが大きくカーブした先の手前の明治通り(右写真)に、首都高中央環状線王子線飛鳥山トンネルの入口があります。中央やや左よりですがはっきりしないので拡大した写真が下です。
トンネル入り口

首都高は基本的に高架構造でしたが、この飛鳥山は、すぐ下を新幹線などが通っているためかトンネル構造とする案が持ち上がり、あるコンサルタントがその工法について比較検討する業務を請けお手伝いをしたことがあります。1985年〜1986年ごろのことです。もちろん私がメンバーに入ったということはシールド工法を売り込む思惑があったと思われるので、そのような報告書を仕上げたことがあります。実際はNATM工法で施工され2002年開通しています。
このころから、都市道路にトンネル工法が取り入れられて来ます。今では、首都高と言えばシールド工法の感があります。

ちょっと思い出に浸ってきました。






2008年9月16日

文化の秋2題
その1
少し芸術の秋を感じようと美術館に行ってきました。千葉県佐倉市にある「川村記念美術館」です。沿革や展示コレクションなどは前記サイトをご覧ください。

入館券です。上半が表、下半が裏です。
佐倉市では、以前何回か工事に従事したことがあります。この美術館のできる前でしたので、久々の佐倉市訪問でした。

現代アメリカ美術の「モーリス・ルイス特別展」をやっていました。私は全く知らなかった名前でした。そもそも現代美術(というより抽象的な美術)に馴染みがないので、感想の言いようがないのですが、面白かったことがあったので今回この欄に書くことにしました。


前記リンク先にもありますが、この人は製作現場を人に(奥さんにも)見せたことがないので【例えば、「ルイスのアトリエは4.3×3.7mの大きさにもかかわらず、どのように横幅5m以上の作品を描き得たのか?」「薄めた絵具をどうやって端から端まで均等な濃度を保ってカンヴァスに定着させたのか?」といった疑問は、いまだ解決されていません。】とのことです。
展覧会場にアトリエの大きさの区画が設けられていました。狭いという感じはありませんが、他の人のアトリエの大きさを知らないので何とも言えません。水戸の茨城県近代美術館の脇にある、水戸出身の洋画家・中村彝のアトリエの復元されたものは見たことがありますが、それよりはずっと狭いようです。カンバスを丸めて描いたとしたら、2番目の疑問が解けません。だいたい、画家が絵を描いている現場などを見たことがないので、想像もできませんが、これはなかなか面白い問題であると思います。
しかし、現代美術というのは、どうしてこのように巨大なものが多いのだろうかというのも、素人の私の疑問ではあります。絵画にしても、壁一面幅5〜6mになんなんとする、たった一色で塗りつぶされたものもあります。絵画は感じるもので理解するものではないのでしょうが、理解に苦しみました。
そういえば、美術館の入口近くの野外にある巨大なオブジェも、まるで映画「冒険者たち」の中でレテシアが取り組んだような趣のある鉄の「塊」としか思えません。まあ、圧倒されることはその通りなのですが。

一方で、この美術館には、クロード・モネ 《睡蓮》や、ピエール・オーギュスト・ルノワール 《水浴する女》 など、さすがの私でも教科書で見て知っているような絵もあります。なんだ、こんなところにいたのか、というような感想です。どちらかというと、私には安心して鑑賞できるものです。

広大な庭園はよく管理されていて、ハクチョウなどが泳いでいました。敷地には所有社の研究所がありましたが、毎日こんな環境で仕事ができる方々は、どのような感想をお持ちか、ちょっと興味があります。

その2
佐倉市と言えば堀田候の城下町ですが、国立歴史民族博物館でも有名です。こちらには何度か来ていますが、美術館からの帰り道に少し時間があったのでこれまた寄り道をしてみました。
模型とレプリカ中心の特異な博物館であることは知られていますが、これは非常に良い試みであろうと思います。文献や地図が、まるで空撮したり掘削して中を見たりするように具体的にわかります。
今回は、近世部分がリニューアルしたというので、その部分のみをじっくりと見てみました。日本橋付近の町・市場・盛り場の復元模型は、最近では同じ様な物を江戸東京博物館や、古河歴史博物館などでも見ることができます(ただし、江戸博の方は実物大)が、面白いものです。
3連休とあってか、子供づれの方々が多く来館されていました。説明員の方が随所に立っておられましたが、あまり質問されている姿は見えないのが残念と言えば残念でした。

と言ったわけで、文化の秋にふさわしい一日を過ごしてきました。私自身がどれだけ文化的になったかはわかりません。





2008年9月6日

少し思い立って、古い土木文献を調べています。その過程で、調べているテーマとは違っているけれど、俄然興味のある文章に出会って、すぐそちらに寄り道をしてしまうことが続き、なかなか本題が進みません。ちょうど、本の整理をしていて、もう忘れていたが昔買った本が見つかり、それを読みだしては作業が進まないことと同じです。

それらの中で、
「土木學会誌」第一巻第五號大正四年十月(できるだけ漢字をそのまま生かしてみます。はたして現代のパソコンのフォントがどのくらい対応しているのか、と思いますので。)の「技術家責任論」(工學士 佐藤四郎)を読んでいて、漢字は別とし、現在にも当てはまりそうだと思ったので、ここで紹介してみます。なお、この本は土木学会のWebで誰でも見ることができます。

【世人ノ技術家ノ責任ヲ論スルヤ頗ル酷ニ失スル如シ例ヘハ或ル工事若クハ建築物ノ破損崩壊ヲ見アラン乎其原因ノ何タルヲ問ハス其責任ノ何人ニ歸スベキヤヲ明ラカニセス啻唯其工事ノ設計者擔任者タル技術家ノ罪ト做シ百方之ヲ攻撃シ其無能ヲ罵リ其責任ヲ誹リ邃ニ其位置ヲ去ラシメスンハ止マサルナリ】これが書き出しです。事故が起きるとその原因や責任を追及するどころか、設計者や担当者を攻撃罵り首にすることが行われている、と言うのです。引用しても、引用する方も読むほうも疲れると思いますので、読みたい方は原文を読んでいただき、最小限にとどめます)。

筆者は次に、医者や弁護士はそうではない、ましてや【行政上ノ失錯ニ至ッテハ事頗ル浩瀚ニ亘リ然モ人事ハ複雜】であるにもかかわらず、社会にあらわれてくるのが急ではないため、社会的に糾弾するものが少ない、と言います。なんだか、現在の世の中を述べているような錯覚に陥ります。筆者は、医師が失敗すれば不幸であるが生命は戻らない、技術家の失敗は、改築、修理、新設すればよい、ここが違うと言っているようです(走り読みで、大意のみをつかんでいるつもり。間違っていたらご指摘を)。

しかるに、行政家は、もっとひどい。【技師ノ設計豫算ノ如キハ實際ノ經濟ヲ知ラサルヲ以テ必スヤソノ三割乃至四割ヲ必然削減スヘキモノナリト放言否確信スル行政家ノアルニ至ッテハ吾人ハ呆然トシテ自失セサルヲ得ス】。なんだか、昨今のことを聞いているようです。そして、技術家が、そんなことをされたら【工事ノ安全ヲ期スル能ハサル】と言えば、予算には限度があるのだから、この中で収めるように、不完全であれば【其ノ責任ハ吾等之ヲ負ハン】と言っておきながら、それが現実になれば【全然知ラサル如キ風ヲ装】うのである。

筆者は、最後に、技術家が行政家の下にいるからこんなことが起こる、【其人格ト位置トヲ一路向上】して、【一線一點ヲ移ス可ラサル】様にしなければならない、と結んでいます。かなり怒っています。

このところ、ダンピング受注のことが、あたかも受注者がいけないように語られていますが、ここに記されたようなことが、発注者の中で今でも行われているのではないかと考えてしまいます。もっとも、今では行政家と技術家との立場が、この時代とは幾分違っていますが。






2008年8月20日

昨年のこのページでも紹介しましたが、今年も大勢のツマグロヒョウモンが育っています。スミレは食べつくされています。家人には毛虫として評判が悪いので、以下の動画は、お嫌いな方は見ないようお願いします。

大勢で食欲旺盛です。 あっという間でした。
どのぐらいの早さかと言うと・・・・・ たっぷり食べてしばらく準備ですね

今年も大変暑い夏でしたが、何を思ったのか藤の花が今頃咲いています。

ひとりごと番外編でした。





2008年8月8日

私のプライベートPC(手作りのセカンドマシン)が調子が悪くなり、インターネットにつながらなくなりました。これはケーブルTVのネットに接続していたので、そのモデムを調べると、本来点滅していなければならないランプが点灯していました。さっそく電話するとその日(日曜日)のうちに係りの方が来て故障と診断し、新品に変えていきました。
ちょうど仕事の原稿を書き上げて送ったところで、時間が空いたのでOSの再インストールを考え、さっそく取り掛かりました。これが月曜日です。
このマシンは以前はWinXPで動かしていたのですが、調子が悪くなったときWin2000にしていました。それをまたWinXPにしようと考えたわけです。大事なファイルなどはないのでクリーンインストールから始めました。この時点ではインターネット接続ができなかったのですが、モデムが新品になったので、何か設定が違ってしまったのだろうと、軽く考えていました。私のWinXPHomeは最初のバージョンなので、SP2にするところまで来ました。ところが、落ち着きません。
なんとかファイルが壊れている(例:PROCESS1_INITIALIZATION_FAILED)というメッセージがでるとか、突然ブルーのいやな画面がでるとか、再起動を頻繁に繰り返すとかするのです。そのうちアップデートができなくなりました。仕方がないのでウイスキータイムにしました。これで月曜日は終わりです。

火曜日。最初はウイルスを疑い、ウイルスチェックソフトを入れようとしました。しかし、私の持っているウイルスチェックソフトはWinXPSP2以降でないと動かないと知りました。気を取り直し、マイクロソフトサイトのサポートページを丹念に読んで、なんだかよく分かりませんが、今の「マイクロソフトアップデート」には、WinXPSP1ではだめなので、コマンドプロンプトから何やら文字列を打ちこんでみなさいという指示がありました。指示どおりにしたかったのですが、今度はその指示の文字列に「バックスラッシュ(スラッシュの逆向き)」があり、その入力の仕方が分かりません。ひらがなの「ろ」のキーに確かにあるのに何をしても「¥」しか出てきません。こうなると意地で、インターネットを検索して「バックスラッシュ」を探しました。しかし、この時点では「バックスラッシュ」という言葉を知りませんから、「スラッシュの逆向き」などいろいろ考えてをキーワードにしましたので、ずいぶん時間を取られました。この部分はPCのトラブルに関係がなかったのに、30年も使ってきた日本語キーボードの「謎」が解きたくて横道に入りこみました。幸いこれはすぐ解明され、日本語では「バックスラッシュ」は「¥」と同じコードで、つまり出せないことが解りました。と、道草を食っていたので火曜は終わり。

水曜。腕を組んで考えました。これがほとんど見よう見まねでコンピュータをいじっている素人の限界です。以前、他のPCのマザーボード上のLAN部分が壊れた経験を思い出し、これはその類かまたはHDDその他ハードの故障かとの考えに至りました。症状はだんだん悪化し、ついにセーフモードでもうまくいかなくなりましたので、たたき壊して(手作り2号ですからもう7〜8年前のものです)しまおうかとも思いました。
しかし、ハードの故障であれば、BIOS起動場面は全く異常がないのですからそれ以外だと思いなおし、また症状をキーワードにネット検索を行いました。
ありました。メモリモジュールの故障かもしれない。メモリを認識していても、その内部の故障まで認識しているわけではない、「メモリテスト」をすべきであるとのありがたい情報です。日本語でのフリーソフトは見当たらず、英語でしたがさっそくダウンロードしました。
そんなこんなで、512MB+256MBのテストにこぎつけました。ここで1枚にしておけばどちらが悪いかわかったのに、気が焦っていたので2枚同時にテストしたもので、ずいぶん時間がかかりました。ブルーの画面の上半分で数字が動いているのを見ていたら、ある瞬間、下部が真っ赤になってきました。どんぴしゃり、メモリモジュールの故障でした。メモリモジュールをはずしてみると、512MBの方は日本製、256MBの方はバルク品を買ったらしく外国製でした。もう一度テストすればはっきりするのですが、ここはカンで(KKD=経験、カン、度胸で長いこと仕事をしてきたもので)、故障は256MBの方と何の理由もなしに決め付け、電気店に走って512MBのメーカー品を(バルク品の倍の値段で)購入してきました。うまくカンが当たれば、メモリが1GBに増設できますから。このときも、184pinであることを確認していかなければ危ういところでした。

木曜。メモリモジュールを取り換えて、再度クリーンインストールを行いました。今度はややこしいメッセージは出ません。半日でWinXPSP3がインストール完了です。IE7にもなりました。メールソフトをセットアップしてセカンドマシンの更新完了です。ここまで5日もかかってしまいました。
しかし、何の因果か、私はこうした一般の人があまり経験しないと思われるトラブルによく合う方ではないでしょうか。HDDの壊れる瞬間も経験していますし、今メインマシンは冷却ファン4個のうち1個がクラッシュしています。先にも書いたように、オンボードのLANが壊れて、LANカードを挿しています。今度は可動部分などないメモリです。
さて、次は何でしょうか。この猛暑で、CPUの暴走でも起こるかもしれません。




2008年7月26日


今年の「下水道展」に行ってきました。25日最終日であったので、午後になるとかなりの人出でしたが、公式ホームページによると、20,890人で前日の方が多かったようです。全日程では、以前は100,000人を超えていましたがここ3年は80,000人台です。場内は写真撮影禁止とのことでしたので、様子はこのホームページでご覧いただくことにします。

昨年の東京開催は見学しなかったのでわかりませんが、今回感じたことは、ゼネコン参加の少なさです。超大手さんはさすがに参加されていましたが、あとはいませんでした。世の中が明確に(まだ普及率100%に行かいのに)新設より維持管理に向かっていると思います。単に経営状況が良くないから参加しないだけではないと思いますがいかがでしょうか。管更新工法などが多く目につきました。そのほか、「○○工法協会」「○○工法研究会」などの名称が目につきました。一社で参加するよりも、団体での参加の方が効率的なのでしょう。
いくつかのブースで、気になる工法などの説明をお聞きし、パンフレットをいただいてきました。推進管を分割することによってφ3,000以上に対応する工法、塩ビ管の継手部に加工することによって長距離推進を可能にする工法などがありましたが、インパクトの点でいまひとつでした。やはり、新設は、需要が減ってきているのでしょうか。
写真撮影をしないといいましたが、一か所珍しいものを展示していたので許可していただき撮影してきました。


昭和3年敷設の下水管(鉄筋コンクリート管内径530mm)です。
台付きですが、中を見ると下側3分の1くらいはきれいな肌をしているのに、上側はモルタル分がなく、骨材が見えていました。いつ掘り出されたのかは説明にありませんが、硫化水素などによる劣化のようです。骨材はきれいな玉砂利でした。丁寧に作ってあることがよく分かりました。このサイズの写真では良くわからないのが残念です。


以前の下水道展には同じような下水道管が展示されていました。

毎回のことで、子供さん向けのイベントも行われ、マジックショーや、「理科先生」によるクイズなどがありました。親子ずれも多く、スタンプラリーに飛び回っていました。テクニカルツアーにも参加したかったのですが、時間の関係で断念しました。

会場の外は、まさに猛暑で、帽子の用意をしてこなかった私は、汽車道を遠くから眺めるだけでこちらも歩くのは断念しました。何しろ、熱中症危険年齢ですから。

会場では、雑誌の特集号を無料で配布していて、それをいただき、ゆっくりと眺めるのも楽しみなのですが、今年はある雑誌に次のようにあってがっかりしました。【推進工事において道路運送法で不可能であった3000
mを超える推進管を分割して製作し、現場で組み立てるという施工例が増えてきました。(中略)下水道工事で予備径3500m、外径4070mの工事が施工されました。】むろん書かれた方の原稿にはそうあるわけもなく、校正恐るべしという言葉がまさにその通りで、せっかくの紹介文が台無しになっていました。(蛇足ですが、この文字部分はそれぞれ、m→mm、予備径→呼び径です)文を書くのは難しい、それを発表するのはもっと難しい。ひとりごとです。




2008年7月11日

私が持ち歩いているカメラはごく普通のコンパクトデジタルカメラです。大砲のような大きなレンズを付けている人をよく見かけますが、そこまではなかなか気持ちが動きません。
つい昨年まではフィルムの以前現場で使っていた(1990年ごろ)防水カメラでしたが、これが頑丈でなかなか壊れないのです。今の仕事になってからも、それを愛用というか、単に壊れるまで使おうと思って使用していました。現場では珍しがられるだけでよいのですが、見学会などで撮りだすと、どうも自分の方が気恥ずかしくなり、もともと芸術的な写真の趣味はないためと、どうもレンズのカビ(?)が目立ってきたため、デジカメに切り替えました。
フィルムは現像焼き付けのタイムラグがあり、こうしてネット上に何か書く場合、写真を付けるとタイミングがずれます。デジカメはその点、帰ってすぐアップできるので、その手軽さに気持ちが動きました。

カメラを持って、自転車に乗り(今までは歩いていたのですが、少し機動力を得るため、折りたたみの自転車に切り替えました。しかし、購入してから一度折りたたんで車のトランクに入れたら、それだけでいっぱいになり、以後折りたたんでいません)自宅周辺を散策しています。このカメラは、前々回掲載したような超接近撮影ができるので(今のカメラはどれでも同じでしょう)、これから虫の季節になっていくのがまたまた楽しみです。生き物は何でも好きなのです。しかし、このあたりでもめっきり少なくなりました。トンボなど、以前はうるさいほどいたのです。チョウも少なくなりました。今年、庭の山椒の木は葉がぐんぐん成長しています。昨年までは丸坊主になったのに、と思います。スミレもいくらかは葉が食べられていますが、幼虫は見当たりません。カマキリも、それこそ季節になると蜘蛛の子を散らすように子供がいたのです。
今年は、前々回観察したくらいで、あまりいません。全国調査が行われていますから、応募してみようか、などと思っています。しかしこれは難しそうです。【“全身”と“ファイティングポーズ”の2種類の写真を撮ってください。】などという注文がついています。
ついでと言っては失礼ですが、環境省でもこんなことをしています。いつの間にか虫がいなくなったのは、このあたりが都会化しただけでなく、もっと大きな地球的規模の原因があるのかも知れなということです。地球温暖化の原因が人間の出すCO2という論には疑問も残りますが、温暖化しているのは事実のようですから。

私は特にバードウオッチングをするわけではないので、鳥を撮ったことはあまりないと思っていましたが、たまたま整理してみたら何枚かありました。というわけで、今回は虫から一転し、死蔵するのももったいないので、鳥の写真を掲載してみました。名前もわからないので、(中には雉の「見返り美人」もいますが)単に掲載するだけです。








2008年7月1日

石油や鉄など資源の価格高騰を受けて、公共工事のスライド条項が発動されました。国土交通省ではこの様に運用ルールを発表しています。具体的にはここの参考資料3のとおりとされていますから、関係する建設会社の方々は、すでにご存じかと思います。
この適用は1980年(昭和55年)に1回あっただけで、28年ぶりということです(昭和56年契約約款に正式に書かれてからは、今回が初めて)。

この年、私は埼玉県で下水道シールド工事の主任技術者をしていました。仕上がり内径φ1,350o(シールド外径φ2,100o)と小粒ながら、全路線中48%の距離が曲線で、R=20m、35m、50mと、右に行ったり左に行ったり大変でした。
圧気オープン(手掘り)で砂礫層のため、今記録を見ると、進捗が方番2リングなどという日が連続しています。工期は大幅に遅れ、何度か変更をして頂きました。砂礫層対策のため超小型のクラッシャーを製作する、2次覆工のスチールフォームを工夫するなど、いろいろな手を打ちましたが、私の力量もそれまでで、完成したときは感無量であったことを思い出します。作業員が当時としても格段に若く元気で、良く動いてくれ、私も切羽で掘削をしましたが、とても太刀打ちできず、息切れして笑われたりしていました。
2時間かけて通勤していましたが、工期途中で武蔵野線高架近くでタイヤ集積場が火災を起こし、その復旧のため不通となって、何ヶ月か池袋から東上線で迂回したりするハプニングもありました。

と、いろいろ思い出すのですが、どうもこの「単品スライド条項発動」については、全く記憶にありません。工事そのものは国の工事ではなかったのですが、職員間の話題に上がったかどうかも定かではないのです。要するに、目先のことだけが心配で、広く世の中のこと、少し狭くても建設業や建設界のことに目が向いていなかったといえます。もっとも、社内のことでさえ興味がなく、すっぽりと小さなコップの中に入っていたのは確かです。ひとり入ってしまえばいっぱいのコップですから、嵐も起こりようがないわけです。

今日見ていたTVで、ガソリン値上げで大変だという給油している人へのインタビューの映像の中で、「値上げが大変なら車に乗らなければ良い。そのぐらいのリスクは想定すべきだ」と言っている人がいました。いつの世でも値上げが先にきて、給料はだいぶ経たないと上がらない、このギャップのリスクは変わりませんけれど、つい最近まで、各種建設業団体は何か言っていたのでしょうか。なんだか、スライド条項の話は、唐突に出てきたような気がします。
国土交通省が「価格競争力に乏しい中小建設会社の収益を圧迫し、倒産などを招く」と判断したからだと、新聞にはありましたが、そのため工事費の1%というコスト増分に定められるという、いわば先手を取られたのではないでしょうか。
どうもこのように、建設業団体は、わからないところがあります。同じ新聞に、デフレの時は建設会社が実質的利益としていた、との主張がありますから、今後はもう少し条項の適用条件を詰めなければならなくなるでしょう。5項には「工事材料の日本国内における価格に著しい変動」があった場合、「甲又は乙」は請求できるとありますから。
参考までに、注も含め該当条項を下に示します。

(賃金又は物価の変動に基づく請負代金額の変更)
第二十五条甲又は乙は、工期内で請負契約締結の日から十二月を経過した後に日本国内における賃金水準又は物価水準の変動により請負代金額が不適当となったと認めたときは、相手方に対して請負代金額の変更を請求することができる。
2 甲又は乙は、前項の規定による請求があったときは、変動前残工事代金額(請負代金額から当該請求時の出来形部分に相応する請負代金額を控除した額をいう。以下同じ。)と変動後残工事代金額(変動後の賃金又は物価を基礎として算出した変動前残工事代金額に相応する額をいう。以下同じ。)との差額のうち変動前残工事代金額の一〇〇〇分の十五を超える額につき、請負代金額の変更に応じなければならない。
3 変動前残工事代金額及び変動後残工事代金額は、請求のあった日を基準とし、(内訳書及び)
(A) [ ]に基づき甲乙協議して定める。
(B) 物価指数等に基づき甲乙協議して定める。
ただし、協議開始の日から〇日以内に協議が整わない場合にあっては、甲が定め、乙に通知する。
注(内訳書及び)の部分は、第三条(B)を使用する場合には削除する。
(A)は、変動前残工事代金額の算定の基準とすべき資料につき、あらかじめ、当事者が具体的に定め得る場合に使用する。
[ ]の部分には、この場合に当該資料の名称(たとえば、国又は国に準ずる機関が作成して定期的に公表する資料の名称)を記入する。
〇の部分には、工期及び請負代金額を勘案して十分な協議が行えるよう留意して数字を記入する。
4 第一項の規定による請求は、本条の規定により請負代金額の変更を行った後再度行うことができる。この場合においては、第一項中「請負契約締結の日」とあるのは「直前の本条に基づく請負代金額変更の基準とした日」とするものとする。
5 特別な要因により工期内に主要な工事材料の日本国内における価格に著しい変動を生じ、請負代金額が不適当となったときは、甲又は乙は、前各項の規定によるほか、請負代金額の変更を請求することができる。
6 予期することのできない特別の事情により、工期内に日本国内において急激なインフレーション又はデフレーションを生じ、請負代金額が著しく不適当となったときは、甲又は乙は、前各項の規定にかかわらず、請負代金額の変更を請求することができる。
7 第五項及び前項の場合において、請負代金額の変更額については、甲乙協議して定める。ただし、協議開始の日から〇日以内に協議が整わない場合にあっては、甲が定め、乙に通知する。
注〇の部分には、工期及び請負代金額を勘案して十分な協議が行えるよう留意して数字を記入する。
8 第三項及び前項の協議開始の日については、甲が乙の意見を聴いて定め、乙に通知しなければならない。ただし、甲が第一項、第五項又は第六項の請求を行った日又は受けた日から〇日以内に協議開始の日を通知しない場合には、乙は、協議開始の日を定め、甲に通知することができる。
注〇の部分には、工期を勘案してできる限り早急に通知を行うよう留意して数字を記入する。







2008年6月17日


(1)猫の額よりも小さな庭が大草原になってしまったので、半日かけて草取りをしました。一面スミレがありますので、それは抜かないように気をつけていましたが、今年はツマグロヒョウモンの幼虫は見当たりませんでした。また山椒の木にも、アゲハの幼虫がいませんでした。ごくごく小さな池にはメダカがいましたが。
日陰で細々と割いているアジサイの花に、1pほどの長さの小さな虫が動いていたのでよく見るとこんな立派なカマキリでした。超アップで撮影してみました。また、植木鉢の藤が大きくなっていたので動かそうとしたら、蟻がいました。大慌てで卵を担いで逃げ惑っていました。珍しいので撮影してから元に戻しました。

小さな庭ですが、観察しているといろいろな虫や草に出会います。庭の木は、なんだか植えた覚えがないものまで大きく育っています。昨年、仕方なしに全部大幅に切りました。夢は庭をジャングルにすることですが、大邸宅ではないのでこれは難しいことです。

(2)中国に続いて日本でも大地震があり、改めてわがまちの「ゆれやすさマップ」を取り出し眺めました。
対象地震は「首都直下地震対策専門委員会」(平成17年7月)想定の「茨城県南部地震」でマグニチュード7.3、震源はわがまち直下です(報告書はこちら)。わが守谷市は、利根川に突き出した台地上にあり、人が住んでいるのはほとんどその台地上で、低地は水田、畑です。
このマップを見ると、揺れの強さは、台地部分は震度6弱、低地部分は震度6強(の最低)程度です。私の家は台地部分にあり、木造昭和57年築ですから、さらに「木造家屋の全壊率テーブル」をみると、震度6弱ではほとんど0%となっており、一安心です(計測震度6.4では約10%)。計測震度と建物全壊率の根拠は内閣府「東南海・南海地震防災対策に関する調査報告書」(2004)です。
最近では、こうしたハザードマップに類するものを各地の自治体が公開していて、ネットでも見ることができます(こちら)。(25年前ここに住んだ頃は、近くで小貝川の氾濫があり、近隣の新興住宅団地が水につかったということで、洪水ハザードマップに関心がありました。それも見ることができます。
今度の地震では、土石流によるものは別として、家屋の倒壊があまり報じられていません。雪国なので家屋の造りが頑丈だったという新聞記事もありました。しかし、深さが8km、最大加速度が4000ガルを超えるという猛烈な地震であったことは、今度どこかで起きる地震は、また違った顔を表すことを改めて感じさせます。そのとき、この「木造家屋の全壊率テーブル」が適用できるかどうかは分かりません。それにしても、深さ8kmという、地球の薄皮部分の揺れで、水田が波打ち隆起しました。地滑りもさることながら、水田を平らに戻すのはかなり時間がかかるでしょう。今年の収穫が心配ですが、そちらの方も心配です。

(3)この欄で何度もデジタルアーカイブスのことを書きましたが、今度は「古事類苑」がデジタル化され、無料で見ることができるようになりました(こちら)。探せばもっとあるのでしょうが、どこかでそうしたポータルサイトを作ってくれないかな、などと思っています。






2008年6月8日

昨日(7日)、茨城県技術士会の第11回定時総会が行われましたので出席してきました。写真などはこちらに掲載してあります。
節目の10周年とあって創立にかかわった方々もお見えになっており、感謝状の贈呈などが行われました。私は創立の頃はまだ技術士会会員ではなかったので存じ上げない方も多くいらっしゃいました。
茨城県の特殊事情なのか、参加された方の中で建設部門の方がごく少なく1割でした(あくまで技術士全体の数からの思いで、例えば「原子力・放射線部門」の方や「環境」の方はそれぞれおひとりと少ないので、1割もいたら少ないと言えないかもしれませんが)。9人の新入会者の方の中にはひとりもいらっしゃらないのは少しさみしい感じです。

いつも交流会が楽しみなのですが、今回は講演会も面白くお聞きすることができました。
毎回、県の方をお招きして、その時々のトピックスをご紹介いただくのと、技術士の業務をご紹介いただくのと、技術士ではあるが、文化的活動を行っている方のその内容をお話しいただくのと、3人で3分野というのが定番ですが、今回はその配分が絶妙でした。
茨城空港は苦戦しているらしく、乗り入れ航空会社への営業のお話がありました。
2番目の情報工学の内容は、月刊「技術士」2007年1月に掲載されたお話でしたが、私にはほとんど理解不可能な領域でした。ただ、この方法(COSMIC法)で計測すると、計測結果と実際のソフト開発コストに非常に良い相関が表れるというところは、常日頃私などが行っている、たとえばシールドトンネルの仕上り径がいくらで延長がいくらなら工費はいくらぐらいだなどという大雑把なつかみによく似ていて面白いと思いました。IT業界はゼネコンと同じだとかげ口がときどき聞こえてきますが、こうしたところまで似ているのかと思ったのは、ちょっと的外れで、両業界の方に失礼かもしれません。

3番目のオペラについては、これこそ門外漢ですが、技術者であって、こうした方面の活動というか実践というかを行われている方は、人間のバランスがよく取れるのではないかと感じ入りました。
いつもこの欄で、文学、哲学を学ぼうとしない土木技術者が増えてきていることを嘆いていた私にとっても、音楽は高い塀のある分野でしたので、興味を持ってお聞きしました。オペラは総合芸術だということですが、私の好きな映画もそうではないかと思っています。しかし、市民が参加しての活動になると、これこそ生(なま)で、映画のような缶詰(DVD詰め)ではないことだけは確かです。
最も感銘(?)を受けたところは、その他大勢(失礼)で出演する場合、役柄が決まっていない(指定されない)ため自分で考えて役を決め、それに合わせて服装、メイクなどを整えるという箇所でした。これは仕事にも、もっといえば人生にも通ずる考え方ではないでしょうか。自分を他で探してくるのではなく、自分で周囲の状況を把握し自分の判断で決めることが必要であると、まあ哲学的、人生論的に言えばそうなるでしょう。

交流会での話題は、日本技術士会の公益法人化と茨城県技術士会の今後や、技術士試験業務の大幅赤字や、重要な論点もあったのですが、耳に入ってきたのは、あちこちで「後期高齢者」という語句が飛び交っていたことでした。どのぐらいの割合で、この語句の範疇に入っておられる方がいたのかは分かりませんが、いつでも健康の話題は多いのだと感じました。

なにはともあれ、片道2時間30分の移動ですから、上京(古い!!)するより遠くで開催された総会で、久しぶりにいろいろな分野の方とお話ができ、それだけで大満足の一日でした。






2008年5月28日

この欄では、経済誌がゼネコンの特集をするたびに、全部とは言えませんが取り上げてきました。
その見出しの文言を振り返ってみると「ゼネコン自滅」(「週刊ダイヤモンド」2007/1/20)、「談合列島」(「週刊エコノミスト」2007/2/13)、「建設54万社が半減する」(「ZAITEN」2007/3)、「ゼネコン断末魔」(「週刊ダイヤモンド」2007/12/1)、「ゼネコン現場破壊」(「週刊東洋経済」2008/1/19)と続きました。
中には「製造業の縮図ゼネコン・現場力を取り戻せ」(「日経ビジネス」2007/8/20)のようなものもありましたが、ここにきてついに
「ゼネコン壊滅」(「週刊エコノミスト」2007/6/3)が出ました。このの特集の中見出しは「工事減少、安値受注競争、急騰する資材」とあって、勝ち組と言われたゼネコンもリストラに転落したとの記事です。

私が身を置いてきた世界が「壊滅」し(かかっ)ているという記事を読むのは、何とも言いようがありません。個別の会社ももちろん生き残りに必死で、売るものがない労働集約産業ではリストラという名の人員削減しかないのでしょう。私の同期はもう定年を迎えましたから役員になった人以外は残っていないでしょうから、あまり気にしていないかもしれませんが、定年のない道を選んで未だに身を置いている世界の壊滅をこんなに早く見るとは、もう少しどうにかならないのかという気があります。

ここのところが、日常話をする建設関係の方とずれるところで、どうにかするとは「自分でどうにかする」意味なのですが、新聞などでもおなじみ道路族のように、「もっと工事を出せ」という話になってしまうので、とても違和感があります。もちろん、土木事業は多くを公共事業として行っているため、国や県や市町村が工事を発注しないことには「自分でどうにかする」と言っても限界があります。しかし、目の前に巨大なインフラの維持補修という需要があるのに、発注元も請ける方も、あまり熱意が感じられません。報道(読売新聞2008年5月2日)などによると予定価格6,000万円の橋梁補修工事(長野県の国道)で、一般競争2回指名競争2回で不成立だったそうです。一般は参加者ゼロ、指名は参加打診した20社中1社のみと記事にあります。見出しには「「薄利」小規模工事にソッポ」とあります。維持補修工事が小さくなるのは当然ですが、今だに新設するのが工事だと思い込んでいるような雰囲気です。

映画「戦場に架ける橋」に描かれていたように、何百年も残るから橋を架ける気になったというのは土木屋なら誰でも憧れる動機ですが、いまからこの狭い日本に道路やダムや橋やトンネルをそんなに新設できないのは当たり前です。壊して作りなおすなら別ですが、違う場所に新設するよりお金がかかってしまいますから、ここはやはり丁寧な補修と維持に資本を振り分け、延命させて、徐々に作り直していくという道を選ぶのが賢明でしょうう。

こうした経済誌を読むと必ずと言ってよいほどこれからはCMだという記事があり、「壊滅」特集にもあります。公共工事の世界にCMが普及しないのはなぜかという問いの答えは簡単で、公務員技術者の存在にあります。公務員技術者は仕事をよくわかった施主と思っているのですからCMrなぞ必要ありません。施主は納税者で公務員技術者はCMrだと考えればよいのですが、CMrとなるべき訓練を受けていません。訓練を受ける前の、このギャップが、どうにもこうにも日本の建設界を「壊滅」させる要因になるのではないかと思います。「壊滅」はゼネコンだけの問題ではないのです。

考えてみれば(自分を振り返ってみれば)土木現場の技術などは大部分が経験則で、それだから面白いといえるのですが、経験する場がなくなってきているのは寂しい限りです。作成する書類が多いから現場に出る時間がないとか、学校を出ても研究所に配属してもらいたいとかの意見や希望が出るのは、経験則を作り上げていく面白さを、どこでも教えなくなったからでしょうか。となると下手人は学校の土木の先生です。先生の末席をけがしている私も含めて、何とかしなければなりませんな。


広告:http://mizuno-web.net/index.html
(私の属する町内会でも「防犯ウェブ」を採用しています)



2008年5月18日

本日18日(日)は、測量士と測量士補の試験があります。受験される皆さんのご健闘を祈ります。

私も、もともと測量士資格は持っています。しかし、土木現場での測量しか経験がないもので、現場を離れると同時に興味を失っていましたが、「日経コンストラクション」記事に「測量の経験をしたことのない社員が、建設現場で現場所長になり始めている」という記述があった(同誌2006年10月13日号66ページ。事例研究「なぜ増える?測量ミス」)ころ(2007年3月30日本欄参照ください)から、測量に興味を持ち返し、受験講座の講師などをしたりしてきました。

最近、土木学会のサイト内の「土木学会附属図書館デジタルアーカイブス」を見ていたらその「戦前名著100書」(なんと、ここには以前神保町で入手した「 トンネルを掘る話(「小国民のために」シリーズ) 岩波書店 昭和16年 有馬 宏著」も含まれています。2004年12月5日本欄参照ください)に「君島 八郎著 『君島大測量学 上・下巻』 丸善 大正2〜3年発行」がありました。目次に「第七章隧道測量」というのがあったのでちょっと読んでみました。
カタカナと漢字だけの本は慣れないせいもあって読むのに非常に時間を要します。おまけに現在ではカタカナで表記する外国語が「さんごたーる隧道」のようにひらがなで表記されていますから、これはこれで面白いのです。

このファイルの16ページ(全体では153ページ)に「竪孔ヨリ中心線ヲ孔底ニ下ス法」というのが見つかりました。【竪孔ヲ設ケ得ベキ隧道ニ於テハ兩端ナル坑門ヨリ掘鑿ヲ進ムルト同時ト兼ネテ又竪孔ヨリ雙方ニ向テ掘進ミ、工事ノ進捗ヲ圖ラザルベカラズ】(入力にかなり疲れます。これだけで私のPCにフォントがない漢字は1字でした)などとあります。
下げ振りを2本下げて地上の中心線を竪孔(現在では立坑と書きますね)底部に移し、それを延長するのですが、まさにこの方法は私が初めてシールド現場に配属されたとき行った方法です。
下げ振りの揺れを止めるのに苦心しましたが、それも【振子ノ振動ヲ防ガンガ爲ニ其ノ錘ヲ水又ハ種子油ノ槽中ニ浸スベシ】と、ちゃんと私が教わった方法も書いてあります。バケツを持ってきて水を張り、下げ振りの錘を入れたことを思い出します。
私は別に明治大正の世に新入生であったわけではありませんが、こうしたノウハウの類は長く伝承されるのだな、と思います。
もちろん、トランシット(「轉鏡儀」となっています)で直接立坑内を見る方法も書いてあります。面白いのは【但シ竪孔ノ縁ニ器械ヲ据付クルハ充分ノ注意ヲ要スルノミナラズ竪孔ノ深サガ大ナルトキハ此方法ハ不適當ナリ】と、なんだか新入生のとき先輩に教わった注意のような文章もあります。これらが図版入りで収められていますから、読むのに時間はかかりますが、興味はつきません。
トンネルを知らない人はいませんが、両端から掘り進めてよく誤差なく接続できるものだという感想は今でも聞きます。誤差がないように慎重に測量するのだと説明しますが、それでは、実際に起こる誤差はどのぐらいかというと、これがなかなか資料がありません。しかし、この本にはちゃんとありました。引用(このファイルの26ページ(全体では172ページ))して図示します。

笹子トンネルとは明治35年開通した山梨県の長大なトンネル(笹子餅が有名で中央線では車内販売があります)ですが、延長4.7qに対して方向がわずか0.16m、高さ0.041m、距離±0.2mです。まさに明治人の力量を見る思いです。というわけで、この「土木学会附属図書館デジタルアーカイブス」は、飽きることを知りません。紙で読みたければ古書店で壱萬円しないで入手できそうですが、いつも対面しているPCの画面で見ることができ、必要ならダウンロードしてPDFファイルとしてみることもできるというのは、大変うれしいことです。この項は、4月16日の続きでした。



2008年5月7日


5月6日の「読売新聞」に【「スーパー理科教員」養成 文科省方針 分かりやすい指導に重点】という見出しの記事がありました。【国際調査で日本の子供たちの理科への関心や成績の低下が目立つため、理工系出身で、科学に深い理解があり、理科を分かりやすく教える指導力のある理科専門教員を配置し、早い時期から理科への興味を引き出す狙いがある】とあります。

現在、日本技術士会では、「理科支援員等配置事業」lを行っており、私の属する茨城県技術士会においても、それを受けてすでに何箇所か授業を行っています。(私もメンバーなのですが、お呼びはありません。名簿とテーマを見て指定してくるようなので、私の挙げた題目が小学生には向かないようです)
こちらはボランティアですから、技術士会の公益法人化に向けての活動とうまくマッチした面もあります。それが果して技術士の社会貢献にふさわしいかどうかは別として、ですが。

しかし、この新聞記事の内容が本当だとすると、私にはまたまた疑問がわいてきています。「ゆとり教育」に批判が集まり、方針転換した文科省が、学問の総合化の面もなくしていこうというのでしょうか。
日本では、文科系、理科系と人を分けて教育しています。それが、そもそも理系に「弱い」人を生み出す原因であるというのが、最近の分析ではないかと思っていましたが、「総合学習」まで路線変更するように感じられて、すこし危惧されます。
理科は世界の一部で、世界がトータルとしてこんなに面白いと気がつかないと、その一部の理科方面に子供たちは向かいません。同時に文学や哲学、歴史などを学ぶ中から、その一部である理科が面白いと気がつく人も出てくるので、理科だけを教えるなどということは、大きく言えば世界のすう勢に逆行することではないでしょうか。ますます、遅れをとることが予測されます。
私も技術者のはしくれですが、歴史も哲学も、「技術の歴史」「技術の哲学」はあまり面白くありません。ここはやはり「歴史」「哲学」でなければならないでしょう。
ある技術系の協会ホームページには、その協会の技術内容を描いた文学を紹介している欄がありますが、これは文学というよりエンターテイメント紹介のようなものです。ケータイ小説も含めて、それはそれで面白いので、何も批判するつもりはないのですが、何度もこの欄で書いている様に、技術の底が上げ底になってきているのは、技術者の視野が理系人間教育によって偏っているからではないかというのが感想です。(「土木学会誌」2007年6月号88ページ、「忙中ペンあり」第6回「歴史・文学への無関心と倫理教育」高崎哲郎、を参照)
子供たちは、授業で先生の話を聞くより、いつもの先生とは違う、技術士のおじさんの手品のような実験に夢中になるのは当たり前です。夢中になる中から理科人間が出てきてくれればよいというのでしょう。電気や機械ならそれでもよいでしょうが、虫や花などを学ぶ(覚える、知識を得る) のは理科ではないのでしょうか。もっといえば、それだけ取り出して実験して、この(文学や歴史を含んだ)世界がわかるものはあるのでしょうか。子供には大いに文学(文法や漢字学習だけではなく)を歴史(一国史だけではなく世界史のなかの自国史)そして数学(昔、2次方程式の根の公式など、社会に出てから一度も使ったことがないから、子供に教えることはないといったそうそうたる「知識人・作家」先生がいました。こうした人が「知識人」でいる限り、理科教育はできないでしょう)を教えるべきで、それらを基礎にしなければ、それこそ地球温暖化を「簡単に」阻止できるというような、薄っぺらな理科人間になってしまうのではないでしょうか。

いみじくもこの記事には次のような一節があります。【学生が実際に教員に採用されやすいように工夫する】。これは、おそらく記者が翻案しているのでしょうが、なにか、違う目的が透けて見えるような感じです。「分かりやすい」「すぐわかる」「○○時間でわかる」「○○でもわかる」などと副題のついている本が巷に溢れています。そんな本のような先生を作らないでほしいと思います。

インターネットの普及によって、とくにブログの普及によって、誰でも本欄のように意見を世の中に向けて発信できるようになりました。しかし、新聞記事に感想を述べるだけの(まさに本欄のような)ブログが増え、それがブログ自体の衰退を招いているという意見もあります。上を書いていて思い出しました。反省。本欄は「ひとりごと」ですから、次回からはもう少し原点に戻りたいと考えます。


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2008年4月27日

天気の良い日にペットボトル入りの飲料と地図とカメラを持って週一日を目安に歩いています。最初はリュックなどなしに、手提げ袋を持っていたのですが、ほうぼうで会う御同輩が、ほとんど帽子にリュック姿なので、不審者(と思われない)対策で同じような姿にしています。
自宅から周回コースをとって約3時間以内を目安にしています。私の住んでいる市は狭いので(平成大合併に参加しなかった)一直線に歩けばほぼ一時間で国境に到達します。それでは面白くないのと、帰路は疲れるので街中が良いという理由で周回しています。

常日頃車で通過してしまうところを、じっくり見ているとなかなか面白いものや現象に遭遇します。性格がせっかちなので、田園風景を見ながらのんびりと、というのはいけません。これは飽きがすぐ来ます。幹線道路沿いを歩くのが面白いですな。
あるときスーパーマーケットの駐車場の脇を通りかかったら車を置いた見知らぬ人に「ここまで歩いてきたのですか?」などと声をかけられたりしました。何キロも先で私を見かけたのだそうで、何とも面白い体験でした。

ベンチに猫がいたので近寄ってみたら造りものであったりしたこともあります。誰がどこから持ってきて置いたのか、想像すると小説でも書きたくなる気分ですな。
できれば地図にある史跡や石碑などをじっくり見て生きたいのですが、それはそれ、せっかちで写真を撮るだけで精いっぱいです。
それにしても最近、神社などの境内にある石碑を一か所に集合させてしまうことが目につきます。いや、もっと以前からなのかもしれませんが。境内を整備する「ついでに」あちこちに先人が建てた石造物をきれいに整頓してしまおうというのでしょう。裏側や脇を除くとたいてい建てた年号が刻んであるのですが、それがバラバラではちょっとさびしい。散逸しない様にか、コンクリートの土台に乗っていることもあります。
建設現場での整理整頓とは違うような気がします。
もっともこの辺は、保存の考え方からいえば、そうしたほうが長く保存できることは紛れもないので、今日以降にとって良いことなのでしょう。

というように、歩いていると仕事とは全く違う世界が見えたり考えられたりしますので、それをもとにアクションを起こすというより、常日頃使わない筋肉を使うとか使わない脳細胞を使うとかの効用のほうが大きそうで楽しみです。今は半径数キロの範囲ですが、時々は車で出かけ、ついた先で同じようなことをしたいし、する時間がほしいと思っています。本日はウオーキング入門でした。


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2008年4月16日

アナログデータの総デジタルデータ化を、と、壮大な計画で始めたことがあります。
とはいっても趣味の世界で、手始めに紙の写真を、ネガがあるものはネガをスキャナで読み込み、ないものはそのままスキャナで取り込み、これは、整理(これが大変なのですが)を別にすればほぼ完了です。
ほぼと言ったのは、35mmネガなら良いのですが、一時使っていた使い捨てカメラのフィルムは、私のスキャナでは如何ともしがたく、まだそのままです。
もう一つ、VHSで撮りためた映画のほうも、いちどHDD-DVDに録画し、次にDVDに焼くという、何ともアナログな作業を繰り返して、これもほぼ終了しました。今は、直接PCに読み込んで焼くことのできる機器もありますが、私の場合はVHSレコーダとTVとHDD-DVDレコーダとをつないでの作業です。

まだ手をつけていないのはレコードです。これは数は少ないのですが、変換機器を所有していません。最近某大手メーカーからレコードプレーヤでUSB接続のできるものが売り出されましたが、作業が終わってしまえば用のない機器に投資することは躊躇されます。

最後に紙です。
書籍は別にしても、何かセミナーなどに参加した場合など、大量の紙が手元に残ります。これも、スキャンしてデジタルデータにすることを考えましたが、はたして保存する価値があるのかという気が起きたところでハタと止まってしまいました。紙を両面スキャンしてPDFにしてくれる機器も発売されていますが、いまひとつ購入に踏み切れません。名刺も紙ですが同じで、いまだに一枚一枚探しています。

以前、書籍が我がウサギ小屋(古い!)には増えすぎて大量に処分したことがあったのですが、その時も同じ悩み(?)で選別できず、結局目をつぶって専門書の類は時代遅れになっているからという理由(単位系など)で、すべて処分しました。ところが、何のめぐりあわせか専門学校で授業をする段になり、参照したいと思ったものがすべてないので、土木学会の図書館に行ったり、市の図書館に行ったり、右往左往しています。

人間は未来を予測できないので、今考えて、これは将来役に立つはず、と思ったものがまるで必要なく、逆に、もういらないと判断したものが必要になったりします。如何にデジタル化して物理的空間は極限まで少なくなったとしても、今度は、日常的に目に触れないため、二度と参照することはないようです。時々PCの「マイドキュメント」をのぞいてみると、ますますそう思います。映画も、DVD化して積み上げてあるだけで、そうそう見ることのできるものではありません。技術士CPDの記録も、保存しなければならないから保存しているだけで、まず見直しません。

となると、デジタル化を効率よく行うのは望み薄です。思い切って選別をやめ、片端からデジタル化するか、全くやめてしまうかの二通りしかないのではないでしょうか。VHSからDVDへは、趣味の問題ですから、それは簡単に実行できました。写真になると、同じ様な構図の家族写真のどれを残すか、と、少し違ってきます。仕事のために使った紙になると、これはもういけません。終わったものは捨てることが一番正しいような感じがします。必要になったときは、また最初から作成すればよいことです。

もっともこれらはみな個人的なことで、デジタルアーカイブズを否定しているわけではありません。国立公文書館JAXAアジア歴史資料センター、身近なところでは土木学会付属図書館のそれを見ていると、自宅に居ながらにして歴史資料の本物を参照できる楽しみがあります。研究者にとっては、私などよりもっと役に立っているでしょう。個人でのデジタルアーカイブズ構築は、結局のところデジタル化の本質を見誤ったことにすぎないのではないかと思います。
先日新聞に、HDD-DVDレコーダの使い方についての調査が載っていましたが、TV番組を録画して見る人は多くても、DVDに焼いてコレクションとする人はそれほど多くないとありました。さもありなんとの思いです。


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2008年4月4日


私の住んでいる地方では、入学式の日の前後に桜の花が散り始める様な季節感があったのですが、このところ少し前倒しになっているような感じがします。これは感じだけで、詳しく開花日を調べたわけではありません。今日は4日で、入学式は8日予定ですが、昨日は写真のように満開です。もう少し散り始めています。何でも地球温暖化のせいにすることは科学的ではないとは思いますが、疑いは晴れません。(もう少し桜の写真をご覧いただくにはこちらをどうぞ

4月といえば、またまた技術士のお話です。
もう、今年度の申し込みが開始されました。この試験は合格まで実に長い期間を要します。1年がかりです。聞くところによると、昨年度の試験で、新制度の様子がわかったので、今年度はどっと受験生が増えるらしいとのことです。真偽のほどはわかりません、あしからず。

私が今の仕事に変わる前勤めていた会社が、リストラクチャリングをはじめ、従業員の2割の希望退職を募るという記事が、先月末に新聞に出ました。人数の多かった同期や1期下の方はもう大部分(役員になられたごく少数をのぞいて)定年で辞めているでしょうから、ずいぶん従業員数が減ったと思うのですが、それでももう少し(どころか2割も)少なくしないと先行きが不安なのでしょうか。
時を同じくして、同規模の他社も、土木技術者に限って希望退職を募っているという記事も出ました。地方では、小規模の土木会社の倒産は落ち着いて、県や市町村中堅以上のところに移っているようです。
政治力などでそこそこ大きくなり、土木会社というより商社のようなところが行き詰っているようです。何のことはない、明治時代に「会計法」ができて、それ以前に鉄道工事で次々に大きくなった会社が、「入札」という制度に追い付けなくて倒産した再現ドラマを見ているようです。現代でいえばさしづめ「総合評価落札方式」ですか。

これについて、「日本土木建設業史」((社)土木工業協会、(社)電力建設業協会編 技報堂 昭和46年)にはいろいろ面白いことが書かれています。
明治22年の「会計法」により原則として国の工事は一般競争入札によることになったのですが、【官庁工事や陸海軍の工事は従来ほとんど特命見積式、それも内示をもらって受注する黙契が前提となっていた。(中略)しかし会計法の公布は、このような官庁工事と法人業者との非公式のつながりを完全に断ち切ってしまった。すべての仕事を競争見積式(競争入札)で請負業者の手に渡すとなると組織や技術陣の維持に負担のない群小請負業者の方がかえって低い札を入れやすい】(同書36ページ)【小金を工面して入札保証金さえ積めば、経験や信用が全くなくても旗上げの機会が与えられるのである。建設工事のもつ特殊な性格である小規模業者の濫立と淘汰という現象は、ここに生まれたということができる。】(同37ページ)

歴史は繰り返すといいますが全く同じではないようです。今度は「技術力」がメインになっているようにみえます。
しかし、先日土木学会で行われた建設マネジメントシンポジュウム(連続12回)の第10回「地方における公共工事執行のあり方について」の報告を聞いてきましたが、その中で「くじ引き」について【くじ引き少なくなし!】とされていました。つまり、地方においては差別化できるほどの技術力を要する工事は少ないため、評価に苦慮しているということだそうです。(写真はその報告の様子。画面の下の方。見ずらいのはご容赦)
 
まさに【闇】(日経コンストラクション 3月28日号)があるようで、【放流先の川よりも低いSS値】を提案して技術力を発揮したこととされるなど、技術が何を目指すものか、まるで混乱しているとしか思えません。軽自動車に3,000CCのエンジンは積まないでしょう。しかし、そうしたほうが評価が高いというのはどうしたことでしょうか。

土木技術者受難の時代です。暫定税率廃止の議論の中で、道路特定財源の無駄遣いがニュースになっています。何をもって無駄遣いというのかと、反論したいところですが、報道される事例をみると、その気も失せる有様です。道路はもういらないとの言も極端で偏見に満ちていますが、同じ様に、必要だという議論の論拠も心もとないことはなはだしいと思われます。議論の背後に、政権交代という政略(戦略)があるからでしょうけれど、もう少し緻密な議論がほしいところです。
いま、土木技術者は、全く将来を見通すことができないでいるでしょう。土木には道路だけでなく、橋やダムや鉄道もあるのですが、それらにしても無駄と切り捨てられています。細々と下水道(まだ普及率は低いのに全くと言ってよいほど議論になりません)ぐらいがかろうじて議論にならず残っているのでしょう。

では、どうしたらよいのでしょうか、我々土木技術者は・・・


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2008年3月17日

建設業が公共工事に参加するためには、経営事項審査というものを受けなければならないことは、建設業に携わる方ならとうにご存じでしょう。今年の4月1日から、その制度が変更されます。過去何度も変更されているのですが、どうも今回の変更は大幅なものだというので、その東京建設業協会による説明会に行ってきました。参加費無料、会員外でも参加できました。国土交通省関東地方整備局の担当官と経営コンサルタントの方が講師の講習会です。(この欄では、詳しい内容の解説をすることはありませんので、お知りになりたい方は、しかるべきサイトをご覧ください。色々ありますが、一例として本家国土交通省のページはここです。)

改正の概要は以下のとおりです。
(1)項目及び基準の見直し
(X1、X2、Y、Z、Wのそれぞれの基準等を見直して「公正かつ実態に則した評価基準」としたとされます)
(2)虚偽申請防止の徹底
(自己申告廃止と項目のエビデンス強化)
(3)企業形態の多様化への的確な対応
(4)申請負担の軽減等

これらのうち、私は以下の点に興味を持って聞いていました。技術力の評価はどのようになされるのか、です。今までは、職員数とか一人の技術職員を複数業種でカウントしていたことがありましたので、何が技術力を現すのかよくわからなかったせいもあります。

まず、X2において「職員数」を評価項目としていたのが廃止されました。
職員数は、技術力の指標にはならないと思いますが、会社の規模を表すことにはなっていたようです。しかし、規模は必ずしも技術力を表さないので、人数を指標にすることは、あまり適当とは言えませんから、これは妥当でしょう。Zのウエイトを0.2から0.25に引き上げたという点が、技術力重視を表しているとなるようです。
ここでは「1級技術者であって監理技術者資格者証を保持し、かつ監理技術者講習受講者」が6点と最高です。1級で監理技術者以外は5点、2級は2点です。
ただし、複数業種でのカウントを制限し、一人2業種までとなりました。
たとえば1級土木施工管理技士であれば「土木」「とび」「石工」「鋼構造物」「舗装」「浚渫」「塗装」「水道」の許可時に専任技術者となれますが、経審においてはこの8業種中2業種までとなったのです。これによって、自分の会社は、どの業種で経審点数を高くしたいかによって、どの業種をカウントに加えるかの判断がより必要になります。

また、「基幹技能者」3点という項目も新設されました。優秀な技能者あっての技術力であるのに、今までは技能者の評価ができていませんでしたが、これによって幾分違ってくると思われます。
ところが、現時点では、どのようなひとがこの「基幹技能者」であるとされるのかはっきりしません。説明した方も、このあたりは微妙に省略していたようです。

というのも、今までも「基幹技能者」という呼称はありましたが、経審では「登録機関技能者」といわれており、国土交通省に登録した機関が実施する基幹技能者講習を受講し修了した者という意味なのです。登録以前の基幹技能者には移行措置が行われるとは思われますが、何もしなければ加点対象とはならないようです。
つまり、法律が4月1日施行ですから、その日以降でなければ基幹技能者の講習を運営している各専門工事業団体は、登録機関としての申請ができず、その結果、4月1日の時点では、まだ「登録基幹技能者」はいないことになるのではないでしょうか。
もちろん、これらのもとになる「建設業法施行規則」が改正されたのは平成20年1月31日ですから、その時点ですぐ準備をし、施行と同時に登録すれば、今年の夏にも「登録基幹技能者」が誕生し、今年度中には実際に経審で加点評価がされるであろうという見通しもあります。

技術力というのは、機械でも材料でもお金でもなく人ですから、こうした制度は悪くはないのですが、講習の内容がはっきりしないことが気になります。技能者の資格ですからペーパーテストだけでは心もとないし、そうかと言って実技試験を義務づけるのも大変な気がします。
と思ってネット検索してみたら、いくつか「特例講習会」というのがありました。一例として「平成20年度電気工事基幹技能者特例講習会の概要」というページを見ると、その受講の条件として次のようにありました。(社団法人日本電設工業協会ホームページより)
○平成19年度以前に基幹技能者の資格を取得した者で、次の条件を満たすことが必要です。
1.基幹技能者資格を取得後、1年以上基幹技能者として電気工事の現場施工に従事した経験があって、これについて事業主等よりの証明が得られること。
2.電気工事の現場施工に従事して、10年以上の実務経験があり、3年以上の職長経験を有していることを証明できる者。
実務経験は事業主による証明とする。
職長経験は事業主による証明と、労働安全衛生法第60条による職長教育修了証とする。
これは、上でいう移行措置に当たるようです。他の団体でも似たような移行措置を行いつつ、新しい講習会を準備するのだと思われます。

話題は異なりますが、ここにきて、建設業の団体も、(社)日本土木工業協会と(社)日本電力建設業協会、(社)日本鉄道建設業協会、(社)日本海洋開発建設協会が合併する方針を打ち出しました。「新団体の会費は、現在の4団体に支払う会費を合計した金額の8割程度に抑える予定」などと「日経コンストラクション」のサイトにありますから、重複して入会しているための会費の削減が始まるようです。先の経審で自己申告項目の廃止といい、いよいよ建設業も、の感があります。

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2008年3月7日


2007年度の技術士2次試験の結果が発表されました。合格率はこれまでとあまり変化がなかったようです。
しかし、日本技術士会の発表方法の変化は大きくありました。統計情報のページを見ると、かなり詳しく分析がされています。

PDFファイル4ページ目を見ていただくとわかりますが、試験地別、年代別、勤務先別、最終学歴別と、今まで想像するしかなかった(たとえば、最近公務員の受験が増えている印象や、若い人が増えている印象など)事実が、数字ではっきり見えます。

まず、勤務先で「官庁」、「地方自治体」、「独立行政法人等」、「公益法人」となっている分に着目してみました。
受験者数は、それぞれ2.4%、8.0%、1.6%、3.8%ですが、合格者数になると3.5%、9.8%、2.3%、5.0%と上がってきます。対受験者合格率をみると、総平均では16.1%であるのに、先の順で23.1%、19.6%、23.8%、21.0%と全部上回っています。今まで特に資格の必要がなかった勤務先でも、最近受験を奨励しているようなことは聞いていましたが、そうなると是が非でも合格しないといけない圧力となるのでしょうか。

次に、年齢別を見てみます。合格者の平均年齢は41.6才です。これも私の受験時代からはだいぶ下がった印象です。
しかし、合格者数で最も多いのは45.8%の30代で、30代と40代で実に79.1%を占めています。20代では2.0%と少ないですが、ここは徐々に上がっていくのではないでしょうか。頭の下がるのは「70代以上」が0.1%と少ないですが5人もいらっしゃることです。

ついでに合格者の最終学歴を見ると、大学院+大学で実に92.6%を占めています。技術士は学歴に関係のない資格なのですから、こうした統計を発表するのは、むしろその意味に逆行すると思われますが、1次試験受験が必須になって、基礎的な教育を長く受けているか否かが、こうした数字になるのではないかと思います。独学で体系的な勉強をすることのむずかしさがわかるような結果です。

なにはともあれ毎年この時期になると、この「ひとりごと」は技術士試験の結果に言及しているので、今回のような詳細な統計は非常に興味があります。まあ、受検地別や先にも記したように学歴別は必要ないと思いますが。

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2008年2月27日

私は映画を見るのが好きですが、最近では映画館へ足を運ぶこともすっかり無くなりました。少し歩けばシネマコンプレックスもあり、環境は映画館が近くに全くなかった10年ほど前と比べると非常に良くなっているのにくわえ、「シニア割」だとか「旧作割」だとかいう制度もできており、料金面でもかなりありがたいことが起きています。それでも、ごくわずかになったのは、いつの頃からか「映画は映画館の大画面で見なければいけない」との観念が薄れて、今はもっぱら「DVD」を家の古いTVで見ているからです。

そのDVDも、購入したのはほんのわずかで、大部分はNHKBS2(コマーシャルが入らない)かケーブルTVの無料放送を録画したものです。古いTVですから、画質云々はあきらめ、1枚に入るかどうかが基準です。標準では2時間となっていますが、画質を落とせば2.5時間は入ります。映画には、ほぼ十分です。もう470タイトル程たまっています。非常に偏った内容で、西部劇やアクション中心ですが。以前はVHSでの3倍速録画でしたが、さすがに画質は良くなく、しかも今見るとかなり劣化しているので、ほとんど捨てました。貴重と思われるもの(地方局がケーブルTVで見られたので、もう今ではどの局も放映しないようなB、C級西部劇の大幅カット版など)はDVDに焼きなおそうと思っています。

ここへきて、HD-DVDかBDかという新たな選択肢の悩みが、HD-DVD撤退で決着がついたようです。
良かったのか悪かったのか。早かったのか遅かったのか。どちらも導入していなかったので現在は自分には影響はないのですが、将来BDが主流になると今私の持っているDVDは昔のVHSと同じ運命をたどって捨てなければならないことになりそうです。互換性がないようですから。
もっとも、今でもDVD再生機にVHS再生機がついたものも売られているように、両方できますという機械も出るでしょう。DVDのスーパーマルチドライブのようにPCでならすべてが対応というようなことも推測できます。互換性がないということはドライブを2つ搭載するのでしょうが。

早く規格を統一しないと、消費者が困るというような論調を目にしますが、それはその通りです。しかし、昔私が最初に入手したNECのPC-8801のように、PCの世界にも独自の様式があった時代があります。自然にかどうか、消えてゆきました。技術の生み出した製品は、このようになるのが当然ではないでしょうか。

大昔、まだ映画雑誌を読んでいたころ、お金持ちがハリウッドで、16mmに縮小された映画を買い、自宅で楽しんでいるなどということを知り、羨ましく思ったものです。もっとお金持ちは、35mmそのものを買ったようです。
そういえば、「私にも写せ」る8mm映画も消えてゆきました。ASPのフィルムもまたそうなりそうです(これはまだある)。
レーザーディスク(これも今ではどうなっているのでしょうか。カラオケをあまりやらないので、最新事情はわかりません)なども出ましたが自分では所有するなど夢にも思いませんでしたので、面白い映画は何度も映画館に足を運んでいました。VHSが出て、安価でしかも自分の好きな時間に、自宅で見ることができるようになり、技術の進歩とはこうしたものかと真剣に思いました。

しかし、先日、初めて遅ればせながらケーブルTVのビデオ・オン・デマンドで映画を見、複雑な心境になりました。
今はまだ1回ごとの視聴費がばかになりませんが、近い将来、映画は音楽と同じく所有するものではなくなるのではないかと思います。所有していると同じように好きな時間に好きなところで映画が見られるようになるのでしょう。ユビキタス社会ですね。
そうなれば、BDの将来も少し違ってきます。いちいち録画して所有するのは、また大昔のように限られたマニアだけになってくるような気がします。
DVDのメディア自体は、何年もつか、まあ、私が生きている間ぐらいは大丈夫でしょうが、再生機の方はどうでしょう。私のものはまだ6年ほどなのにもう4回も修理に来てもらっています。6年といえば、PCは古くて趣味以外仕事などには使い物にならなくなりかけている時期です。

技術は進歩するけれども、継続性がなくなってきたら、それはそれで不便な状態が起きます。ある日突然所有しているDVDの映画が見られなくなったらどうしようか、などと考えてしまいます。そもそも本に図書館があるように、すべての映像作品も(今のように図書館の付属ではなく)映像専門図書館ができるのではないでしょうか。それはそれで好ましいかもしれません。でもやはり、書棚に詰まった470タイトルの映画は見たいと思っています。コレクターとはそういうものでしょうか(そうです)。


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2008年2月11日

「建設マネジメント技術」(財団法人経済調査会)という雑誌の2月号に、私が非常に面白いと感じた論文があります。この号は特集が「公共工事の安全対策」で、その中の1編「作業現場の風土が安全に及ぼす影響」(産業医科大学産業保健学部 庄司卓郎(講師))です。

これは、大手ゼネコン12社の現場職員と一次協力会社の職長を対象として、「和や協調を重視」するかどうか、「上下関係が厳しい」かどうかを聞き、同時に安全意識(たとえば「建設業に従事していることを「ほこり」に思っている」かどうか、「安全が確認できなくても、作業の中断はしない」かどうかなど)をアンケートとして聞き、それらの相関関係を調査・分析したものの概要です。
筆者(庄司)は「安全風土」という用語を使っていますが、「社風」と置き換えてもよさそうです。企業の合併の際など、あの2社は社風が違うから、合併後うまく経営できるか、などということはよく聞きます。その社風です。社内文化などという場合もありますが。安全にしても、社員がかかわるのですから、何らかの特徴が表れてしかるべきでしょう。
はたして、安全意識と「安全風土」の間には、興味深い相関がみられるというのが、この論文の内容です。

こうした2面に深い関係がありそうなことは容易に想像できますが、因子分析までを行って、いわば数値的に相関関係をとらえた論文を読んだのは、寡聞にして初めての経験です。この論文は、いわばダイジェストで、「産業安全研究所報告」や「日本人間工学会誌」に、もとになる論文があるようなので、ぜひそちらも読みたいものです。「建設マネジメント技術」は、購読していても本社などに置いてあることが多いようで、現場の人の目にはあまり触れない(筆者(私)の経験です。現在では違うかもしれません)様なので、結論部分だけを私の解釈を含めて紹介します。

(1)現場の安全風土は安全意識に影響し、その影響は管理者(本社職員)が思っているより現場の職長に強く働く。
(2)安全風土の影響は、「負の安全意識」で強い。(周囲が安全行動をせず、それが黙認されていると、自分も安全を重視する気持ちが低減する)
(3)このように、安全を積極的に考える気持よりも、安全を軽視する意識のほうが風土の影響を受けやすい。
(4)20代では風土との関連が弱く、あまり影響を及ぼさない。

このように要約してしまうと、いろいろ考えさせられますが、(3)をのぞいてはやはり想定内のようです。
(1)では、管理者層が長年かかって作り出した風土が、現場で働く人にどのように「風圧」となっているかを考えないと、掛け声だけの「安全管理」では無意味なことを予想させます。
(2)(3)では、積極的な活動があれば安全意識は持続するが、ないとすぐに「負の安全意識」が首を持ち上げてくるということでしょう。よく、気を抜いてはいけないといいますが、気を張り詰めていてもなかなか安全意識の高揚は見えないのに、気を抜くとすぐ低下することが実証されたようです。このように明確に非対称であることがわかるということは、すこし考えさせられます。
(4)では、若い人はまだ風土の作り出す「雰囲気」に馴染んでいないことを予想させ、風土を変えていくためには、この年代への働きかけが重要であろうと感じさせます。

ぼんやりと仮説として思っていたことが、こうした分析によって数値的に明らかになることが科学的な安全管理につながるので、そう思うと、今までの安全管理は、事故の件数や起因の分類だけにとどまっていたように思われます。墜落事故が多いから重点目標は「墜落事故の防止」だ、というような具合です。そして、現場で無事故なら「よかった」で済んでしまい、そのプロセスを反省的に分析することをせず、また、新しい現場で最初から、となってきたようです。

この号には、他にも参考になる論文(たとえば「建設工事の労働安全に関する研究」(独立行政法人労働安全衛生総合研究所豊沢他)があります。マネジメントの立場にいる方には、ぜひお読みいただきたいと思います。(文中敬称略)


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(私の属する町内会でも採用しています)


2008年1月29日

土木技術者の失敗について話をせよというリクエストがときどき来ます。失敗なら私自身が数え切れないほどしているので材料には事欠きませんが、リクエストの趣旨は、今後失敗をなくすためにはどうしたらよいかを考えるためなので、単なる失敗談では何の役にも立ちません。むしろ人は私も含めて失敗をどのようにして回復したかのほうを語りたがるため、あまり突き詰めて結果としての失敗の原因を考えません。

こんなことをいつも考えているわけではなく、たまたま本を整理していたら「ボーモンの卵―ティ橋落橋事件の真相―」(1987年建設図書、川田忠樹著。書き込みが1987年ですから、出版されてすぐ買ったようです)が出てきてたからです。
この著者は「だれがタコマを墜としたか」(1975年同。私は1982年に読んだという書き込みがあります)で有名ですが、後で読んだ前者はすっかり忘れていました。
最近アメリカの落橋事故で、設計ミスというような報道がなされているため、読み返してみると、これも大変勉強になるものでした。

いま私が時々神保町の代わりに利用する「日本の古本屋」で検索すると、当時買った値段より高くなっているので、少しは興味のある人がいるのでしょう。
それにしても、土木の書籍は、いつも言うように解説書と教科書と受験参考書それに少しのエッセイ類ぐらいで、こうした本は見つけるのが非常に難しいものです。土木書に限らず、技術者はもっと本を書くようにしていただきたいと思います。もっとも、売れない本の筆頭が土木書では、そうもいかないとおもいますが(自費出版の胡散臭さが暴かれたばかりですし)。
閑話休題
これらの内容についてはネット上でもでかなり的確に紹介されていますからここではふれませんが、「ボーモンの卵」について思うことがありました。

鉄筋強度とり違え、建材の耐火性偽装、型枠偽装など、立て続けに、どちらかというと「材料」に属する偽装や誤りが出てきましたが、「ボーモンの卵」も同じようなことです。
川田本から引用します。
【ボーモンの卵(Beaumont's Egg or Beaumontegg)の存在については、公式の席ではともかく、これまでも密かに人々の間では囁かれ続けてきた。(引用者注。1880年のことです)なんでもロウと鉄粉を混ぜてつくるパテのようなもので、鋳物の小さな傷などの補修に使用されて、硬化後に石でこすると、その外見はあたかも鉄の表面のようになる】(45ページ)ものだといいます。
だから、テイ橋の落橋の直接原因は風ですが、材料と施工不良が大きく関係していたということです。

そしてもっと私たち技術者に耳の痛いことは、【ただ残念なことに、このゼネコン(引用者注。下部工施工。問題の「ボーモンの卵」を使った材料が橋脚に使われた)には誰一人鉄に詳しい技術者はおらず、すべては寄せ集めた職人任せとなり、品質管理の体制も整わぬままに仕事が進められていった】(49ページ)ということです。128年も前の状況を説明する文章なのに、なんと現在に似ているではないでしょうか。
もちろん私も鉄には詳しくなく、JIS規格に頼りきりの技術者人生を歩んだわけですが。
まさか現在まで「ボーモンの卵」なるものが生き残っているとは考えられませんが、土木技術者は、材料の知識が絶対に欠かせない事項であると、改めて感じました。
なんだかかしこまってきましたので、本日はこの辺で。

付記:
1月11日の「ひとりごと」に出した「オートクロム」について、「ナショナルジオグラフィック日本版」2月号30ページに「「オートクローム」誕生から100年」という記事がありました。


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2008年1月17日

またまた出ました。

週刊「東洋経済」1月19日号の特集は「ゼネコン現場破壊」です。「超ダンピングの末路と“異界”からの大侵食」と副題があります。「素人同然の現場監督者が送り込まれて来る」(41ページ)、「値引きしか能のないゼネコン」(51ページ)と、容赦のない筆致です。後者はゼネコンの戦略(?)ですが、そのため技術者教育も技術の伝承もできず、「素人」が監督し、「劣悪な労働現場に職人は我慢の限界」(40ページ)となっているのが現状と言っています。そのほか「建設業界は悲鳴に満ちている。この現状を招いたのは誰なのか。それは、ゼネコン本人にほかならない。」(36ページ)などの記述もあります。

“異界”からの侵食とは、ボヴィス・レンドリース・ジャパンという会社のCMで、これはもう確固とした地位を築いているようです。

尤も、これらの事例はほとんどが建築の事例ですから、私のような公共土木畑では違うのかというと、そうはいかないようです。
国土交通省では土木の試行工事で
CMを取り入れていますし、地方公共団体向けにCMrを紹介したりしていますが、その導入の動きは遅々としています。ゼネコンという「時代に適合できず絶滅に瀕している」「ダイナソー(恐竜)」(49ページ)が、まだまだ土木界の中心にいるからでしょう。
この特集では、土木学会までやり玉にあげられ、「発注権限を握る技術官僚は改革に後ろ向き(中堅ゼネコン首脳)」(
56ページ)であるから「役所に対して中立的な立場から提言すべき学会も、土木学会のように会長に国交省出身の技術官僚OB2年に1度就任して役所と一体で動いているのが実情だ」(同)とされてしまっています。「役人が業界を潰す!?」(同)などの見出しもあります。
惨憺たるものです。

CMといえば思い出します。
私が
CMrを公共土木工事で手掛けたのは、もうずいぶん昔、2000年ですが、このときもCM業務という名称は使われませんでした。インハウス技術者の抵抗があったともれ聞いています(本当のところはわかりませんが)。そのためか、何とも中途半端なCMになってしまいましたが。
このとき、
CMを受注した会社からCMr(もどき)へのオファーがあり、一も二もなく引き受けたのは、この方式でなければ土木技術者の将来はないと感じたからです。当時、その会社の担当役員と「こんなに早く動くとは思わなかった。あと5年はかかると思っていた」と話した記憶があります。5年はとうに過ぎましたが。
(このあたりの経過は、この「ひとりごと」のどこかに書いたのですが、現在新旧入り乱れてよくわかりませんので、そのうち整理します。ご容赦)

その後、このサイトにCMのことなどを書いたからか、西のほうのある地方自治体の議員の方から質問を受けたこともあります。その自治体の土木職員は「土木にCMは必要ない」と言っているが本当か、というものです。それは間違っていると長い返事をしましたが、それっきりでした。
また、ある専門工事業(土木系)の団体で
CMについて講演をしたこともありますが、あまり反応はないように感じました。

技術者は、研究者が実験室にこもり、作家が書斎にこもり、画家がアトリエにこもるのと同じく、現場にこもらなければ技術者にはなりません。パソコンの前にすわって、書類づくりに忙殺されているから「素人」のままなのでしょう。技術者がそうならないように経営者は考えなければならないのですが、なにしろダンピングしか手段を持たない経営ですから、しわ寄せは従業員技術者、下請け技能者(職人)に来るのは、お金の面からだけでなく当然のことで、負のスパイラルそのものになっているのでしょう。(現代のもう一つのゼネコンといわれるIT業界も同じような話が聞こえます)

今朝(17日)の日経新聞1面「YEN漂流 縮む日本」の最後に「困難に際し単に身をかがめたり、政府に助けを求めるだけでは競争力は高まらない。」とあるのは、実現には時間と知恵と労力と資金が必要で困難ですが建設業にも当てはまると思います。

今朝、私の住まう地方でも初雪が降りました。13年まえ、阪神大震災発生をTVで見ながら、当初のニュースでは被害規模が少なく伝えられたため出かけ、客先で被害の大きさを知り絶句したことを思い出します。

公園の初雪




2008年1月11日

今、NHKBS1で放映されている「BS世界のドキュメンタリー」、「奇跡の映像 よみがえる100年前の世界」を見ています。全9回のシリーズで、10日は「第6回勝者と敗者」でした。「BS世界のドキュメンタリー」は、時々面白い番組があるのでチェックしていましたが、このシリーズは、面白いというより驚愕でした。100年前のカラー写真もそうですが、生まれたばかりであったはずの映画も大量に残っていたということです。カラー写真は72,000枚、モノクロ写真は4,000枚、フィルムは100時間分だそうです。もちろん日本の映像もあるようで、番組サイトによれば、1月13日(日)午後10時10分〜11時00分は「第8回 東洋 不思議の世界」だそうです。
私はこんな時間は不得手なので、毎回録画をして見ていますが、皆さんもどうかご覧になるとよいと思い紹介します。
原題は「 Wonderful World of Albert Kahn : Vision of the World」、制作はイギリスBBC( 2007年)です。

誰が世界50カ国以上にカメラマンを派遣するこんな企画をたてたのか。先のサイトによるとフランス人のアルベール・カーンという大富豪だそうです。すこし引用させてもらいます。「独仏国境のアルザスでユダヤ人家庭に生まれたカーン。証券デイーラーとなり大富豪に。ドレフュス事件で反ユダヤ感情が渦巻くと、社会の表舞台から退き、各国を旅するようになる。カーンは各地から失われていく少数民族の文化、生活を記録し、20世紀初頭のあるがままの世界の姿を記録するべく、当時、画期的とされたカラー写真(オートクロム)の技術で第一線のカメラマンに世界各地を回らせ、結果的に今から100年前の世界5大陸の映像が後生に残ることになった。」

オートクロムとは何か。Wikipediaによれば、「フランス人のリュミエール兄弟によって発明された最初のカラーフィルムであるオートクローム(Autochrome Lumière)は1907年に市場に現れた。これは染料で染めたジャガイモでんぷんで作られた「スクリーン板」フィルターに基づいたもので、ドイツのアグファが1932年に類似のアグファカラー(Agfa Color)を発売するまでは市場における唯一のカラーフィルムだった。」ということです。
リュミエール兄弟の名が出てくるのは、私のような映画好きにはうれしいものですが、彼らは娯楽、興行を目指し、カーンは記録の媒体として使ったのは面白い対比です。

少し調べてみると、フランスには「アルベール・カーン美術館(博物館)」があり、そこのコレクションとして現物を見ることができるようです。また、この美術館には日本庭園があり、また、彼は日本にも来たことがあるようです。

アルザスと言えばドーデの「最後の授業」(この小説は事実と異なり欺瞞であるということをのちに知りました)を子供のころ読みましたから、カーンの父が国籍をフランスに選んだ理由も何となくわかります。それが彼の大富豪への第一歩であったのでしょう。しかし、番組のナレーションの中では、カーンが死んだ時は無一文であったとも言っています。壮大な計画とその実施で資産を使い果たしたのでしょうか。お金を持っていない私の陳腐な感想ですが、人のお金の使い方はこうでなきゃ、という感じです。マイクロソフトのビル・ゲイツも大富豪ですが、引退して福祉財団活動に専念するというように、欧米人にはこのようなお金の使い方をする人が(多いか少ないかはわかりませんが)います。日本人にも、個人の美術品などのコレクションを公開する人がいました。しかし、現代の今まさに富豪になりかかっている人はどうでしょうか。

何はともあれ、現代でこそ動画がデジタル化されて膨大に蓄積されていますが、100年前(2008年現在では明治41年。コレクションには第一次世界大戦のものもありますから、正確には1940年カーンがなくなるまでの期間)のこうした記録は、もっと歴史学、民族学研究に役立てられてもよいのではないかと思います(私が知らなかっただけかもしれません)。役立てるには整理が必要です。現代の膨大な動画記録を、100年後の研究者はどのように整理するのか、少し心配がありますが。


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2008年1月1日

新年あけましておめでとうございます。旧年中はたくさんの方にこの「ひとりごと」をお読みいただきました。ほんとうにありがとうございます。
本年も私の「ひとりごと」を、どうかよろしくお願いいたします。

土木学会誌が、1月号から縦書きになりました。こうして横書きの文章を書き、横書きの本(技術書など)を読んでいる身には、大いに違和感があります。しかし、編集後記には【土木は専門技術のみならず、幅広い知識・経験に基づくマネジメントが求められます。】とあるように、ようやく閉じた世界である土木界の方から「何とかしなければ」という機運が出てきたのかとも思います。
以前「土木の人間は文学、歴史書を読まない」という記事が当の学会誌(2007年6月号88ページ「忙中ペンありパート2」。そういえばこのページも縦書きでした)に出ていたことを紹介をしましたが、それにもまして社会のことに無関心であった反省かとも思います。新春インタビューで中曽根元総理大臣が「「政治は土木なり」といっています。作る方の言葉です。昔学生の頃私は、土木屋は「地球に彫刻をする」人だとおそわりました。そのことがいろいろな場面で思い出されます。彫刻は芸術家なら自分の「思い」でできますが、土木屋はできません。その根本のところは政治の方にあります。
そんなことから、土木屋の中に、自分がインフラを使う方ではなく作って与える方だという奢りのようなものがなかったか、(彫刻を)見る人、(インフラを)使う人の立場に立って考えることが、今更ながら大切だと、この世界に住む私を含めた住人が感じ始めたのでしょう。日本の圧倒的書物は縦書きであるのかどうか、調べたことがないのでわかりませんが、日本の社会に入っていこうと考えたのなら、読む違和感などは微々たるものです。

縦書きの技術系学会誌は、果たして受け入れられるでしょうか。私はおそらく早晩変更を余儀なくされると感じています。今号のような政治家や社会学者、経済学者の文章を多く掲載した中にも物理的(?)に無理な場面も多くあります。たとえば数字です。さすがに電話番号などまで漢字にはしていません。
しかし、上に述べたような理由で縦書きにしたのであれば、ここはすこし様子を見ることだと思います。残念ながらこれは学会誌で、一般の方の目にとまることは少ないと思います。まず、「隗より始めよ」ですね。

※青字部分加筆。2008.1.9


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