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技術士のひとりごと 2010

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2010年12月15日

恒例(?)「週刊ダイヤモンド」のゼネコン特集ですが、今回は「ゼネコン時限爆弾」(12月18日号)です。これまでも「消滅」したり「落城」したりしたはずですが、まあそれはこの業界のしぶとさの現れですから置いておくことにして、またも購入して読んでみました。

記事の構成はいつもと変わらず、大変だ大変だが大部分を占め、その視点での大変だランキングを組立て、ほんの少しだけ、それでもがんばって利益を出している成功事例が紹介されています。

ちょっと気になった内容があったので今回はそれについて述べようと思います。その前に、「時限爆弾」について少しだけ。時限爆弾は三つあるといいます。

①公共事業の低迷からの市場縮小
②モラトリアムの終了で資金繰り悪化
③経審の改正で受注減

これらの結果、さらに建設業者の淘汰が進む、というのです。
取り立てて目新しい「時限爆弾」ありません。時限爆弾という、爆発的な効果がある事態というより、じわじわと効いてくる麻薬のような感じではないかと思うのですが。
①はもう20年も言われていることですし、「コンクリートからひとへ」のスローガンは隠れたとはいえ、打ち上げた人は元気で、またまた「議院1院制構想」などを発表していますから、この傾向は変わらないでしょう。
②は、2011年3月で終了するのをやめて延長する案が、昨日今日出てきましたから導火線が長くなったようなものです。
③は待ったなしですが、はたして「爆弾」と言えるようなものかどうかは疑問です。まあ再生企業には厳しくなったようですが。

おりしも国土交通省では12月17日には、「建設産業の現状を踏まえ、今後の建設産業、特に地域建設業の具体的な再生方策を策定するため、今般、学識経験者からなる「建設産業戦略会議」を設置」して、その第1回の会議が行われるという発表がありました。

しかし、その「学識経験者」委員の顔ぶれをみると、大学教授、証券マンなどばかりで、実際に「地域建設業」をよく知っていると思われる顔ぶれはいないようです。これは、少し前に、事業仕分けで廃止とされた監理技術者資格者証についての会議でもあったことで、微妙によく知っている人を避けて委員を選考しています。意図が透けて見えるようで面白いですね。

まあ、それらはそれとして、「週刊ダイヤモンド」の特集「ゼネコン時限爆弾」についてですが、気になったのは50~51ページの記事です。「受注減が”建設業離れ”も招く」「人材獲得・若手育成の懊悩」と題されています。不人気は今に始まった事ではない様ですが、今は、その理由の質が違ってきているというのです。少し長くなりますが引用します。

【とはいえ、職業の人気は単純に給料や労働時間などで決まるものではない。昨今、農業や水産業が脚光をあびつつあるように、給料が安く、労働時間は長くても、夢のある仕事、やりがいのある仕事、喜びを見出せる仕事であれば、若者は来るのだ。】【「建設業が不人気である最大の理由は、かつてのような大規模な事業がなくなり、夢がなくなってしまったことだ」と、あるスーパーゼネコン幹部は言う。】【今は大型公共事業が激減するなか、大手ゼネコンのキャッチフレーズでもある「地図に残る仕事」や「子どもたちに誇れる仕事」は、減りつつあるのが実情だ。】

時代が建設から維持管理へと移っている事はよく言われますが、それこそが人材獲得への一大障害になっているというのです。2030年には、2005年と比べて生産年齢人口が20%減少しますが、建設業就業者数は44%減(278万人)になるという国土交通省の予測もあります。この欄で何度も書いてきたように、大学などの教育機関から「土木工学科」の文字がなくなり、学生の不人気は続いています。今回の「週刊ダイヤモンド」特集「ゼネコン時限爆弾」を読んでみて、この人材枯渇こそが、いま最大の時限爆弾ではないかと思った次第です。









2010年11月30日

芸術の秋も随分深まりましたので、国立新美術館の「ゴッホ展」に行ってきました。招待券がありましたし、平日の方が混んでいないと考えての事です。ゴッホは、日本で人気のある画家ですので、過去何回も展覧会が行われ、私も3回ほど行きましたが、いつも人の背中ばかりを観るような事になっていました。国立新美術館にも行った事が無いので、ここは順当に、千代田線乃木坂駅6番出口から入るコースにしました。階段の手すりもウエーブで、美術館のモチーフが生きています。

ところが、予想に反してかなり大勢の人が来ていました。改めてゴッホ人気を観た思いです。今回は、「没後120年」と銘打っての展示ですが、ゴッホといえば「ひまわり」と思ってしまう私にはさみしい事にそれがありません。「アルルの跳ね橋」もありません。同時代の他の画家の作品もあって、企画意図はそれなりに判りましたが。

実をいえば私のゴッホ観は、カーク・ダグラス主演の『炎の人ゴッホ』(1955年アメリカ 監督ヴィンセント・ミネリ(ライザ・ミネリの父親))によっています。

【「周囲の無理解にもかかわらず情熱をもって独自の芸術を追求した狂気の天才画家」という通俗的なゴッホのイメージを定着させるのに決定的な役割を果たした。】という評価が、「ウィキペディア」にあります。その通りで、私の理解はそれくらいです。

これまでも(今も)第一に好きな画家ではない(第一はターナー)のですが、なんだか縁があってよく見に行きます。そのたびに解説を読むと、こうした「通俗的」解釈は誤りだと書いてありますが、一度刷り込まれた印象は、なかなかぬぐい難い者があります。


司馬遼太郎の「竜馬がゆく」5冊を愛読書に挙げる方がよくいますが(政治家に多い)愛読書というのは何回も読む本の事をいうので、あんな長い小説をそう何回もは読めないと思うのですが。私も、文藝春秋から出た昭和45年第44刷(何と定価420円!)「立志編」から持っています。一度読んだきりです。

この本を何で持ち出したかというと、先の「通俗的理解」にぴったりするのではないかと思ったからで、世の中には、こうした決定的にイメージを作り上げられた事項が多く存在します。竜馬は司馬遼太郎の物です。土方歳三と沖田総司は、出は司馬遼太郎ですが、決定打はTV時代劇「燃えよ剣」です。ということで、話はあらぬ方向に飛びましたが、ゴッホは私の中では今も「狂気の天才画家」です。

今回感じたことですが、ゴッホの絵は皆小さいですね。他の画家はかなり大きな絵を描いていますが、ゴッホはそれらに比べると小さいものばかりです。生涯に1枚しか作品が売れなかったといいますから、貧乏のためであったのかもしれません。「黄色い家」の部屋が実物大で再現されていました。狭いねという声があちこちで聞こえました。






2010年11月18日

2000年11月5日の毎日新聞に「旧石器ねつ造」というスクープ記事が出ました。前期・中期旧石器遺跡発掘現場で、「ゴッド・ハンド」と呼ばれた発掘の名人が、実はどこかから拾ってきた石器を埋めては、自分で取り上げていたというのです。その埋めている場面がはっきりと写真に撮られ、ビデオに撮影されたのです。考古学界は蜂の巣をつついたような騒ぎになりました。

博物館に行くと展示物に蔽いがしてあったり、出版物が次々と絶版に追い込まれたり、教科書会社が文部省に改訂版を申し入れたりが、いっぺんに起きました。日本の歴史は、一気に岩宿文化まで引き戻されました。

本人は怒るでしょうが、この「ねつ造」と「ゴッド・ハンド」を世に売り出したのは、当時文化庁にいたお役人です。少なくとも私はそう思っています。マスコミが持ち上げすぎだったとか、考古学ブームだったなど、何とでも言えますが、権威を与えたのは一体誰だったのでしょうか。

10年たって、そのお役人(今では退職したようですが)の言い訳本が出ました。あえて私が「言い訳本」というのは、アマゾンで品切れのところを辛抱強く待って手に入れ、一気に(ほぼ徹夜)読んだ上での感想です。思いっきり悪口になりますから、その書名と著者名は省きます。興味のある方には上記の記述で判るはずですから。

なぜ言い訳か。第一に、245ページ中116ページ、47.3%もの分量は、ねつ造の現場を説明して、何故見抜けなかったかを語っているだけです。まるで、自分はそこに居なかったから(役人になって指導監督する立場になったから)実は責任はないのだ、責任を感じるというのは私が指導する(偉い)立場であることを考えたからだ。
第二に、ごく最近「ゴッド・ハンド」と会って居ながら、何も聞き出せないでいた(本人は「「覚えていない」の一点張り」と書いているだけです)事です。なぜ執拗に聞かなかったのか。そのぐらいはしてもよいと思います。
第三に、これが最も腹が立った事ですが、自分達(考古学者)の事だけを延々と語っていて、その周辺、私のように昔から興味をもって本業の傍ら勉強してきた人間(私は勉強とまではいきませんが)、教科書を読んで育った人間、いわゆる考古ファンに対する言葉がほとんどない事です。

全て学問は、その研究者だけを考えればよいのではありません。つい先日話題となった「ハヤブサ」を考えてみれば判る事です。考古学者が、自分たちだけの事を考えている事は、これも先日の資料・文献を外国に譲る事件を考えれば明らかです。そうして、それらを「指導・監督」してきた人の本に、これまた一般国民の事が書かれていないのもそれを補強します。

昭和49年などという古い話を持ち出すのはどうかと思いますが、話の発端はそこまでさかのぼるのです。
この年私はある有名な貝塚遺跡の近くでシールド工事に従事していました。当然といえば当然のことながら、遺跡を壊すなという反対意見があり、工事は中断しました。遺跡の範囲は広大で、公園になっている部分の何倍もの広さが推定されていました。シールド工事ですから、遺跡には影響ないのですが、とはいっても立坑があります。中断中は、正直何もすることができませんでした。毎日退屈な日を送っていました。その公園には、博物館があり、縄文時代の事を詳しく展示していました。暇にまかせて毎日通ううちに、中々面白そうだという事が判ってきました。それまでは、邪馬台国に興味があって、原田大六さんの本などを読んでいました(もちろんきっかけは藤間生大「埋もれた金印」です。この話題はまたあとで)。ここで切り替えて、考古学にターゲットが行きました。
 
写真は、当時の読書ノートです(自慢するわけじゃない、私だけじゃないこうした考古学ファンへの挨拶も謝罪もなにもが無いぞというデモです)。

幸い近くに市立図書館があり、暇ですからいくらでも通えました。こんなに勉強したのは、後の技術士受験の時以外にありません。もちろん学生時代も含めて(大学受験浪人時代と同じくらいかな)。忘れもしません、自分の中にそうした蓄積が出来た頂点での「座散乱木遺跡」発掘成果です。一気にこの日本列島の歴史が古くなった。私は素直に大発見だと思いました。昭和56年(1981年)です。毎日新聞の9月2日の見出し。「3万年前の石器発掘」「前期旧石器時代、日本にも「旧人」」「40点、人工の跡歴然」この年は、同じ県の違うところで、やはりシールド工事に従事していて、同じように反対に会い工事が少しストップしていました。「すごいね、すごいね」と言いまわって、家人に笑われました。今でもいわれます。あのとき、何で嘘とわからなかったの、と。

この遺跡は、後期旧石器遺跡としては「遺跡」なのですが、ねつ造のため、今では素人にはなんだかよく判らない遺跡になってしまっています。それはともかく、日本にも前・中期石器時代があったのだということで日本中が湧きかえりましたね。一種の中華思想かもしれませんが、自分の国はそんなに古くから存在したのだよ(国じゃありませんが、とにかく人が住んでいた)ということには、うれしくない人はあまりいないでしょうね。尤も後に、それを逆手に取られて「ねつ造」を批判されますが。なにはともあれ、昔からの論争に終止符がうたれたと思ったわけです。

今私が批判している人は、続々と論文を書き、一般向けの本を書き、飛ぶ鳥を落とす勢いになりました。「ねつ造」発覚の直前には、ある大手出版社の日本史シリーズの第1巻を執筆しました。私は何も知らなかったので購入しました。沢山出ていました、「ゴッド・ハンド」のほめ言葉が。「ねつ造」発覚で自己批判し、絶版にするのかと思いきや、全面的に書き直して改訂版が出ました。何をかいわんや、です。何をいまさら私は発掘に携わって居なかったから知らない、などと寝言を言えるのでしょうか。発見できなかっただけではなく、先頭切って売り出し、それに自分も乗ったではないですか。ある本では、黒幕とまで言われているし、考古学会は調査の結果単独犯としましたが、本当でしょうかね。

もうひとつ、「これ以上ない」と言いながら、指摘されると認めた、口先だけの男と、それを見抜けない文化庁学者には、もっと怖い想像が出来ます。もしも、これだけ多く手当たり次第に埋めたものを、全て忘れてしまっているのだとしたら、もしも「座散乱木遺跡」が最初でなく、どこかほかにもあるのだとしたら、いつかそれが「発見」されて、またまた「世紀の発見」になります。今度は、だれも告白しない。そうして「ねつ造」された石器(もしかすると、石器だけではないかもしれない)が、堂々と世に出ることになるでしょう。何としてでもどこにどれだけ「ねつ造」石器を埋めたか、聞きだすべきではなかったのかと言いたい。当事者の本の内容がこれでは「言い訳」にもなりません。いたずらして見つかり「しらないもん」と言っている子供以下です。だれか、本当に決着を付けるまで、この事件は終わりませんよ、永久に。たかが10年で免罪されるなんて言う事は、金輪際ありません。

怒りのあまり、支離滅裂のひとりごとになりました。





2010年11月1日

私の住んでいる市では、行政と社会福祉協議会が中心になって、地域福祉計画策定をテーマに何回か会合が持たれています。その中で出た話題の一つに、定年後の人の専門性をくみ上げて地域に活かす仕組みが無いということがあります。

今日の日経11面「ニッポンの科学技術力第6部ノーベル賞の影で(下)」も同じようなテーマでしたので思い出しました。「定年で埋もれる才能」「「シニア」の受け皿整備を」と見出しがあるように、歳を取って研究を続け様としても、その受け皿がこの国には無いというのが趣旨です。同じ日本人でノーベル賞を取っても、アメリカにいると現役研究者でいられるのに、日本ではそうはいかないということが言われています。そして、今、それに気が付いた人たちが、整備をしつつあることが紹介されています。

私は今まで、歳を取ったら引退して後進の若い人たちにその地位を譲れと言ってきました。この記事の中でも「有能なシニアが活躍し続けるのならよいが、能力がないのに居座られるとしたら問題だ」という文に続いて「教授が定年後も残ると、若手がポストに就けないなど人材流動性が妨げられる恐れがある」と指摘する人もいます。これは、研究だけの問題ではなく、ビジネスその他の世界でも同じだろうと思います。一時、技術の伝承の掛け声のもとに、定年延長などが行われました。技術は伝承されなければならないのですが、それを、定年延長で行おうとすると、若い人が就職できなかったり、地位があがらなかったりします。団塊世代が自分だけを考えて居座っているという批判の元です。

冒頭の、「定年後の人の専門性をくみ上げて地域に活かす仕組み」は、本当に必要なのでしょうか。「能力がないのに居座られるとしたら問題だ」の方になってしまいませんか。いま、そうしたことが起こりつつあると感じます。

定年後に町内会役員などを引き受けるのはよいが、以前の会社や役所でよほど地位の高い方であったのか、だれかれなしに批判して回り、自分の考えだけを押しつけるようなことが目立つ方が増えてきました。実際、そうした人を見ていると、他人の言うことは全て間違っているという強烈な自信を感じます。そうやって高い地位を築いたのでしょう。しかし、世の中は多様性で成り立っているということには気が付いていません。唯我独尊です。周りは離れていくだけです。会社にいたころは、周りの人は離れれば生活できませんから、我慢していただけなのに。こんなことではたして技術の伝承はうまくいったのか、疑わざるをえません。研究は一人でやるのが基本ですから、この記事にもあるように、そうした仕組みを作ればよいのでしょうが、「定年後の人の専門性をくみ上げて地域に活かす仕組み」は、そうはいきません。地域の人のつながりは役職で決まるものではありませんから、サラリーマン時代にその人が得た知識や経験が、そのまま地域に活かせるとは限りません。むしろ、そんな事を考えない方がうまくいくのではないでしょうか。現に、そうした方も多くいらっしゃいます。有名な会社の高い地位にいた人が、それを微塵も感じさせないで、地域活動しておられます。

以上のことは、もうひとつ、定年年齢を迎えた私たち(私には定年はないのですが)の、いわゆる第2の人生を考えることにもつながります。多くの方が、第2の人生と言っていますが、実は1.5や、1.2の人生になってしまうのではないかと思います。

これは外形的なことではなく、自分の考え方です。意識が、第2ではないのです。第1の人生の延長上にあるのです。私は本当に第2になるためにはどうしたらよいかを、この欄でも何回か書いてきましたが、未だにこたえは見出せません。先の記事の研究者ように、第1の人生をずっと続けるのもよいし、1.5や1.2になるのもよいでしょうが、そのための仕組みは、どうやらこの国には無いようです。

つまり、この国には複数の人生という考え方が無いのです。一所懸命⇒一生懸命となってしまったように、一つのことを長くやるのが美徳になってしまっています。そうであれば、それに乗れない人は新たな仕組みを作るか、本当の第2の人生に向かい、若い人の邪魔をしないようにしなければいけません。

伊能忠敬の話を何回かこの欄で取り上げました。あのような見事な第2の人生を送りたいものです。




2010年10月23日

少し掲載が遅くなりましたが、16日(土)につくば市のJAXA特別公開を見学してきました(PDF:303KB)。近くにありながらはじめていくので、もう少しいろいろなところを見て回りたかったのですが、よい天気のせいかかなりの人出で、人気のところ(たとえば「はやぶさ」の管制室)は長い列が出来ていて、今回はあきらめました。例年のことを知りませんから後でJAXAのホームページを見たら【10,209名もの多くの来場者の方々をお迎えすることができました。】と、書いてありました。体験した感じではもう少し多かったような印象でしたが。
いつも前を車で通る時、目に入るのが横たわるH-Ⅱロケットなので、まずそこに行きました。なぜ立たせないのかと思っていましたが、行ってみると、立っているより横たわっている方がよく各部が見えてなかなか結構でした。
 H-Ⅱロケット

ロケットとの出会いは、小学生の時読んだハインラインの『宇宙船ガリレオ号』( Rocket Ship Galileo (1947)) です。小松崎茂の表紙であったと思います。
この当時はなぜかロケットに翼があり、地球から直に月に行ってしまうものでした。博士と少年だけでロケットを造ってしまうというのも、すごいことでした。これは本当は長編小説で、私の読んだ物は子供向けにした抄訳版であったのですが。

ハインラインはよく読みました。短編にも面白いものが沢山ありました。1939年にアスタウンディング誌に発表したデビュー作(異論もあるらしい)『生命線』は、ずっと後になって読んだ物ですが、その原題は『Life-Line』です。全く意味は違いますが、いま日本で「ライフライン」というと和製英語だと言われますが、実はそうでもないようです。
その他、今考えると翻訳されているものはほとんど読んだようです。『夏への扉』などは好きなもののひとつですが、『宇宙の戦士』になると、少しへきへきしました。これは映画にもなりましたがが。ことほど左様に、幅の広い作風だあったようです。

人間が月に降り立った年に大学4年で、喫茶店でその中継を見ました(アパートにTVは持っていなかった)。このころからSFがなんだか実際より遅れている感じで、卒業と同時に苦労して古書店をあさって買い集めた「SFマガジン」のバックナンバーを全て(創刊号はなかったが、ほとんどそろっていた)処分してしまいました。

時を経て1985年、つくばで科学万博が行われ、その時の第二会場が、今つくばエキスポセンターとなっています。そこに屋外展示されているのはH-Ⅱの実物大模型です。それ以降、H-Ⅱの発射写真をPCのデスクトップ背景に使ったりしていました。「まいど1号」のサポーターになったりして、宇宙オタクのまねごとをしてきましたが、その終点が今回の特別展です。

いや、まだ「はやぶさ2号」が仕分けられないようにしなければなりません。宇宙オタクの行きつく先は遠いのです。






2010年10月14日

チリでの落盤事故からの生還の報道が大きく扱われています。それはそれでめでたいことですが、落盤事故は自然災害ではないので、その原因追求は行われているのか、人為的な場面での、たとえば日本でいえば労働安全衛生法違反がなかったかの追及はどうなのか、気になるところです。奇跡の生還で、全部帳消しにならなければよいがと思います。

一転して日本での生き埋め事故のニュースは、人が死んでいるにもかかわらず新聞の片隅に小さな扱いです。ニュース映像でも40秒です。
13日午後2時45分ごろ岐阜県で起きた下水道工事現場での崩壊と生き埋め事故(一人死亡、一人重傷)は、FNNの映像で見るとこうした事故の典型的な様相を表しています。

土留めは軽量鋼矢板のようですが、延長上にはどこにも完了した場所が見当たりません。ということは、掘削しながら土留めを施すのではなく、全部掘削をしてしまってから土留めを施工するという、よくありがちな手抜きです。しかも3mという深さですから、これは法違反でもあります。
また、幅は1.5mと報じられていますが、映像を見る限りとてもそんなにはないように見えます。
崩れた個所は舗装の下からえぐられたように崩壊しています。
   
 写真1  写真2
著作権の問題がありますから、引用できないのは残念ですが、類似の状況写真を持っていましたので掲載します。

上の写真1は、ずっと以前私が撮影したもので、場所もまったく違いますが、事象の形態は同じようです。この写真は、地下水のない台地上の現場でしたが、岐阜の現場は映像開始10秒(全40秒)をみると、山間の畑地の中の道路のようです。崩壊個所には水は見えません。23秒の画像では、おそらく崩れた土砂を掘り上げた山なのでしょうが、轢質土のようにも見えます。
私の見ている範囲では、こうした工事はほとんど簡易土留めで行われています。写真2の奥のほうに見えるものです。これとて、掘削がすんでから設置することが日常的に行われていて、取扱説明書にあるような、土留めの中で掘削し、徐々に下げていくような使い方はされていません。まして、深さが3mもあるところで、軽量鋼矢板の立て込みというのは、ちょっと無謀としか言いようがありません。
先の映像では35秒あたりに崩壊した場所のすぐわきの地上にチラッと簡易土留めが映っています。支保が3段になっていますが、人間と比べるととても3mの高さはありません。また同24秒付近に支保ジャッキが1本映っていますが、それがどう使われたのかはわかりません。

こうした事故は、何度も何度も繰り返されています。そのたびに、法違反は指摘され、誰かが労働安全衛生法違反で摘発されたりします。しかし、事故は無くなりません。それは、警察だけが原因の調査をしているからです。警察の捜査は法違反の有無を発見することだけですから、その工法選択が適切であったかどうかの判断は、法違反が認められた場合だけです。施工計画が適切であったかどうかも同じです。
ここはひとつ、責任問題は抜きにして(結局これが難しいから、以下ができないのですが)、どうしたらこうした事故が無くなって、安全な工事現場になるのか、考えてみたいものです。




2010年9月21日

古い資料を整理していたら、雑誌「Newton」(発行(株)教育社:当時)の1992年2月号増刊が出てきました。「ビジュアル・レポート近未来予測2010」と、副題がついています。目次を大きい所だけ採録してみます。

特別対談 長谷川慶太郎×竹内均 21世紀を開く日本のテクノロジー
1 2010年をつくる巨大プロジェクト
2 警告2010年の地球環境
3 2010年変貌する日本社会
4 2010年を支える超技術60
5 近未来トレンド・リサーチ

これらを読みなおししてみると、色々面白い事に気がつきます。全体的には、地球温暖化や少子高齢化など、負の事象への言及があることはありますが、基調は輝かしい未来で、テクノロジーの進歩が問題を解決する、となっています。これは、雑誌の性格にもよります(編集長であった故竹内均氏の個性も)し、1990年代初頭と言う時代の性格にもよります。

記事一つ一つについての感想を書くのも面白いかもしれないのですが、それより、私とこの欄の性格上、当時のゼネコンが何を考えていたかが判るために、それに絞って紹介と感想を述べて見ます。主として「1 2010年をつくる巨大プロジェクト」および「4 2010年を支える超技術60」にある内容です。ゼネコン以外は、割愛します(H‐Ⅱロケットや自動車もあるので、また後ほど機会を見つけます)。また、固有名詞は(まだ当時構想を練り上げた方が現役で居られる場合も考えられるため、色々差しさわりが出るといけませんので)省きます。興味のある方は、古書店、図書館などで本誌をご覧ください。

まず「1 2010年をつくる巨大プロジェクト」です。
A建設の「空中立体都市TRY2004」。一辺350mの正8面体トラス構造を1ユニットとして組合せ、高さ2004mのピラミッド型都市を造るものです。
B建設はもっと高く高さ4,000m、800階の「超々高層未来都市X-SEED4000」です。
高さなどだけでなく、違う観点からの都市構想もあります。C建設は、「高度なリサイクル機能をそなえ資源問題を緩和する生態都市空間「HEART計画」」を構想しています。
上に伸びるだけでなく、地下空間を利用すると言う方向を構想しているゼネコンもいます。D組は「地上と一体化した地下都市システム「オデッセイア21」」です。
もう少しすごいのが、大都市間を巨大なトンネル(外径50~56メートル)で(もちろんシールド工法を使うのですね)結び、その中に「地中飛行機GEOPLANE」を飛ばしてしまうEゼネコン(社名が組でも建設でも工務店でもない)の構想です。いま実現に向けて検討が開始されている超電導リニア列車でなく、ターボプロップエンジン搭載飛行機と言うのがすごいです。低速時には車輪で走行すると言うのもまた面白いです。

その他、F建設の人工島「環日本海TOP構想」やD組の月面都市もあります。広告のページですが、G株式会社の「相模湾浮体式洋上道路構想」などもあります。

「4 2010年を支える超技術60」の中には、もう少しあります。A建設の、既存のビルや道路上空など今まで利用されていなかった空間を有効に利用するビル、「STEP OVER TOWER」、海洋体感型公園「ビッグ・パール」。B建設の開閉システム建築「コズミック・ドーム」。H工務店の縦型都市構想「スカイシティ1000」。I組の開閉式ドームシステム「レディーバード」。

その他、大深度地下利用構想では、各社が競っています。地下式霊園、シールドトンネルによる地下駐車場、地下式下水汚泥リサイクルシステム「MUCRA」などなど。
地下駐車場などもう実現していてもよさそうなものばかりですが、実現していないのには、技術上ではない社会的な理由がありそうです。

「2000年ごろには、高さ500メートルで100階建て、居住・就業人口2万人程度の超高層ビルが実用化の段階に達するだろう」などという記述もあります(143ページ)。これは、外国において概ね実現しました。しかしながら日本国内ではあとはわずかに開閉式ドームぐらいで、華々しい構想にも関わらず土木分野(大深度地下利用)では一つもありません。

未来予測は難しい、というか必ず外れるもののようです。客観的な実現可能性の見極めと実現したらいいなという願望が混然となって、明確に区分が出来ないからでしょう。それにしても、わずか20年ぐらい先でもこのようですから、100年先など判るわけがありません。しかし、それでも必ず予測はされるので、また面白がって読んでしまう私のような人が出て来るのです。

この1992年という年は、私個人で言えば営業職と言う思いがけない辞令で水戸に配属となり、今に至る独立の思いが生まれ始まった年です。そしてもう少しグローバルなことを言えば、なんと日本で初めてホームページが公開された年なのです。インターネットにのめり込んでいると、ホームページなどはなんだかずいぶん昔からあるような感じがしていましたが、まだ20年たっていなかったのですね。

古い資料の整理というのは、こうして思いがけないものに行き当たり、それを読んだりするものですから、全く進まない事がしばしばです。






2010年9月9日

何か一昔前の新聞を読んでいるような錯覚に陥ります。讀賣新聞9月8日茨城版「公取、県庁に立ち入り」「土木工事 官製談合か」の記事です。9日も同じく「チャンピオン 切磋琢磨し決めた」「談合体験業者が告白」などの見出しがあります。
公取のホームページにもまだ何も出ていませんし、讀賣新聞でも全国版には無いようですから詳細は判りません。茨城新聞のサイトでは社名入りで出ています。

これらの記事を読んでいて、その匿名コメントなどが、10年前15年前と全く変わっていない事に一種異様な感じを受けました。建設業界は官民とも変化を忘れているのだと思いますね。変化しなければ退歩であるにもかかわらずです。

コメントその1(県建設業会堺支部加盟業者幹部)
【国や県の工事も小泉政権の頃から減ってきて、民主党政権で一気に減った。本当に競争していたら、この時代は生き残れない。生き残りをかけて談合をやらざるを得ない面もある】(9月8日讀賣新聞茨城版)
コメントその2(古河市内土木会社の男性社長)
【話し合いなしに積算して入札を行うと、損をして会社がおかしくなり、その結果つぶれる。小泉政権の公共事業削減の頃から苦しくなり、民主党政権になってなおさら】(9月9日讀賣新聞茨城版)
コメントその3(坂東市の業者)
【(審査官に)談合あるかと聞かれ、ないものはないと言って帰ってもらった。やってないものはやってない。うわさも聞かない】(東京新聞Web TOKYO Web 9月8日)
コメントその4(県西地区の建設業者)
【市町村が一般競争入札制度を導入しても、実際は参加資格を地元業者とする『制限付き』がほとんど。これでは、談合はなくならない】(茨城新聞Web9月9日)

その1とその2は、内容からすると同じ人かもしれません。その4などは、小手先の制度改革を笑っていますね。とくに今回は「官製談合」が疑われているようですし。

私がそれこそ10年15年前の小泉政権時代の頃話をした方々は、ほとんど全てが「小泉政権でなくなれば元に戻る」と言っていました。今では、「民主党政権でなくなれば元に戻る」と言うのでしょう。この「元に戻る」という発想が、どうしても消えないのはなぜなのでしょうか。
世の中の大きな流れが見えない、見たくないとしか思えません。「民主党政権になってなおさら」は、当たり前です。「コンクリートからひとへ」ですから。「コンクリートからひとへ」が消えたって、スローガンが消えただけで、社会が変わるわけではないのです。

「本当に競争
しなければ、この時代は生き残れない」のにもかかわらず、「本当に競争していたら、この時代は生き残れない」ですから、耳を疑います。
「生き残りを
かけて談合をやらざるを得ない」というのも、摘発されたら消滅が早くなるのを覚悟のギャンブル意識なのでしょうか。

日本人は歴史が好きだと言いますが、それは何かの間違いではないかと思います。歴史の教えるところでは、本当に競争しないで生き残ったもの(人も商売も)はないのです。

競争したくなければ、相手のいないところに行けばよいのです。相手のいない全く新たな商売を始めるのです。マイクロソフトもグーグルもツイッターもそうです。恐竜が鳥になったように。それでもいつかは競争相手が現れますが。

今行われている民主党の代表選挙では、歴史上の人物に自らを例えることが行われています。親近感を持つのはご自由ですけれど、社会的条件も何も抜きにして、西郷さんだとか高杉だとか坂本だとかたとえても、何の意味もないでしょう。同じことを出来るわけがないのですから。他の業界の人は笑いますよ。笑わないのは放送業界ぐらいでしょうか。いま競争が無いのは放送業界ぐらいですから。それだって怪しい物で、少子化はそのうち視聴率に効いてきますよ。

この本質的に競争は悪であると言う考えは、日本人からなくならないのでしょうか。田舎も都会もインフラを同じにしなければならない。日本中どこに住んでも同じ公共サービスが受けられなければならない。それらと同じですね。公平・公正の概念と競争の概念は何ら対立するものではないにもかかわらず、です。公平とは、競争の開始の機会が与えられる事が公平でなければならないので、競争の結果を公平にするなんて言うのは馬鹿げていますね。一時話題になりました。かけっこでゴールインする時、手を繋いで一斉に差がなくゴールインするのが良いのだと。バカな話です。かけっこなら良いですが、世の中はそうした競争だけではないでしょう。

どう考えても建設業者の数は多すぎるのだが、競争して負けるところが出るのは嫌だ。とくに自分が負けるのは。競争しないで談合して皆で生き残ろう。そう考えた結果、皆でだんだん小さくなって一斉に消滅するのが目前なのが現状ですよ。パイが大きくならないのに、みんなにばらまいてひとしく分かち合おうなどと言って、みんなで貧乏になっていく今の政策と同じです。リストラして生き残ろうと奮闘する経営者は、悪者であると首相が言うくらいですから、談合して皆で生き残りなさいと言っているような感じですかね、今は。では、公取は何なのかですね。





2010年8月24日

前回8月15日の本欄で、先の大戦の事について、全く触れませんでした。私の中でも、そうした事が風化し始まっているのでしたら、これはゆゆしき事ですから、反省。しかし、8月15日に何か歴史的意味があるのかと言う疑問の論調も最近出てきています。終戦は9月2日ではないかと言うのです。これについては、また改めて本欄で述べようと思います。

本日8月24日、株価は2009年5月1日以来、約1年3か月ぶりに終値で9,000円を割り込んだとの事です。株価と言うのは、私は素人ですが、物の本によると約半年先の景気を表すそうで、何ともやりきれない感じです。株価が安かろうが高かろうが、私の生活は、輸入輸出とは関係がないので響かないためどうでもよいのですが、時の政権もどうでもよいと思っているのでは、少し具合が悪いのではないかと思います。

このところ、円高だ、株安だ、韓国に負ける、中国に負けると、経済面では大騒ぎなのですが、政府は何もしません。日銀が何もしないからだと、人のせいにはしますが。全ては9月14日までじっとお預けです。3年後にはダブル選挙だなどと、これは能天気な発言が聞こえてきます。自分たちは、参議院のねじれを最大限に利用して政権を握ったのですから、他の政党が同じ方法を使わないわけはないのに、そこには考えが及ばないのでしょうか。

少し前の記事ですが、22日の日経新聞「けいざい解読」に、「円高とマックの我慢比べ」というのがありました。これは面白い記事でした。円高だドル安だといっても、海外旅行やスーパーの円高還元セールに行かないと、実感できないのですが、「ビッグマック指数」と言うのでそれが判ると有名なのだそうです。同じものを買うのにいくらかかるかという発想で、通貨の交換比率を知る購買力平価に、どこの国でも売っているビッグマックを尺度にするのです。

7月時点では、1ドル=85円70銭(英紙「エコノミスト」試算)でしたが、今度行われる期間限定の値下げによるビッグマックの値段は200円で、それによれば、1ドル=53円62銭になると言うのです。
内閣府の「企業行動アンケート」によれば、輸出企業の採算相場は、1994年に1ドル=107円80銭が、2009年には92円90銭になった。それは、海外生産比率が7.0%から17.8%になったことに表れているように、企業の海外シフトが隠れているのです。

記事は、【いざとなればグローバル展開した企業は日本から逃げ出すことができるが、働く人はそんなに簡単には日本から脱出とは行かない。静かに進む円高とデフレが発する危機のシグナルから目を背け、権力のいす取りゲームに興じるようでは国民代表失格ではないか】と結ばれています。

そう、国民代表として私たちが、つい最近選んだのです。と言う事は、私たちがひとを見る目がなかったと言う事でしょう。簡単に出来そうもないことを、さもできるような美辞麗句を連ねた「マニフェスト」とやらに、私たちが目くらましされたのでしょう。いま、それらが、静かに修正されていきつつあります。「コンクリートから人へ」と言いながら、新幹線や高速道路は、以前と変わらず造られるでしょう。公務員人件費は、高給公務員が膨れ上がることによって、ますます増えるでしょう。失業率は、公務員新採が減ることによって高止まりするでしょう。企業内失業者に出す手当によって、実際は13%以上の失業率が抑えられ、その代わり税金が「今」働きもしない「正社員」につぎ込まれているのだそうです。高齢者医療制度も、後期高齢者が65歳まで引き下げられるだけじゃないのか、と疑います。

次の解散総選挙が3年後なんてとんでもないのではないでしょうか。







2010年8月15日

2回連続して読売新聞記事の話題になります。
8月14日の社会面に「洪水予測「下水」に死角」という記事がありました。全国の自治体が作成している「洪水ハザードマップ」に、「内水氾濫」の影響を反映させている自治体は、全体の7%にとどまっている、と言う記事です。

下水道や側溝などの内水氾濫が反映されていないため、ゲリラ豪雨などで、ハザードマップ上「危険区域外」とされているところでも氾濫が起こったケースが出てきているという事です。そして、その原因は、次の二つのようです。
(1)外水氾濫と違って内水氾濫は、その対象が細かく、さまざまな現象を計算しなければならないため、作成費用が膨大になる。そのため、自治体が独自に作成するのは困難である。
(2)縦割り行政の弊害。ハザードマップ作成義務のある水防法は国交省河川局所管、内水氾濫は都市・地域整備局所管であるから、意見が反映されない。

私は、不勉強で、このこと自体を知りませんでした。授業でハザードマップの事を教えた時に、復習のつもりで色々調べましたが、外水、内水の区分がされず、「水」は一つだと思い込んでしまっていました。言い訳になりますが、地方自治体には河川課という部署があるところは少なく、雨水は下水道課の所管であることが多いため、思い込みがあったようです。

よくTVのニュースなどで、画面がインパクトを与えるからか、下水道のマンホールから水が噴き出している様子が映し出されますが、よく考えれば、別に合流式でなくとも下水道に雨水が流れ込むことはあり得るのです。そうなると、上の理由のうち、(2)は、実はたいしたことではなく、単に連携をとればよいだけの話です。尤も、それがとれないから縦割り行政の弊害と言うのですが。

問題は(1)で、これこそ私が全く考えていなかった事です(反省)。
網の眼のように張り巡らされた下水道管渠の全貌は、平面だけでも大都市では把握するのが困難です。まして、内水氾濫となれば、その口径だけでなく3次元方向(深さ)まで考えねばならず、これは、少し考えただけで大変なことです。そもそも、そんな計算のできるソフトウエアがあるのかどうか、それすらも判りません。雑誌のソフトウエア広告などでは、見かけたことがないので、あるとしても一般的ではないのでしょう。記事にも、仙台市と岡崎市が例として取り上げられています。後者の場合、「数億円規模の費用がかかる」といいますから、全く無為無策ではなく、少なくとも「資金」の問題にまでは降りてきているようです。

そうであればこれもそんなに問題ではないのではないでしょうか。「安全・安心」がインフラ整備の基本ですが、その根本に来るハザードマップが無ければ、整備のしようがないわけで、少なくとも例年繰り返すような箇所から予算付けをするべきです。7%の自治体が作成したと言う事を、もっと重く見るべきです。

1,300市区町村の93%ですから、数億円を仮に5億円として1,209市区町村×5億円=6,045億円です。決して多い数字じゃありません。何とかしましょう。







2010年8月2日

8月2日の讀賣新聞社会面「学力考第3部明日の授業4」は大学理数系の学生が「言いたいこと「書けない」」として、「理数系の国語力特訓中」という記事でした。「本来なら得意なはずの論理的でわかりやすい説明も不得手な人が多い」という指摘も載っています。

私は、もうずいぶん長いこと、技術士試験を受験する方の論文を添削指導していますが、最近、本当に「この人は文章が書けない」という方が多くなっていることを感じています。
私の癖は、一つ前の文章のように、「が」を入れて二つの事を一つの文章に入れてしまう事です。このコラムは別に模範解答として書いているわけではないので、癖はそのままにしています。(普段はここに「が」が入り、「~していますが、~」となるのです)こうした癖は誰にでもあって、それがいわゆる「文体」として個性として発揮されるわけです。

しかし、技術士試験のような、必ず他人(採点者=試験官)に読んで理解してもらわなければならないような文章を書く際は、出来るだけ癖をなくす、出さない方がよいのです。極端にいえば、英語の直訳のような、主語(主部)と述語(述部)だけの文章の方が判りやすいのです。このような文章ですと、必然的に短くなり、内容にも一つの事項しか含まれなくなります。これを一つ一つ重ねていけば、全体は愛想がない文章になりますが、論理には隙がなくなります。言ってみれば松本清張さんの文章です。華麗さはないが、よくわかるのです。

しかし、驚くべきことに、試験答案用紙の10行以上に渡って一つの文章であったりする事例にお目にかかることがあります。通常3枚ある解答用紙の1枚が、三つの文章だけで成り立っているなどです。

どこまで行っても「。」がない文章は、日本語の昔の文章(古文)にはよくあります。野坂昭如さんの小説などをよんでいると、頻繁にお目にかかります。それはそれでよいのです。立派な個性的な文体です。

しかし、私がお目にかかる方々の文章は、単に、どこで止めてよいか分からないからだらだらと続いているだけです。途中で主語が入れ替わったり、述べている時制が変化してしまったりしても構わず、どんどん進んでいきます。これでは、読んでいる方も大変で、前に戻ったり、言葉を補ったりして、何とか言いたいことを想像します。

添削はもっと大変です。単に、短く切るだけでよければ簡単ですが、ねじれた文章の場合はそうはいかないので、結局全文書き直しになります。これを繰り返していたのでは、到底内容の指摘が出来ません。私の場合最近では、技術的内容に関する指摘より、日本語文章に関する指摘の方が多いようです。しかし、これは、技術的内容に関する指摘が無いのではありません。内容は多少不満でも、とにかく採点者=試験官が読まないで放り投げないようにしないといけません。

技術士試験は昔「記述士試験」と揶揄されました。いまどき手書きの論文試験なんて、と言う方もいますが、ワープロであろうが手書きであろうが、文章力は同じように必要です。文章を作り出す力が文章力だとすれば、他人に通じる文章を作り出す力は何というのでしょうか。これもまた文章力でしょう。安易に「ゆとり教育」のせいだなどという議論はするつもりがありませんが、これだけメールやブログの行き交う環境に居て、文章力が低下するのはなぜなのでしょうか。それは、他人に全員伝わらなくても良い、伝わる人だけでよいと考えているからではないでしょうか。どうしても自分の考えを伝えるのだ、という気持ちが原点でしょう。書きなぐりで文字が崩れて読めない、鉛筆の色が薄い、推敲したのか疑わしいほど誤字脱字略字がある、などは皆、読んでもらおうと言う気持ちが希薄なのです。

技術士二次試験筆記は今週末に近づきました。本来、今まで書いてきたようなことは、技術士試験とは何も関係の無いことでした。しかし、技術士がP.E.だけでなく、C.E.であれば、顧客と向き合って顧客に理解してもらう文書を発信するのは当然の事です。準備が出来ている人も、まだ不安である人も、何とか理解してもらおうという気持ちを忘れずに、長い暑い一日を乗り切りましょう。





2010年7月14日


参議院議員選挙が終わり、予想通りと言うべきか、予想より少し厳しかったと言うべきか、与党が負けました。この欄では、あまり政治に関する話題は取り上げてきませんでしたが、現政権は「コンクリートから人へ」という、非常に判かりやすいスローガン(?)を掲げて発足したために、否応なくその土俵に入らざるを得ません。

今回の選挙では「コンクリートから人へ」は姿を消したと言われていますが、それは「ことば」だけの問題で、政権を流れる思想は何ら変わっていないと思われます。いやそうではない、高速道路は造るし、必要な公共事業は行うと、選挙前になって聞こえてきましたが、例のダムは中止のままです。(この点については中間報告がもう少しで発表されるはずです)もちろん、参議院議員選挙は、国政の方向性を決める選挙ではないという建前なので、衆議院で多数を占める与党が、その政策を替える必然性はありません。

さて、「コンクリートから人へ」には色々なところで反発が起きました。しかしそれは、大きな声にはなりませんでした。土木の分野では、その性格上時の政権が公共事業の命運を握るためか、「新規から補修へ」と同じような意味で捉え、あきらめているような雰囲気もあります。もちろんかげ口は聞こえてきますが。

一方、建築の方面では、建築家の安藤忠雄氏が、日本コンクリート工学協会の講演で「人からコンクリートへ」と題し、「建築は人を集める場所であり、ハコではない。もう一度コンクリートは必要になる。人が集まって楽しそうにしている姿を私はもう一度見たい」と語られたと報じられています

「建築はハコではない」と言う言葉は、今まで語られたのでしょうか。なにか新鮮に響きます。よく考えれば尤もなのですが。公共事業の建築は「ハコ物」と言われてきたのは周知のことです。「ハコ物行政」などと言われたこともあります。ひどい言葉です。今まで良く考えもせず使ってきたことを反省します。

ではいったい、土木はどのようにいえば良いのでしょうか。

現政権が「コンクリートから人へ」と唱えたのは「マニフェスト2009」の中です。そこにはこうあります。
「母子家庭で、修学旅行にも高校にも行けない子どもたちがいる。病気になっても、病院に行けないお年寄りがいる。全国で毎日、自らの命を絶つ方が100人以上もいる。この現実を放置して、コンクリートの建物には巨額の税金を注ぎ込む。一体、この国のどこに政治があるのでしょうか。政治とは、政策や予算の優先順位を決めることです。私は、コンクリートではなく、人間を大事にする政治にしたい。」

建築の事を言っています。あるいはそのように土木と建築を分ける必要はないのかもしれません。ここでもう一度読んでみて下さい。よく読むと、奇妙なことに気がつきます。「コンクリートの建物には巨額の税金を注ぎ込む。」と言っていて、大事にしているとは言っていません。だから、最後の「コンクリートではなく、人間を大事にする政治」に違和感を感じるのです。

我々はコンクリートを大事にしてきましたが、それは人を大事にしてこなかったことなのではありません。「人のためにコンクリートを使ってきた」のです。世の政治家はこのように、あれかこれかと言う論法が好きです。政策目標の優先順位を付けることは重要で、それこそが政治ですが、それは、二者択一ではありません。

もしも、技術士試験(受験者の皆さん、もうすぐ試験ですよ)に「コンクリートから人へ」に関する問題が出題されたら、そして私は、その可能性は高いと考えているのですが、そしてまた私が受験して解答をするとしたら、次のような内容にします。

少なくとも土木の先人たちは、「人のためにコンクリートを使ってきた」し、ためにならなくなった場合は批判を恐れず寿命が来ないコンクリートを壊しもしました。もちろん、全て十分に行ったわけではありませんが。よく政治家が言うように、自然をコンクリートで全て覆うようなことを、少なくともまともな土木屋は考えてもいません。そんなことを考えるのは、政治家の方です。

現政権は、批判を避けるために、落選した大臣もやめさせず、だれも選挙敗北の責任を取らず、首をすくめてやり過ごすことに決めたようです。選挙敗北の責任などは、政党の問題で国民の問題ではありませんから、別に関心はありません。しかし、落選した人を「民間人」と呼んで選挙民の審判をうやむやにするのはどうかと思います。それがまたひとつ現政権が政治の世界の常識に持ち込んだ強権的なやり方でないかどうか、監視の必要があります。

建設人は「人のためのコンクリート」を、これからも追求します。







2010年7月3日

私は2009年11月1日の本欄で、「土木工学科」と言う名称について、少し述べていますが、新着の「土木學會誌」7月号を見ていたら、『信州大学における「土木工学科復活」の舞台裏』(筆者は小山健信州大学教授)というコラムがありました。

こうした復活のケースを知らなかったので、さっそく信州大学の工学部サイトを見てみました。【土木工学とは、私たちが安全で快適に暮らせる生活環境を創り出すための学問です。】と言う案内文の、何と時代離れをした印象でしょうか。しかし、うれしいですね。

それにしても、工学部ではどうしても「環境」という2文字は必要であるらしく、「環境機能工学科」と言う学科もあるのだと改めて知りました。先のコラムにも、「社会開発工学科」かという旧名称を改称するにあたって「環境」を入れようとしたが、すでに存在していたので出来なかった、とあります。この辺が「舞台裏」なのでしょうか。

連想ゲームのようになってしまいますが、「社会開発工学科」と言う名称で、思いだした事があります。東京工業大学に「社会工学科」という学科があります。筑波大学には「理工学群」の中に「社会工学類」という「類」があります。これらはいずれも「都市計画」と一般的に呼ばれる内容を発展させたような内容です。

またまた連想ゲームです。土木工学科が復活した事について、関連して何か復活した事があったような気がしていましたが、ありました。
最近の多様な入札制度の中の一つに、「設計施工一括方式」があります。

しかし、私などが土木屋として過ごしてきた時代は、ずっと「設計・施工分離の原則」が適用されてきました。
建設コンサルタンツ協会のサイトにもある通り、昭和34年1月の建設省事務次官通達「土木事業に係わる設計業務などを委託する場合の契約方式等について」によって、任意の事業について原則として設計業務を行うものに施工を行わせてはならないという、いわゆる「設計・施工分離の原則」が明確化されました。これが設計業務(調査、計画、設計)を行う建設コンサルタントという業態の確立の直接のきっかけになったのです。

以後、施工者であるゼネコンは設計に関与できず(建前であったことはもう知られています。いわゆる設計協力問題です)にきました。(もうひとつ付け加えるならば、これらの背景に、昭和32年5月に成立した技術士法がありました。コンサルタントとしての技術士を建設界の中で定着させる方法の一つとして「設計・施工分離原則」が採られたのです)
それが、一転して「設計施工一括方式」が復活(これは復活とまでは言えないかもしれません。しかし、先の通達の時代のもっと以前は、官が設計し、施工も直営で行っていたのですから、ゆるい意味では復活です)したのは、引用先の報告によれば【工事の内容によっては、設計と施工を一体的に発注することが、発注者、ひいては国民にとって有利な調達が期待できる場合があると考えられ、平成10年2月の中央建設業審議会建議等においても、設計・施工一括発注方式の導入方策についての検討の必要性がうたわれている。なお、海外においては、いわゆる「デザインビルド方式」として、一部の公共工事において、設計と施工の一体的な発注が行われている。】からとされています。復活ではなく、海外の良いところを取り入れた、と言うわけです。

まあ、建設コンサルタントにも官側のエンジニアにも、施工のノウハウが蓄積されてこなかったので、分離するのは限界だという事が「舞台裏」なのかもしれません。

復活と言えば、「コンクリートから人へ」が、主唱者とともに消えたと思ったら、「人からコンクリートへ」をテーマに安藤忠雄氏が講演だそうです。日本コンクリート工学協会(JCI)が7月7日にさいたま市の大宮ソニックシティで開催する年次大会の特別講演です。

表現が正確かどうかはわかりませんが、復活は「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」(カール・マルクス)とならないでしょうか。






2010年6月20日

本年は伊能忠敬が全国測量を開始してから210年に当たるのだそうで、伊能大図の実物大復元が全国を巡っています。わが茨城県にも来ています。と言う事で、ちょうど水戸方面に用事があったものですから、その途中で見学してきました(6月20日まで)。

伊能忠敬と言うと、大きく二つの印象があります。ひとつは、日本の近代測量による地図作成の先駆けとして、もうひとつは、引退後の第二の人生を全く違う分野でやり遂げたことです。
測量は、私も測量士のはしくれですから、非常に興味があります。しかし、彼は、新しい方法を工夫して考え出したりはしていないようです。それまでに行われてきた方法で(多少の改良はくわえたようですが)、実に根気よく繰返し繰返し行ったのだそうです。それはそれで凄いことで、それだからこそこうした偉業が達成できるのです。

第二の人生ですが、満49歳で隠居します。これは今考えると若いようですが、1794年当時では決して若くはなかったのでしょう。私としてはこちらの事に強く共感を覚えます。
つまり、それまでの人生とは全く違った、それこそ第二の人生を歩み始める、その意気にです。

昨今、定年で会社を辞め、地元の活動に入り込んでくる人に多く会いますが、ほとんど例外なく、会社人生を引きずっています。部下が大勢いて、自分がやりっぱなしでもきちんと後片付けまでしてくれたのでしょう。地元の清掃活動などに参加するのはよいとして、ごみの袋詰めや、刈り込んだ枝を束ねることなどはしないで、やりっぱなしのまま帰る人が増えてきました。何かあれば、自分はそうしてこなかった、と、勤めていた時代のやり方が絶対に正しいという人も増えました。はなはだしいのは、何か決めごとをするにも、ひな形を持ってきてくれたらすぐ作ってやる、というようなことまで云います。それでは第二の人生ではないでしょう。大げさですが、生まれ変わらなければ第二とは言いません。

とはいっても、私などはまだ第一の方で足掻いています。いつか忠敬にあやかりたいと思っていますが。

さて、「完全復元伊能図全国巡回フロア展in水戸」の様子は、写真を掲載しますのでご覧ください。江戸城大広間でも全部一度には見ることが出来なかった、という「大図」を見、しかもその上を歩いてきました。残念ながら、彼は、主として海岸線を歩いたので、関東平野の真っただ中に住んでいる私たちのなじみの個所は、唯一筑波山しか見つかりませんでした。

伊能忠敬旧宅のある香取市(旧佐原市)は、ずっと以前訪ねて、こちらのサイトで紹介しています。記念館のサイトはこちらです。
また、彼の弟子である間宮林蔵はこちらのサイトで訪ねています。

余談ですが、会場で購入した「伊能忠敬の全国測量」(2009年4月1日発行)という小冊子の39ページには、「間宮の墓は、出生地の埼玉県・伊奈町・・・」とありますが、これは「茨城県伊奈町(現つくばみらい市)」の誤りです。「埼玉県北足立郡伊奈町」は実在しますが、間宮林蔵の生地ではありません。念のため。







2010年6月12日

「はやぶさ」が帰ってきます。詳しいことはこちらこちらのサイトツイッターもやっています)にありますから、私が何も付け加えることはありませんが、一時は絶望的であった帰還を、数々の工夫で乗り切ったプロジェクト関係者に、敬意を表したいと思います。

プロジェクトの勉強をしていると、成功したプロジェクトは存在しないなどと言う言葉が良く聞かれます。その意味では「はやぶさプロジェクト」も、当初予定を大幅に過ぎての帰還ですから、プロジェクトをよく知らない人にとっては完璧な成功とはいえないのかもしれません。

しかし、我々の土木工事プロジェクトでも言える通り、設計変更の無い工事はあり得ません。世界は刻々と変化しており、一度立てた計画が最後まで通用すると考える方が不思議です。
公共事業予算への批判に、よく当初予算の何倍にも増えた、というものがあります。これも同じで、もちろん精査しなければ判りませんが、最初の段階では誰もが気がつかない事態になることの方が多く、増えることの方が当然なのです。

「はやぶさプロジェクト」でも、期間が延びた分、人件費や管制費が増加したのは当然です。それでもなお、プロジェクトの目的は、今まさに達成されようとしています。これが、成功と言うべきものです。

カプセルの中に、何が入っているか、もしかしたら何も入っていないかもしれませんが、いいじゃありませんか。土木工事が完成しなかった場合とは、全く違うのですから。

「はやぶさ2」の予算を概算要求に盛り込みたいとJAXA理事長がおっしゃっています。どうか、仕分けられて、無くならないよう(どうも現政権は、科学や技術や経済学には興味がなく、選挙予測だけが好きのようですから)理論武装をしっかりしてもらいたいと思います。
何なら、プロジェクトマネージャーの川口さんが、直接説明したらどうかなと思いますがいかがでしょうか。

なにはともあれ、最後は燃え尽きてしまうのですから、そこを何とかしたいと言うのが「人情」ですが、技術は冷厳なものなのですよ。





2010年6月1日


何か恒例になってしまったかのような、週刊「ダイヤモンド」のゼネコン特集ですが、今回(6月5日号)は「ゼネコン落城」です。

毎回内容はほとんど変わらず、大手、地方の惨状と決算で見る「危険度」です。私は、随分離れてしまっていますので、現在、建設業界がどのような状況かの認識は、かなり暗くなっています。そのためもあってこうした特集があると入手して読んでいます。いつも読んだ後では買うまでのことはない内容であるな、と言うのが感想です。

しかし、今回の内容を読む前には、二つのことが気持に引っかかっていました。それは、第一に政権交代によって一躍クローズアップされた「コンクリートから人へ」が、建設業にどのような影響を与えているのか、第二に、これはごくせまい私の経験範囲でしかないのですが、今まで週に何回か講師をしていた専門学校で、ついに「土木」の学生がいなくなったことは、全国的な状況なのか、です。茨城県立の工業高校でも7校中2校にしか土木科は無いようですから、少ないのは判っていました。しかし、少なくても受入先があればよいのです。

と言うわけで、この2点に興味がありました。
まず、「コンクリートから人へ」は、具体的には土木費の減少になって現れると考えられます。ここにきて高速道路や新幹線などは、現政権支持者にとっては「期待はずれ」のような様相を見せていますが、しかし、全体でみると、建設投資額は1980年代の規模、就業者数は1976年水準など、30年ぐらい時代がさかのぼった感じになっています。私の土木屋人生はほとんどなかったことになるようです(そのような感想はあちこちで聞きました。前回も少し触れています)。

それでいて建設業者数とその規模の構成はほとんど変わりません。建設業者数など、2年連続して増加しています。

これが不思議な点で、何度この雑誌が特集で「壊滅」やら「断末魔」やら今度の「落城」やらと言ってみても、建設業界は相変わらず昔のまま、シーラカンスのように変わらずに生き続けています。

他の業界であれば、バブル崩壊やリーマンショックなどの後には多かれ少なかれ変身(それが進化か退化かは判りませんが)しますが、この業界は「談合」や「汚職」、「ダンピング」、「経審虚偽申告」も含めてあまり変わっていません。
神栖市事件の裁判など、土木ではありませんが、時代がそれこそ何十年もさかのぼっているような錯覚に陥ります。

シーラカンスの絶滅は、近い将来にはないでしょう。恐竜が鳥に進化して活動の世界を空に広げたようには、建設業はならないのかもしれません。海外は恐竜のままでは難しかったのでしょう。

次です。
同誌61ページに、「名称・組織を変更した主な大学」という表が掲載されていて、早くは1987年に東京大学が土木工学科を社会基盤学科に改め、京大、名大、大阪工業大、早大、そして中央大も2009年に都市環境学科となってしまった様子が描かれています。

記事本文には【土木工学科という名称が残っている大学は、日本大学や東海大学など、わずかにみられる程度である。】とまであります。

しかも、同ページの下段には「ワリに合わない建設業」という図があり、建設業は「平均年収」で全産業より138万円安く、「年平均労働時間」では262時間も長いという結果が出ています。これでは、人が来るわけがない、ということです。

「コンクリートから人へ」の「人」に、建設業従事者は入っていないようです。おりしも土木学会誌6月号54ページで、評論家中野剛志氏は【「コンクリートから人へ」によって人が犠牲になる】事態を憂慮されています。

同誌にはそのほか、語りつくされた感のある「リニューアル工事」への期待や、「スマートグリッド」への期待の記事があります。
しかし一方で、新政権になり「機能不全に陥った建設行政」(62ページ)として、【政権交代後、官僚たちはムダの削減ばかりに忙殺されている。】なども言われます。「国土交通白書」がいまだに出ないのも、その表れかもしれません。「仕分け」された監理技術者資格者証や同講習会などは、どのようになるのか議論もされていません。

と言うわけで、今回の特集は、色々考えさせられました。もう少し前向きに考えるのであればもっとうれしく感じるのですが。

唐突ですが技術士受験を控えている皆さん、必読の特集であると、私は感じました。いかがでしょうか。






2010年5月13日

題名に技術士を入れていますから、時々は技術士についても「ひとりごと」を言いましょう。私の場合は建設部門と総合技術監理部門という狭い範囲ですが。

5月7日に技術士二次試験申し込みが締め切られました。あと2カ月で試験です。口頭試験合格発表は来年の3月4日ですから、10カ月続く長い期間の始まりです。

今年は、政権交代のせいか、建設関係部門受験の必須アイテムと言われている「国土交通白書」の公表が遅れていて(まさか無くなりはしないでしょうが)、受験する方は準備の仕方を少し変えなくてはならないようです。この機会に、「国土交通白書」の意義を問い直してみたいと思います。

「国土交通白書」がなぜ必須アイテムと言われているかと言えば、大方の受験者が思い悩む「建設一般」論文の出題材料になるとされているからではないかと考えられます。多くの受験指導機関では、予想問題を発表して指導しているところが多いようですが、「「国土交通白書」の読み方」などというセミナーの案内なども目にします。予想問題などより、こちらの方がずっと役に立つような気がします。私は、予想問題を作ってその解答を準備するという受験勉強方法には懐疑的で、受験準備セミナーでもそうしたことをお話したことがあります。しかし、多くの受験者から拒否反応を受けました。

けれども予想問題を作るという作業は決して無駄なことではなく、それこそ「国土交通白書」を読まなければ、そもそも予想問題も作れません。ただ、「読み込む」事が出来ているかどうか、が問題なのです。皮相な問題をそれらしく作ってみても、役に立たないのは「地球温暖化」で実証されました。もっといえば、口頭試験で実に100あまりの想定問答集を作った方が、まったく同じ質問は出なかったと言われていました。

ここで、賢明な方は気がつきます。予想問題を自分で作る作業が勉強に直結するので、予想問題をだれか他の人(セミナー講師など)が作って与えてくれても、それはあまり役に立ちません。過去問を解きなさい、予想問題集を解きなさいという受験指導講師が、今でもまだ存在するようですが、専門問題への指導ならまだしも、「建設一般」問題対応の指導では、それではもういけない時代になっています。

まさか「コンクリートから人へ」そのものについてが出題されるとは考えられませんが、それについての態度も明確にしておかなければなりません。過去、政府の方針に反する解答は、国家試験なのだからすべきでないという指導がされてきたようなことも聞きますが、それは継続することであるのかどうか、です。弁護士などではけっこう反政府(国家ではない)的な主張を述べる方が多いのですが、その方たちは司法試験でも一貫してそうしてきたのでしょうか。国家試験と政権交代は悩ましい問題ですが、避けて通れないでしょう。

それはそうと建設業就業者が1977年水準にまでなったという事です。投資額の規模と言い、いよいよ衰退産業の仲間入りでしょうか。そういえば日本測量協会の「測量」5月号にも「公共事業の削減と測量技術者」という論文がありました。「もんじゅ」の運転も何か技術の継承がうまくいっていないのではないかと思わせるところもあります。人が少なくなると、精鋭が残ったという事には決してならないようです。

閑話休題。
先日近所で「技術士事務所」という表札を出しておられる方の家を見ました。「パテントコンサルタント」とありましたので、建設部門ではないようです。技術士会のWeb名簿で検索してみましたがヒットしませんでした。まあ、全員が入会しているわけではないので、それも仕方がないでしょう。しかし、この町に25年以上住んでいますが、表札で見たのは初めてでした。私は法人にしているので法人名はありますが、そこには「技術士」という名称はありません。これからは、「技術士」という名称を活かしたほうが良いのでしょうか。悩むところです。





2010年4月27日

2回連続して写真入りのひとりごとになってしまいますが、他のページには適当なジャンルが無いのでご容赦ください。

一面の菜の花です
お隣取手市の「宮の前ふれあい公園」脇には、写真のような菜の花畑があって、晴れた日にはかなり見事なものです。
向こう側の緑は、利根川の堤防で、以前ここは残土で埋め立てられていましたが、当面何をするとも決まっていないのでしょうか。

この写真は2~3日前に撮影したものです。毎日1時間半歩くとほぼ1万歩というので、出来るだけ歩くようにしていますが、その時に撮影したものです。
今日はあいにくの雨になってしまったので、さてどうしようと考えました。同じ取手市のホームページに、東漸寺山門(仁王門)の修理が3月末で終わる予定とあったので、雨のお寺もまたよいと思い、行ってきました。
取手市東漸寺の仁王門
修理が終わって、かやぶき屋根がよい趣をかもしています。
説明板によるとこの仁王門は、元禄3年(1690年)吉田村の清左衛門と言う人が寄進したという事で、単層八脚門、市内で唯一だそうです。

ここにはこのほか行基の作と言われる観世音菩薩像を安置した観音堂などもあります。何に霊験があるかと言えば、家運隆昌・除災招福ですが、特に馬の息災には霊験著しいとあります。

ここの地名は「本郷」ですが、すぐ近くに「駒場」もありますから、なにか馬と縁があるようです。平将門が馬を駆っていた場所だというような説もあるようです。

同じ取手市には、三仏堂があり、こちらもかやぶきです。文化財の復元はこのようにしてほしいものです。復元に名を借りた改悪が方々で行われています。

と言って少し探していたら、こんなページがありました。先の観音堂もいくらか新しかったので、やはり修理したようです(2番目の発表)。

雨の中の見学はどうも気がせいて、いくらか見落としたところもあったようです。今度は晴れた日に行きましょう。






2010年4月12日

今日は雨になり風もありますが、昨日はちょうどよい日よりで、近くの公園はお花見の人でたいそう賑わいました。私も、町内会有志の仲間に入れてもらって、半日を楽しく過ごしました。2回連続して桜についての書き出しになってしまいましたが。
この公園の脇を県道が走っているのですが、どういうわけかその県道にも桜並木が少しあり、こちらは花のトンネルの様相を見せていて、見事なものです。

こちらの方はご覧のように道路わきに車を止め、写真撮影が主体です。

私は、植物方面の知識がかなり乏しく、木々や草花の名称はもちろん、育て方や手入れの仕方まで、ほとんど何も知らないと言ってよいほどです。動物についても、ほぼ同じですが、哺乳類についてだけは少し違います(と、自分だけで思っています)。

馬脚を現さないうちに、今回の主題です。桜の花もそうですが、たとえば稲も、どうしてこう瞬間的に一斉に開花するのでしょうか。稲などは、背丈までほぼ同じなのは田を見ていると判りますが、それは驚異的です。詳しくは知りませんが、おそらく1本の稲に実る米粒の数も似たり寄ったりなのではないでしょうか。

桜の方は、そういうわけにはいきませんが、それにしてはソメイヨシノのさくらんぼと言うのは聞きません(実際はあるようですが)。

さくらんぼがなければどのようにして彼らは増えるのでしょうか。彼らはクローンなのじやないでしょうか。調べてみるとすぐわかりました。正解です。

知っている方は、何だと言うでしょうが、ソメイヨシノがクローンであったという事を、私はこの歳になって初めて知りました。クローンであれば、一斉に開花する事も理解できます。

どうやってクローンをつくるのか、それはもう挿し木などですよ、とお花見の話題の中で植物に詳しい方が説明してくださいました。今ではもう遅く、適時1月ごろ、水を揚げる時期なのだそうです。

興味を持たないといつになっても知らないことが残ってしまいます。今回のお花見は、勉強になりました。







2010年4月3日

2日、所用で市立図書館に行ったついでに市内の桜の様子を見てきました。1日から2日昼にかけての大荒れにもかかわらず、気温がぐっと上がったせいか一斉に開花していました。桜という花は何とも不思議で、私は関東で育ったものですから、桜=入学式という図式が頭に出来上がっています。他の地方の方は、たとえば東北などではまた違ったことになるのでしょうが。
(余談。今はどうか知りませんが、昔大学受験の時には地方出身者は電報を頼んでくることが多かったのです。学生の団体が引き受けてなどいました。で、その文面は「桜散る」が定番だと思っていましたが、私の場合違う花でした。もちろん散ったのですが、所により違うものだとその時知りました)

今年、「ツイッター」というものを始めました。もう皆さんご承知でしょうから説明は省略しますが、なかなか面白いものです。私も本名というか「技術士」を名乗って、少しは「技術士」名称の普及に貢献しようと思ったのです。

しかし、1月23日に始めて4月2日で240回しかつぶやいていません。それに、フォローしている人も少なく、フォローされている人もまだまだ少ないです。前者の少ないのは、私がもっともっと探しに行けばよいことなのですが、後者は、その中で目にとめていただいた方々ですから、何ともありがたいものです。

少ないことの理由の一つに、私はPCからしかつぶやいていないことがあるようです。ヘビーな方々は、時と所を構わずにつぶやいているようです。携帯端末と言うのでしょうか、そうした入力方法を私は持たないためです。新聞報道によれば、あれほど爆発的な人気を誇った「ネットブック」の売れ行きが全くよくないそうです。もう、携帯電話がそれに取って代わったのでしょう。私などはまだ携帯電話のメールで四苦八苦している状態ですが。

ここにきて、いろいろ探してみると、ツイッター討論なども行われているようです。私にしてみれば140文字で意見を述べるなどは、少なすぎてなかなか難しいと思うのですが、矢継ぎ早に「つぶやく」事によってその限界を突破しているようです。何しろ140文字小説などもあるらしいのです。

さて、このところPCの前に居る仕事というか機会が多く、そのため、ツイッターを眺めている時間も多くなりました。そうなるとまた新たに感じることがあります。つまり、つぶやく材料をいつも探しているようになってしまっているのです。

最初は本当に「いま何している?」に答えているというかそのまま素直に返していたのですけれど、どうも見ていると「いま何を考えている?」と言う事に答えなければならないような雰囲気です。もちろん「~なう」などという方もたくさんいますから、思いすごしではあるのでしょうが、それにしてもツイッターで「曲学阿世」などという言葉を「見る」などは思ってもいませんでした。やはり「~なう」だけではフォローしていただける方もあまり多くはならないのではないかと思う次第です。

という事で、新年度も始まりました。うれしいニュースに「味もノーベル賞級?「益川まんじゅう」発売」(読売新聞4月3日)があります。名古屋大学生協が12個入り1050円で入り出したという事です。(URL引用だけではいつか消えてしまいますので少し内容を書きました)
技術士も、「~せねばならない」「~とあるべきである」「~はけしからん」ばかり言ってないでいればいいのにな、と思った次第です。





2010年3月21日

トヨタ自動車のリコール問題を受けて、日経新聞の「経済教室」欄では3月15日から4回にわたり「「ものづくり」再論 トヨタ問題の含意」という記事が連載されました。この連載は、私には大変面白く読めました。そして色々考えさせられました。

4回分全体の要約は難しいので、記事冒頭に挙げられている各3点の「ポイント」から、私が考えてキーとなると思われるフレーズを抜き出してみます。先頭太文字は見出し、後のカッコ内は記事の筆者です。私が考えて重要なことは、【】内に入れました。

技術開発 消費者とともに
製品と人・社会との関係の質的変化注視を】(吉川弘之東京大学元学長)
強すぎる品質の呪縛解け
高みに達した日本型生産方式、見直しの時】(畑村洋太郎工学院大学教授)
複雑化が組織能力を超越
成功体験が悪い情報への即応力を弱める】(J・P・マクダフィー ペンシルベニア大学教授、藤本隆宏東京大学教授)
システム思考の革新急げ
「匠の技」に頼る技術風土では今後戦えず】(木村英紀科学技術振興機構研究開発センター上席フェロー)

日本の強みは「ものづくり」にあるとよく言われます。このサイトにもあるように、単に「ものをつくること」という意味ではなく、日本精神論まで含んだ言葉ですので、使う人によって微妙に意味が違い、それがまた日本的でもあります。

通常はいわゆる製造業での製品製造を指しますが、建設産業の現場でも使われます。要するに、日本人の勤勉さと器用さとが、芸術的な高みまで感じさせる製品を造り出し、それが世界一になっているというわけです。

しかしながら、よくその使われ方を考えてみると、たとえば景気が悪く輸出が伸びないが、こんな製品を送り出している「ものづくり」会社がある、とか、「匠の技」で至高の製品を作り出し外国の世界トップのメーカーに納品している(日本では使ってもらえない)、とか、背景について考えると、あまり喜べるとは限りません。
言葉表現は悪いのですが、なにか負け惜しみのようなニュアンスも(少しですが)含まれています。量産の「技術」より一段高いものが「匠の技」による「ものづくり」なのだ。量産では負けても、「ものづくり」では負けていない、というような塩梅です。「水道哲学」で生きてきたはずが、ここにきて後れを取った。ならば「匠の技」で「ものづくり」だ。少量高品質だ、という具合でしょうか。

ここで思い出しますが、私が最初に持ったパーソナルコンピュータは東芝の「PASOPIA(PA7010)」でした(典型的マイナー機だということです)。そのあと私もメジャー路線に転換し、NECのPC-8801、同PC-9801と乗換ましたが、これらはみな日本独自の規格で、世界的にはマイナーでした。IBM機との互換性はありません。日本的中華思想でした。(世界標準にしようという意思があったかどうかは判りません。私が感じたところでは、なかったようです。当時、誰からも「世界一で無くてはいけないんですか」とは言われなかったと思いますが。)今では影も形もありません。

携帯電話も同じ運命でしょうか。映画でも、日本映画はハリウッドに対抗したヨーロッパの評価は高かったのですが、「対抗意識」をすこし割り引かなければなりません。

そしてその時代には「ものづくり」などという言葉はありませんでした。日本独自の規格では世界に伍していけないと気がついたころから、「ものづくり」という言葉が生まれ普及してきたのです。【高みに達した日本型生産方式、見直しの時】であって【成功体験が悪い情報への即応力を弱める】のですから【「匠の技」に頼る技術風土では今後戦えず】なのです。

「ものづくり」は決しておろそかにしてよい考えではありません。しかし、そこから精神論を捨てましょう。

以下は何ら実証的なものではなく単なる印象にすぎません。

「匠の技」で「ものづくり」が喧伝されてきた頃から、若者の技術離れ(理科離れ)が始まったような気がします。「ものづくり」は面白いよ、という掛け声とは裏腹に、その直接の教育機関である工学部離れが進んでいるような気がします。「匠の技」で「ものづくり」をしている企業には特殊的には若者が入ります。しかしそれは、腕の良い職人のところに弟子入りするような感覚なのではないのでしょうか。これはこれでよいことですが、技術離れとは話が違うでしょう。「ものづくり」は面白いよ、と言えば言うほど離れていきますよ、面白さの強制ですから。若者は面白くないからその方面に進まないのです。

もう一度、技術とは何かを考えるべきです。

火縄銃は日本で美術品にまで完成しました。「匠の技」が発揮されたのです。しかし、本来銃は、戦場で使うものですから、故障しても使い続けられるもので無くてはなりません。ここが重要で、故障しないものを求めるのではないのです。(自動車は故障するものです。しかし人命にかかわりますから、故障したら即座に改良しないといけません)量産の「技術」はそうして生まれました。種子島銃では、故障した部品はその銃に合わせて作らなければなりませんが、それではとても戦場では間に合いません。部品の互換性は大量生産の「技術」からしか生まれません。「匠の技」で「ものづくり」の面白さと、量産の技術の面白さには、だから質的な違いがあるのです。

今、TVが故障して修理をお願いすると、故障したらしいユニット部品を取り換えて終わりです。「修理」というイメージも変わってきたのです。互換性のたまものです。

よく「科学技術」と言われます。これはおかしいと思うのです。「科学」と「技術」は別物です。「技術」は「匠の技」にもありますが、それに「科学」が無い場合もあります。

研磨したものの表面を「研ぎ澄まされた指先の勘でミクロン単位の平滑さを知る」技術には科学の結果である測定器はいりません。そしてこれは基本的に伝承できません。もちろん、弟子入りして学ぶことはできますが、その感覚は天性のものです。ちょうど、絶対音感のようなものでしょう(私は音楽はよくわからないので、これまた印象です)。

これに対して「技術の科学」はあります。その一つが「システム」的な思考です。「技術」を「科学」として位置付けなければ、いつまでも独りよがりの、「匠の技」で「ものづくり」が最高という、世界から孤立した日本(これを最近は「ガラパゴス化」というのだそうですが)から抜け出せません。

そうしたことを、「ものづくり」という言葉で表される「精神論」が、ブレーキになっているのではないか、というのが、今回の長い「ひとりごと」の結論です。






2010年3月8日

かなり力を入れて準備した「ザ・技術士」当番発表を6日(土)に終えました。前回は2008年12月ですから1年以上間が空いたわけです。今回は技術士としてではなく測量士としてお話をしました。別にそうでなくてもよかったのですが、こちらの資格もあまり他の分野の技術者には知られていないのではないかと考えたものですから、敢えて名乗ってみました。やはり、この資格が国家資格であるということをご存じない方もおられました。(この欄をお読みの方、よもやとは思いますが、国家資格です。)

しかし、予想したより多くの方が、地図については興味を持たれています。登山や山歩きなどのほか、最近のこんなTV番組の影響もあるのでしょうか。
話をまとめるにあたって、何回か国土地理院の情報サービス館に通って資料のコピーをしたり、「地図と測量の科学館」売店((財)日本地図センター)で復刻地図を購入したりしました。

結構趣味で地図を調べられている方もおられるらしく、情報サービス館の隣にある図書館では、「先日も同じような質問をされた方がおられましたが、お仕事ですか?」などと聞かれたりもしました。係の方には大変お世話になりました。お仕事のようなお仕事ではないような、むにゃむにゃですが、おかげさまで、なんとか話を終えました。

話題の中心「参謀本部迅速測図」は、もう少し追いかけて見ようと考えています。明治10年代に日本の軍制が徳川幕府以来のフランス式からドイツ式に変更される中で、高い技術を持っていた彩色地図もまた単色のドイツ式に変わっていったという背景の中で、忘れられた形になっていたものです。

ずいぶん前から興味は持っていましたが、まとまった文献は古書でも途方もなく高くて手が出ませんでした。たまたま市の図書館で、迅速測図の復刻版がバラで出ていることを知り、前記の日本地図センター売店で購入したのが始まりです。

当初は自分の住んでいる地域を歩くサイトの参考にしていたのですが、当番が近づいてくるに従って、よし、という考えになりました。

とっかかりは、私も会員である社団法人日本測量協会の機関誌「測量」の連載記事のバックナンバー(測量・地図歴史散歩 6 「関東平野の迅速測図と陸軍図画教育」) です。これは、誰でもWebで読めます。それを手がかりに「国土地理院時報」のバックナンバーを調べたり、川上冬崖のことが森鴎外の「西周伝」に出ていると「アトラス伝説」(井出孫六著 文春文庫1981年。古書店で購入)にあるので、国会図書館近代デジタルライブラリーで読んだけれど、漢字とカタカナばかりでよくわからず、茨城県立図書館で「鴎外歴史文学集第一巻」(漢字とひらがなに注釈まである)を借りてきたり、色々慣れない悪戦苦闘をしました。

やってみると、歴史探偵のような具合で、どうも技術者の話題とは離れて行ってしまいましたが、何とも面白い2カ月を過ごしました。聞いていただいた方々、まとまりがなかった内容でしたが、我慢していただきありがとうございました。

参考までにご紹介しますと、こちらのサイト(歴史的農業環境閲覧システム)で迅速測図の全体を見ることができます。

例年、この時期は技術士二次試験の合格発表(今年は5日)にあわせて、技術士試験についての話題を「ひとりごと」するのですが、今年はツイッターの方でつぶやいてしまったので、この欄の話題は以上のような内容としました。

とはいえ、技術士受験のお手伝いもしているので、発表当日は官報をダウンロードして一人ひとり名前を確認しました。同姓同名ということもあるので、こちらからは連絡はしませんでしたが、何名か合格者の方を発見しました。おめでとうございます。よかったです。






2010年2月26日


茨城県取手市には「取手市埋蔵文化財センター」という施設があります。この欄でも一度紹介したことがあります。私の住んでいる市には、こうした施設はなく残念です。
今回、またこの施設を取り上げるのは、現在行われている
「取手の鉄道交通」という企画展が、非常に面白いと感じたためです(内容を紹介することは控えます。お近くの方はぜひ足を運んでください。私が見に行った時間は平日の昼近くでしたが、5~6人の男性が見学されていました。)
それ以上に、このセンターでは今回が27回目の企画展ですが、何回か行って、その視点のユニークさがとてもよい、まさに市立の郷土館であると感じたからです。
名称は「埋蔵文化財センター」となっていますが、そのウイングは広く、まさに郷土資料館であると思います。

郷土資料館と名づけられたものはそこここにあります。折を見ては訪ね歩くのですが、単に古い道具を雑然と置いただけのものから、きちんと考証された説明パネルを展示したもの、あるいは学芸員を置いている施設まで、千差万別です。

その中で、ここは「埋蔵文化財センター」と言いながら、その企画展では、かなり歴史時代それも今回のように現代やはたまた未来にまでウイングを伸ばしたものが目立ちます。
先のリンク先でちょっと触れた前々回25回の
「幕末・明治維新期の取手」も郷土を取手と狭くとらえないで常陸の国南部と下総の国という視点でしたし、
前回26回の開館10周年記念
「年表にみる取手と藤代のあゆみ」も、なにしろ旧石器時代から平成17年の取手藤代合併までですから壮大なものです。

ゲスト講師も素晴らしく、前回26回の開館10周年記念では明治大学名誉教授大塚初重先生、今回はなんと鉄道ということで講演「鉄道とミステリー小説」(講師:小池滋氏(英文学者、元東京女子大教授、鉄道歴史学会顧問、日本シャーロック・ホームズ・クラブ会員)なのだそうです。

ちょっと横道にそれますが、わが技術士仲間にも私財をなげうって鉄道に打ち込んでいる方がいますのでご紹介しておきます。「片岡庭園鉄道クラブ」です。

閑話休題。
こうした施設は、運営費用などを考えると、これから新設することは難しいとは思うのですが、わが市の現状を考えると、ほしい施設の一つです。何しろ、中央公民館(この建物自体は大きい)の2階部分ロビーのような個所に、単に発掘された遺物や復元模型が並んでいるだけの、なんともものさびしい状況です。

考えてみれば、周辺自治体で、「○○市史」という史料編を含んだ刊行物を持たない(ずっと以前個人が編さんした通史はありますが)のはわが市だけのようです。
先の企画展にも、多くの個人蔵という資料が出展されていますが、かなりの点数がわが市の方のものです。郷土史を勉強する者にとって、活字化された史料集があるかどうかでは、その便が違います。いま、つくばエクスプレスの開通で、急速に変貌してきている状況では、早晩史料の散逸は免れないでしょう。

現に、一例をあげれば、「飯塚家文書」と名付けられた一群の古文書は、「関東取締出役研究会」や「取手市史編纂室」それに「同志社大学人文科学研究所」などに分散されて所蔵されていると言います(茨城大学五浦美術文化研究所紀要「五浦論叢」第8号所収「茨城県巡査「飯塚源造日記」(明治前期)〈その1〉」(長谷川伸三・高橋裕文・会澤潤子編)解題による)。

私の家の近くに「文化財公園」と名付けられた公園があります。その入口に、由来の書かれた碑があります。見ていると散歩中の方々が結構立ち止まっては読んで行かれます。人生いたるところ青山ありなのでしょうが、やはりどこかに「青山」を定めたいのではないでしょうか。というわけで、
「取手の鉄道交通」展を見ながら、ぜひともわが市にも「郷土資料館」的な施設と充実した郷土史(誌)を望みたいなあと考えたものです。






2010年2月16日

茨城県技術士会では、いろいろなチームを作って活動していますが、私はその中の「技術教育」チームに所属しています。月に1回当番を決めて集まり、ミニ講演会を開催しています。自分の専門以外の他の分野の専門家の話を聞くのは、かなり知的好奇心を満足させてくれ楽しいものです。
私の場合は講演と言うより話題を提供して、皆さんに雑談をして戴く事を狙っています(実は、ある系統立ったテーマを準備するのは、かなり大変なのです)。次回(3月)は私の当番なので、あまり熱心なメンバーではないままではいけないと思い、今月は参加してきました。

今回のテーマはメンバー外からのゲストをお招きしての「笠間焼きと日本のやきもの」です。講師はもと工業技術センター窯業指導所主席研究員の方でした。
お話は、私がその方面にまったく素養が無かったためか大変興味深いものでした。焼きものの原料(粘土)や分類から、世界最大の焼きものの作り方、後継者教育、芸術家のお話など、まさに知的好奇心を満足させて戴きました。
「笠間焼き」は、子供が小さかった頃訪問して焼き物体験をしたりしましたが、最近では笠間は「日動美術館」に行くぐらいで、焼き物には全くと言って良いほど触れていません。私の周りでも、趣味に焼き物をする方が増えているように思いますので、これはいけないと考え、休日に笠間市に行ってきました。

広大な敷地の「笠間芸術の森公園」の中に「茨城県陶芸美術館」があります。ちょうど「人間国宝濱田庄司展」を開催していました。
茨城県陶芸美術館(曇り空で寒かった) 入館券

あいにくかなりの寒さでしたが、大勢の方が見に来ておられました。
濱田庄司だけではなく、板谷波山、松井康成なども展示してあります。焼きものと言えば形と釉薬で描いた絵が思い浮かぶくらいで何の知識もなかった私には、ヒビや亀裂を生かした焼きものなど思いもしませんでしたが、目のあたりにすると、何ともいえない、これが粘土かとうなるようなものもありました。壺の中をのぞくと、表面と同じ色と模様があるものなど、どのようにして制作したのか興味津々です。

波山は波山で、これはまた焼きものだなあという表現を堪能できます。と言うわけで、芸術に触れるひとときを過ごし、濱田庄司の「60年が凝縮された15秒」の意味を納得できました。

以下蛇足。高速道路がつながるまでは、おそらく一日がかりになったでしょう。やはり道路はつながっていないといけません。





2010年2月8日


日本土木史とくに明治以降の本を読んでいると、そうそうたる技術者、トップ技術者についての話は尽きることなく出てきます。
しかし、現代で言う私たちのようないわゆる現場監督で終わった技術者や作業員とその世話役などのことはとんと出現しません。それに不満を持っていろいろ調べて見たことは、このページやこちらのページにもその一端を述べました。

中級技術者を輩出した学校(攻玉社など)についてはその片鱗が見えました。「工手学校-旧幕臣たちの技術者教育」(茅原健著2007年中公ラクレ)などでもそうした技術者については触れられています。
しかし、「日本鉄道請負業史 明治編」(社団法人鉄道建設業協会昭和42年非売品)を読めば、至る所に博徒の話が出てきます。博徒が子分を持っていることは、労働集約的な建設事業にとって好都合であったことが伺えます。

私が建設業の世界に入った頃は、労働者は多くが農村からのいわゆる出稼ぎ者でした。もちろん前者の時代にも私の時代にも、専業で建設界に働いている職人さんはいました。この本(「土方稼業」)や、明治時代のルポを読めば、「土方」という職業分類名に出会います。これも職人である(ただし最下層)ということのようです。

しかし「日本鉄道請負業史 明治編」以降、博徒のことを取り上げているのは少なくなります。有名な鶴見騒擾事件でも、「○○組」とあって誤解を与えそうですが、私の入った建設会社も「組」でした。博徒の場合は「○○一家」であったようですが、はっきりとは判りません。
鶴見騒擾事件のリンク先でも
【明治17年の「大刈込み」= 賭博犯処分規則により賭博犯(すなわち博徒)は裁判なしで10年の懲役という弾圧下におかれる。この対策として博徒の多くは土木建築請負の看板を上げ「組」を名乗るようになっていた。】
と書かれているような事情があったのです。

と言う長い前置きで、最近出た「清水次郎長-幕末維新と博徒の世界」(高橋敏著2010年1月20日第1刷岩波新書)を読んでみました。
「血で血を洗う」凄惨な描写は歴史書には珍しく、しかし、そのことによって著者の次郎長に対するスタンスがよく表現されています。

私の関心事は長い前置きの様な塩梅ですので、前編に建設事業の事がどれだけ出てくるかという事でした。終盤、明治になって、富士山麓の開拓の件が出ますが、それは土木事業と言うより殖産事業です。新橋横浜間鉄道で土木事業に名乗りを上げた高島嘉右衛門の名も出てきますが、実業家としてです。次郎長も先の「大刈込み」で逮捕され入牢します。
しかしついに(老境であったからか)「清水一家」のままで建設業には乗り出さなかったようです。結局、もう少し手を広げて見なければ判りません。建設作業員という最近でもあまりイメージの良くない呼び方の職種がどこから人を得ていたのか、その人達がいたから私たちが仕事が出来、インフラストラクチャーが整備できたのであることを念頭に調べて見たいと考えてはいます。








2010年1月27日

遅ればせながら八ッ場ダムの勉強を(少し)してみました。
国土交通大臣が国会で追及され、「借金で箱物を造った自分たちのツケを放っておいて、今の政権の文句を言うのはやめていただきたい」という答弁をしていたようです。
その当否は置きますが、土木屋であればやはり、専門外だと言うのは責任逃れでしょう。
そこで、新たに設置された「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」というページの資料を手がかりに読み始めました。
こうした問題は、単に河川工学などの技術的問題にとどまらず、もっと広い社会的問題を含んでいて、どちらかというとそちらの方がウエイトが非常に高い場合が多いのです。
この場合も、果たしてダムが必要なのかどうかという技術上の問題から考え直していくと、どうも危うくなってきます。
治水では、ダムの洪水抑制の役割が近年では低く考えられてきていますし、利水でも、人口減少と節水の普及、利用の無駄がなくなったことなどから、現状以上の水は必要ないとも言われています。
加えて、先の「有識者会議」の資料を見ていくと、「計画を超える洪水が多発する可能性があることから氾濫を許容する政策への転換を検討することが必要であり、その場合の対策等として耐越水堤防の工法、実施個所の選定、地域ごとに守るべき洪水位の決定などの課題に真剣に取組むべきではないか。」などという意見まであります。

まだまだ勉強途中ですから、全体について意見を述べることは出来ませんが、上の点についての一端は以前少し勉強したことがあります。

日本の土木技術は、他の国と同じく、洪水から命を守るという方向がありました。
しかし、江戸時代にはその努力もつき、河川はかなり荒廃していました。明治初期、オランダ人技師による低水工事は、主として水運を考えたものでしたが、洪水が頻発するに及び、やはり河川では洪水防御が第一であるとの認識が、主として海外留学から戻った日本人技術者によって唱えられました。
その動きが、おりから輸送が鉄道に引き継がれるのと引き替えのように広まり、河川は堤防で固められて行きます。

ダムはもう少し後のことですが、戦後、国土の総合開発計画で、資源無き国の例外的に潤沢な水資源開発が唱えられ、その中から出てきます。
八ッ場ダムもカスリーン台風以降の洪水調節、水資源開発(あとになると宮が瀬ダムのように観光開発も含まれてきます。八ッ場ダムももちろんです)の流れで計画されたのです。

こうしてみると、低水から高水へという流れを一度考え直さなければ(先に述べたように、河川の水運が時代の要請から取り残された変化が低水から高水へを後押ししたのは確かですから)時代にあった水政策はとれないと言うことになります。

と言うわけで、歴史に学べば先の意見は尤もです。
しかしながら、ことは住民の生活(というか「人生」と言うべきほど長い時間)に深く関わることですから、単純ではありません。政権についたとたんにダム建設中止を表明したことは、少し手続き的にどうかとは思われますが、だからといって、それにより大方針がひっくり返ることは好ましくありません。

結局のところ、逆「迷惑施設建設対応」論(ゴミ焼却場や火葬場などの迷惑施設はどこかに必要なのだから、その周辺の住民が我慢する代わりに、十分な社会基盤等の提供が必要というのがこの社会大方の合意であろうとすれば、ダムを造らないことによって被る迷惑を補償することが唯一の道であろう、とする論)の方向で行く必要があるのではないでしょうか。

以下、真性のひとりごと。国土交通大臣は、以前、国土交通省の技術者の言うことは信じないと言ったようですが、「有識者会議」のメンバーは全員大学の先生です。これらの先生を選んだ人はどなたなのでしょうか。またどのようにして選ばれたのでしょうか。







2010年1月17日

1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生した日に自分は何をしていたかと言うことは、おそらく大勢の人が一生忘れないのではないかと思います。

私は当時勤めていた会社で営業職にあり、正月の挨拶回りの最中でした。その日は東京に行く予定で、いつもの通り朝つけていたNHKのニュースで関西に地震が発生していることを知りました。かなり大きかったとは言うものの、詳細が分からないままでした。
東京に着いてあるコンサルタント会社のお客に面会をしているとき、初めて火災の影像がテレビに映っているのを目にしました。まだ、災害の規模ははっきりしませんでした。設計者の話題は、高速道路の倒壊でした。

昼近く、横浜のやはりコンサルタントのお客のところに着いた頃は、もうだいぶ明らかになってきていました。親しくしていただいているそのお客と話をしていると、どうも話が上滑りします。よく聞いてみると、実家が神戸で連絡が取れないと言うことでした。

うかつにも、その時点まで、そうしたことが起こりえる可能性に思い至りませんでした。つまり、神戸は遠いところで、自分の生活とは関わりが(土木構造物という関わりはのぞいて)ないと思い込んでいたのです。
(幸いにも、帰る直前になって、連絡が取れ無事であると判明しました。)

社に帰り上司に、年をとった現場を離れて何年もたつ営業職でも、連絡係ぐらいは出来るだろうから神戸に派遣してほしいと言いましたが、足手まといになるだけだろうと一蹴されておしまいでした。休暇を取っていくと言うことも考えましたが、それでは会社をバックに出来ないので、ボランティアになってしまうと思いやめました。当時は、そうした災害に対する活動は、組織的にやるものであると思い込んでいました。

なにもしなかったことの言い訳をしていては始まらないのでやめます。ともかく、何かしなくてはと思いながら15年たってしまいました。技術士会の旧防災特別委員会などにも参加させてもらいましたが、いろいろな事情で、思うに任せませんでした。町内会でも何とか防災意識を高めようとしていますが、これも思うに任せません。

しかし、忘れないようにはしています。このページも、そのための記録にしたいと思います。

総務省消防庁のまとめた阪神淡路大震災の被害状況
死者6,434人
重軽傷者43,792人
行方不明者3人
住宅全壊104,906棟(186175世帯)
同半壊144,274棟(274182世帯)
同一部破損390,506棟
火災293件(延べ835,858㎡)
建物全焼7,036棟
同半焼96棟

いやな話ですが、今度は、どこでしょうか。
「週刊東洋経済」1月16日号では「切迫する恐怖のシナリオ」として「東海地震」「東南海地震」「南海地震」の同時発生の可能性を言っています。「首都直下型地震」の発生確率は30年以内に70%です。また、「防災意識の高さが被害を最小限に食いとどめる」とも言われています。

とにかく忘れないことです。







2010年1月9日


「私たちはどこから来てどこへ行くのか」と言うことは、哲学でも生物学でも歴史学でも、そして私自身を含む人生でも、いつでも最後に残る疑問であると思うのです。
しかし、かくいう私などは、その問いに対する解答の糸口さえもこの年になってもなおつかめません。
数学の、幾何学の問題であれば、直感によるひらめきで補助線を思い浮かべるというウルトラ技がありますが、それとても何らかの事前の学習が必須です。しかも現代では、私たちが頭をひねった幾何学は、少なくとも高校までの数学では消えているようです。

閑話休題。
8日の読売新聞一面に(他の新聞でも同じと思いますが)
【「大王墓」銅鏡81面副葬】という見出しで、奈良・桜井茶臼山古墳から、多くの銅鏡の破片が見つかったという記事が出ました。他の面には【「邪馬台国へ手がかり】という見出しもあります。
私が生まれ育った日本という国は、言うまでもなく明治になって統一国家となったのですが、ずっとさかのぼれば「邪馬台国」という名の「国」がその源流の一つであったということになっています。そして、「邪馬台国」は地理的にいったい日本列島のどこにあったのかが、長い間の論争の一つとなってきています。

もう35年以上前のこと、シールド工事の立坑位置が考古遺跡に当たることなどから、しばらく現場が休止する事態になったことがありました。なにもすることがないので、同僚達とたまたま近くにあった考古博物館や図書館に遊びに行き、考古学の本を借りては読んだことがあります。

そのとき、森本六爾先生や原田大六先生の名を初めて知りました(お二人とも面識はありませんし、先生と呼ぶのはどうかと思いますが、私が考古学・古代史に出会った最初の本の著者ですから、こう呼ぶことにします)。
森本先生の研究は考古学そのものと感じましたが、原田先生の本には神話が出てきていたりして、何となく身近に感じました。原田先生の
「邪馬台国論争」三一書房(1961年)「実在した神話」学生社(1966年)「日本国家の起源」三一書房(1975年~1976年)「卑弥呼の鏡」六興出版(1977年)などを入手して読みまくり、私は、邪馬台国は畿内であると信じました。
その「神武東征(じんむとうせい)」神話は史実を反映しているという説の部分には違和感があるものの(原田先生は、邪馬台国は天皇家の祖先が東征後、畿内で建国といっていますが、「邪馬台国はなかった」説の古田武彦氏との論争で知られた安本美典氏は邪馬台国自体が九州にあり大和へ東遷したと言っていますから 、微妙にどころかかなり違います)、近年ますます発掘調査の結果から、邪馬台国は畿内、もっと詳しくは纒向遺跡であるとの論が(とくにマスコミ)喧伝されてきています。

古墳の年代に関する国立歴史民族博物館の研究など、私たちが教科書で勉強したことが、どんどん否定されていっています。原田先生は、結論的に同じような年代観でしたが、残念ながらずっと早くお亡くなりになっています。もっとも安本氏は、そんな研究は【よそおいは「科学的」、内容は「支離滅裂」!歴博の研究グループの「炭素14年代測定法」による「箸墓古墳は卑弥呼の墓説」は、捏造に等しい。】(「邪馬台国=畿内説」「箸墓=卑弥呼の墓説」の虚妄を衝く! (宝島社新書 296) /2009年)と言うことのようですが。

まあ、こんなことに興味を持っているため、新聞記事の内容が気になって熟読しました。どうも吉野ヶ里遺跡以降、新聞を賑わすのは「邪馬台国=畿内説」だけの様な案配で、九州説はそれだけ採ると旗色がよくなさそうです。私にとってはむふふですが。
今までも、銅鏡が砕かれて古墳から発掘されたと言うことはありましたが、今回のように細かい破片までの記録は、なかったように感じます。しかも、その細かい破片から、鏡の種類まで突き止めているのですから、考古学も変化したものです。日経新聞によれば
【大半は1~2センチの砕片だった。他の古墳などから出土した古代鏡約700面を、レーザー光で細密に3次元計測して構築したデータベースと照合したり、厚みや鋳造状態を分析したりして、個体数と鏡の種類を判別した。】とあります。なんともはや、と言わざるを得ません。
それでもなおかつ例によって記事は慎重で、これによって「邪馬台国畿内説」が裏付けられたものではないという学者の論も掲載しています。記事全体の雰囲気は「邪馬台国畿内説」が、またまた補強されたと読めるんですが。

「私たちはどこから来てどこへ行くのか」。私たちの国の源流が纒向であるならば、一度はいってみたいと思っていますが、まだ実現できていません。橿原考古学研究所附属博物館では、この発掘の「速報展」を開催するようです。いきたくても今月いっぱいでは・・・・。「銅鏡片78面分」と、新聞記事とは3面違いますが。

同博物館のサイトには以下のように案内されています(サイトにいけば判るのですが、いつか記載が消えたときのために、ここにも載せておきます。なにやら読めない文字もありますがご容赦)。

速報展『再発掘 桜井茶臼山古墳の成果』の開催!!!
期   間:2010年1月13日(水)~31日(日)
開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
会   場:奈良県立橿原考古学研究所附属博物館 展示室
休 館 日:1月18日(月)、19日(火)、25日(月)
入 館 料:大人400円(350円) 大学・高校生300円(250円)
小・中学生200円(150円)  ※ (  )内は20名以上の団体料金
主な展示品(予定)
 銅鏡片78面分
    三角縁神獣鏡片(25面分・正始元年銘鏡片を含む)・内行花文鏡片(9面
    分)・仿製内行花文鏡片(10面分)・単夔鏡片(1面分)・鼉龍鏡片(3面分)・
    半肉彫獣帯鏡(5面分)・方格規矩鏡片(2面分)・細線獣帯鏡(2面分)・盤
    龍鏡片(1面分)・環状乳神獣鏡片(4面分)・他神獣鏡類片(16面分)
 ガラス製管玉(1点)・同小玉(4点)
 碧玉製管玉(5点)
 石釧(1点)・車輪石(1点)
 弣形石製品(1点)
 石製垂飾品(1点)
 板状鉄斧(2点)

しかし、冷静になってみれば、なにも「邪馬台国」だけが私たちの国の源流ではなく、人の流れには今の九州や北海道、新潟県、能登半島、沖縄県など、島国ですから、あちこち入り口があって、それぞれに源流があったのでしょう。
だからここは、こと「邪馬台国」は、畿内しかも纒向だという狭い私の意見(説とはいえない、感じぐらい)のみを記録しておきます。

※「私たちはどこから来てどこへ行くのか?―科学が語る人間の意味」(ブロンズ新社 (2000/08) )という書籍もありますが 、上記の文章とは全く関係がありません。念のため。






2010年1月1日

明けましておめでとうございます。今年も本欄をご覧いただきましてありがとうございます。
最近では、本欄のようなこうした形式よりブログ、ブログより「つぶやき」が主流になっているようですが、生来のやり方を変えていくことはなかなか出来にくいため、本年もこの形式で(当面は)行こうと思います。よろしくお願いいたします。

さて本年最初の話題は
『世論の曲解 なぜ自民党は大敗したのか』(光文社新書434/著者 菅原 琢)です。
購入は28日、すぐ読み出して、読み終わったのは31日であったのですが、読後感の文章は以降のように年をまたぎました。

なんだかもうずっと昔のような気がしますが、昨年民主党が「政権交代」を成就し、「事業仕分け」も耳目を集めましたが、それ以上にわが建設界では、「八ッ場ダム中止ショック」をはじめとして、次年度予算の公共事業費18%減など激震が続きました。なぜ50年以上も政権の座にいた(途中、ほんの少し途切れた時期もありましたが、おおむね)自民党が下野しなければならなかったのか、それが詳しく分析されているのが本書です。

著者は、【本書は普通の新書とは明らかに異なる】として、【本書のタイトルを見てたまたま手にとってしまったような方は、覚悟してほしい。(中略)あなたはこの本を読み通せない可能性がある。ただ、この本を読み通せないというのなら、あなたは現代の日本政治について語ることも、一家言持つことも、到底できない。現代の政治は、世論調査や選挙などの数字が大きな力を持つからである。】(20頁)と、私に(!)挑戦してきています。著者は1976年生まれですから、よろしい受けましょう、というところです。

以前、このような本も読んでいたように、そもそも世論調査などへの疑問は多くありました。しかし、挑戦を受けて立ったのは良いのですが、グラフの線の区別が老眼にはひどくつきにくく、その面で読解に苦労しました。

一言で言うとカバー裏にもあるように【あらゆるデータが、小泉後の自民党の針路の間違いを指摘していた】ということです。麻生人気は作られたものであり、決して「国民的人気」などはなかった。若者は「右傾化」などはしておらず、そんなものはネット上のごく少数の幻想に過ぎない。勝ちすぎたといわれる民主党への振り子は、自民党へは戻ってこない。

こうして解き明かされてみると、なるほどと納得できるものばかりです。では、なぜ、リアルタイムで我々はそう思い込んでしまったのでしょうか。世論調査結果などの統計は、操作することも出来れば、読む方が勝手に「曲解」してしまうこともあるとは、先に引用した
『「社会調査」のウソ-リサーチ・リテラシーのすすめ-』(文春新書/著者 谷岡 一郎)で教わったことですが、またも見事に指摘されてしまっています。

というわけで、私は新書にしては前述の理由で少し時間がかかりましたが読み通した結果となりました。

それにしてもいつも残念に思うのですが、こうして解き明かされた結果が理解できたときは、もうすでに世の中は変化していて、世論を「正しく」解釈するべき時は過ぎ去ってしまっていることです。誰かはシグナルを出していたのでしょうけれど、多くの人はそれに気がつかなかったということです。後期高齢者医療制度の時も、何年も前に決まっていたのに、施行される直前になったら、急に反対論が噴出しました。地デジもおそらくそうなるでしょう。今日からの社会保険庁を廃止して「日本年金機構」設立はどうなのでしょうか。

もう少しアンテナを高くし、的確な判断を下せるようなスキルを、我々が磨く必要があるというのが、私より30年も若い著者からの挑戦状に対する答えでした。