映画のある記憶(第12回)

「暴力脱獄」(1967年アメリカ 監督スチュアート・ローゼンバーグ)

1968年日本公開ですから、時代は少し前に戻って私が大学生のころであると思います。全くの予備知識なしで映画館に入りこの映画を見ました。

いつものとおりあらすじの紹介はしませんが、一言でいえば、パーキング・メーターを壊したルーク(ポール・ニューマン)が、送り込まれた刑務所でもその自分の意思通りの人生を歩もう、社会の枠組みにはとらわれないで生きていこうとする映画です。

その過程で、だらだらとした作業を渾身の力でやりぬいたり、囚人のボス格であるドラグライン(ジョージ・ケネディ)と殴り合ったり、ゆで卵の大食い競争に打ち勝ったり(この力尽きてテーブルの上に横になっているのを上から撮ったシーンは、キリストの十字架上の姿と同じ構図といわれる)しながら、囚人たちの人気を獲得していきます。
そうした中、母親(ジョー・ヴァン・フリート。「
エデンの東」でもジェームス・ディーンの母親役)が面会に訪れ、ガンでもうすぐ死ぬと言って別れます。しばらくして母親が死んだという知らせを受け取ると、ルークは脱走を企てます。とらえられ再度脱走し、3度目にはドラグラインも一緒になるが、途中で別れ、ついに・・・という映画です。

いつもかすかに笑っているような表情のポール・ニューマンは、この映画の後の「
明日に向かって撃て!」(1969年監督ジョージ・ロイ・ヒル、ロバート・レッドフォード、キャサリン・ロス)や「スティング」(1973年監督ジョージ・ロイ・ヒル、ロバート・レッドフォード、ロバート・ショウ、チャールズ・ダーニング(「合衆国最後の日 」(1977年アメリカ・西ドイツ監督ロバート・アルドリッチ、バート・ランカスター、リチャード・ウィドマークのなかで大統領を演じた))よりもずっとよかったと思うのです。

母親との別れの場面などは、訳もなく涙が出てきます。彼は何を考え、何のためにこうした行動をするのか、それは説明されません。説明は必要ないのです。前回の「日曜日には鼠を殺せ」でもそうですが、行動を説明しなければならないというのは、なんともつらいものです。

当時、日本では70年安保改定反対などへの学生運動の高揚で、社会秩序に反抗するというテーマはごく身近なものでした。しかし、図らずもこの映画は、そうした思惑を超えたようです。

監督は、テレビ映画出身の人で、映画はあまり多くなく、私も他に見た記憶がありません。

この映画にはもう二人、私の好きな俳優が出ていて、その一人がジョージ・ケネディです。何とも言えない愛嬌のある表情で、しかし存在感のある演技をみせ、アカデミー助演男優賞をとりました。これまでは悪役でしたが(目が鋭い時がある)、ユル・ブリンナーが2作主演した「
荒野の七人」シリーズ第3作「新・荒野の七人 馬上の決闘」(1969年監督ポール・ウェンドコス)では主演(前2作のユル・ブリンナー役)していました。こちらは三番煎じの凡作でしたが、「大空港」(1970年監督ジョージ・シートン、バート・ランカスター、ディーン・マーティン)では、この男がいると安心だという雰囲気のエンジニアになって戻って来ました。

もう一人は、J・D・キャノンで、1971年スタートのTVシリーズ「
警部マクロード」でマクロードの上司、ピーター・クリフォード部長を演じて日本でも有名になりました。私は西部劇「追跡者」(1970年監督マイケル・ウィナー、バート・ランカスター、ロバート・ライアン)でも見ています。もっともこの「暴力脱獄」では、少し脇に隠れすぎてよくわかりません。

この映画は、内容も影響しているようで、あまりテレビ放映されません。されても、無残に両脇をカットされた姿で、私の持っていた録画もそうでした。しかし、今年、NHKBS2が完全な放映をしましたので、DVDコレクションに加えることができました。

その番組でも紹介者が言っていましたが、この題名は内容を表しているとは到底思えません。こうした題名は、もう変更がきかないところが残念です。「ニューズウイーク日本版」が2009年5・6/13(ゴールデンウイーク合併号)で特集した「映画ザ・ベスト100」にも入っていません。かろうじて「ホットな監督が選ぶ「わが人生の映画ベスト5」」にアンドリュー・スタントンが5位に入れているのが救いです。


常総散策 ホームページへ



映画のある記憶(第11回)

「日曜日には鼠を殺せ」(1964年アメリカ 監督フレッド・ジンネマン)

第9回「ジャッカルの日」の中で、監督フレッド・ジンネマンの他の映画として「日曜日には鼠を殺せ」(1964年)を挙げましたので、時期は10年ほどバックしますがここで取り上げます。
取り上げるのがあまり同じ監督ばかりでは面白くないのですが、私はどうも俳優ではなく監督で映画を見るようであったらしいので、しばらくはお付き合いください。

モノクロの戦争場面から始まるこの映画(全編モノクロです)は、かの「スペイン内戦」後日談とも言うべきものです。
スペイン内戦は映画「
誰が為に鐘は鳴る」 (1943年アメリカ。監督:サム・ウッド、主演:ゲーリークーパー、イングリッド・バーグマン)で有名ですが、これ以外にも多くの映画や文学が発表されています。日本では逢坂剛の一連の小説があります。左派の人民戦線政府と、フランシスコ・フランコ将軍を中心とした右派の反乱軍とが争った内戦で、反ファシズム陣営である人民戦線を旧ソ連が支援し、フランコ側をファシズム陣営のドイツ・イタリアが支持しました。

さて映画です。
人民戦線闘士だったマニエル(グレゴリー・ペック)は、戦後、フランスの小さな町でひっそりと暮らしています。一方、彼を追う警察署長(アンソニー・クイン)は、マヌエルの母が危篤なのを利用して彼を故郷におびき寄せ、逮捕しようと画策します。マニエルの母は、「帰ってくるな」という伝言をカトリックの神父(オマー・シャリフ)に託します。このあたりの展開は、スペインの当時の宗教状況を知らないとよく分からないのですが、「母が神父に伝言を頼むはずがない」というマニエルの気持ちと、重要な役目(ルルドに行く用事。あの「ルルドの奇跡」の洞窟が出てきます)があるにもかかわらず、死者に頼まれたことを成し遂げようと神父が右往左往する展開が、この監督にしてはすこしもたついています。狂言回しのような、けれどマニュエルを英雄と思い、彼の親友であった父を殺した警察署長を殺してくれと頼む少年の存在なども、私にはあまりしっくりきません。サッカーボールの白さが際立っていて、画像的には良い場面も多いのですが。

なにより、オマー・シャリフ(クレジットタイトルでは3番目です)ばかり目立っていて、アンソニー・クインがぱっとしないことが残念です。しかし、それが、オマー・シャリフの存在が、この映画の主題であることは、題名からも察しがつきます。原題とは違った日本語題名ですが、これは原作からとったとのことです。意味はよくわかりませんが、安息日である日曜日に鼠を殺せというところに宗教的意味合いがあるのだと、いくつかのインターネットサイトでは書かれています。グレゴリー・ペックは、「
アラバマ物語」(1962年アメリカ 監督:ロバート・マリガン)などの役柄とは変わった役どころですが、まあ、可もなく不可もなくというところです。この人の映画は他にもたくさん見ています。「大いなる西部」(1958年アメリカ 監督:ウイリアム・ワイラー)、「ナバロンの要塞」(1961年アメリカ 監督J・リー・トンプソン (そういえば、これにもアンソニー・クインが出ています)) などなど。しかしなぜか、どれもあまり感心した事はありません。といっても嫌いでもないので、なんだか不思議な俳優さんです。

さて、何しろこの監督は、「
真昼の決闘」(1952年アメリカ 主演:ゲーリー・クーパー、グレイス・ケリー)でも、最後までアクション・シーンはないように、この作品でも、最後の最後までありません。それも、アクションとは言えないようなものですが。それよりも、なぜ、罠とわかっていて、しかも母はすでに死んでいるスペインに自殺行為さながら潜入する(最後は射殺される)のか、そこの所が、私にはよくわかりませんでした。最初に見たとき(おそらく1970年ごろの日曜洋画劇場のようなTV放映?)も、今も。思うに、世界はわからないことだらけなのでしょう。今ではそう思えるようになりました。近頃のハリウッド・アクションや香港・アクションのように、最後にすべてがわかったのでは、それこそ面白くないのです。名匠といわれるフレッド・ジンネマン監督ですが、まあ代表作とは呼べないでしょう。私は、モノクロの風景や、カスタネットを模しているのでしょうか、音楽の主題が印象に残って、ぜひもう一度見たい映画の一つでした。DVDも出ているようですが、今回はケーブルTVで見ました。

今、懐かしく思い出していますが、亡くなった母(私のです)は晩年心臓がよくなく、あまり外出しませんでした。しかし、映画が好きで、TVではよく見ていました。「
大いなる西部」が公開されたときはまだ元気で、自分で見に行きました(私もお供しました)。キャロル・ベイカーが相手役ではおかしいと思っていたら、結局ジーン・シモンズが本命で、予想が当たったと言っていました。「誰が為に鐘は鳴る」が、リバイバル上映されたとき、私は高校生かおそらく浪人かでしたが、今度は心臓を気遣いながらのエスコート役でした。その感想は忘れました。同時期に「風と共に去りぬ」(1939年アメリカ 監督:ヴィクター・フレミング(製作のデイヴィッド・O・セルズニック のほうが有名か) 主演:ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブル、オリヴィア・デ・ハヴィランド(こちらの方がリーよりずっと良かったと思うのだが))もリバイバルされ、これもエスコートし、大変喜ばれました。数少ない親孝行の思い出です。


常総散策 ホームページへ



映画のある記憶(第10回)

「タワーリング・インフェルノ」(1974年アメリカ 監督ジョン・ギラーミン)

138階建てという、現実には2008年現在でも世界に実在しない高層ビルの火災の顛末を描いたスペクタクルで、ハリウッド大手映画会社「ワーナー・ブラザーズ」と「20世紀フォックス」が共同で製作した作品です。
なんでも、別の同じような原作を、別々に映画化しようとしていたのですが、製作費がかさむため共同で、となったようです。
このため、ポール・ニューマンとスティーブ・マックイーンの2大スター共演が実現しました。日本のポスターやパンフレットなど宣伝材料のほとんどは、スティーブ・マックイーンを筆頭に持ってきていますが、それは、ポール・ニューマンが日本ではいま一つスターとしての知名度が少ないためで、タイトルクレジットをみると、如何に製作者が二人をどのように扱うか苦心したことがわかります。(このあたり、東映の時代劇で、片岡千恵像と市川歌右衛門共演時の扱い(セリフの数、カットの数を同じにしたという伝説。真偽は確認していません)に似ています。)
二人を左右に並べて、左にスティーブ・マックイーンを持ってきました(本来なら格上)が、ポール・ニューマンのほうは右側でもほんの少し高くしてあり、それとなく格上を表わしているように見えます。これはエンディングのほうでも同じ扱いになっています。1925年生まれで今年(2008年)亡くなったポール・ニューマンに比べ、1930年生まれながら1980年50歳でアスベストによる中皮腫でなくなっているスティーブ・マックイーンは、この映画以降3本しか出演していません。

監督は、本欄第6回
「レマゲン鉄橋」でファンになったジョン・ギラーミンです。このときは本作を「まあまあ」と評していましたが、それは変わりません。

映画は、建築技師であるポール・ニューマンの設計を無断で変更し、劣悪な材料で作られた超高層ビルの火災で、宴会場に閉じ込められた人々の運命を描く、グランドホテル形式映画で、宣伝文句ほどパニックになったりはしていません。
スティーブ・マックイーンは、消防隊長で、大活躍を見せるかと思えばそうではなく、こちらも火災に右往左往させられている感じです。何しろ、人類初めての事態なので仕方がありませんが、最後に、「建築家が燃えないビルをどうしたら建てられるか俺に聞きに来るまで、被災者を救出するだけだ」などと言い、「聞きに行くよ」という返事をポール・ニューマンから引き出すなど、得な役柄に終始しています。

スティーブ・マックイーンの参謀役のような具合に、いつもそばにいる役のドン・ゴードンという俳優がいますが、「
ブリット」(1968年アメリカ 監督ピーター・イェーツ)、「パピヨン」(1973年フランス 監督フランクリン・J・シャフナー)でも共演していました。何でも、スティーブ・マックイーンの親しい友人だそうです。
なんでもない役で、他と同じく寡黙な役柄なのですが、こうした俳優が出ると映画を見るのが楽しくなります。「
刑事コロンボ 逆転の構図」(1974年)にも出ていました。

ちなみに「
逆転の構図」に出ているヴィト・スコッティも同じようなもので、同シリーズの「別れのワイン「野望の果て」「白鳥の歌」などに出ていますから、ピーター・フォークのお友達なんでしょうか。

この映画は、最近NHK衛星第2TVで放映されていました。深夜だったので録画して見直しました。模型のビル火災が、今のCG全盛時代の目から見ると、なんだかとてもかわいらしく見えました。

この映画をどこで見たのかは覚えていないのですが、この当時は千葉市桜木町のシールド現場まで市川市から2時間以上かけて通勤していましたから、おそらく東京か市川市で見たのでしょう。前回と同じ時代の記憶でした。



常総散策 ホームページへ

映画のある記憶(第9回)

 「ジャッカルの日」(1973年 イギリス/フランス 監督フレッド・ジンネマン) 
  
 
しばらく休んでいましたが、映画を見ていなかったわけではありません。DVDに撮りためたものの整理が追い付かず、机の上に積んだままの状態になっているだけです。

 1973年当時、私は千葉県市川市に住んでいました。この頃は、独身時代のように毎週2本も映画を見るということはなく、本欄第5回の「
11人のカウボーイ」など、ごく少数だけを見ていました。ある日市川駅を降りると、ビルの壁面に巨大な垂れ幕がありました。それが、照準望遠鏡の十字線ごしにドゴール大統領の顔がある映画広告でした。「ジャッカルの日」です。
 原作(フレデリック・フォーサイス)の小説はすでに読んでいて、これはこれで非常に面白かったのです。当時、協力業者の社員の中に、やはりこの小説を語る人がいて、大いに語り合ったものです(今でも年賀状だけですがやり取りしています)。
 本欄にしては余談ですが、フォーサイスの本のなかでは「ビアフラ物語」(1969年角川書店)が、小説ではないのですが一番です。後にフォーサイス自身が(「ジャッカルの日」の印税で)傭兵を組織し、実際にクデターを企てた背景にあるノンフィクションです。これの経験をもとに今度は「戦争の犬たち」(1974年角川書店)を書いたのです。違うのは、現実の方は途中で官憲に見つかり頓挫しますが、小説では成功することです。この小説を読んだ当時、私は、かなりいろいろな傭兵に関する本をよみました。マイク・ホアなどの名前もその時知ったものです。

 閑話休題。
 映画は、原作とは幾分違った雰囲気を見せます。良く言われるように、伯爵夫人との出会いの扱いを、どうして原作と変えたのかハわかりませんが、それ以上に、何しろ、映画化の話が出た時、忠実に再現すれば5時間半になるとされ、原作者本人がアドヴァイスして簡略にしたようです(当時のパンフレット内「フォーサイス・インタビュー」(黒井和夫)より)。確かに、映画は、文章で何ページもかかる説明を一瞬のカットで語りますから。
 題材はご存じフランスの大統領ドゴール暗殺(未遂)事件です。主人公はドゴールではなく暗殺者ジャッカルで、反ドゴール派から依頼されての暗殺計画が、じっくりとしかも彼を追う警察側からと同時に描かれます。フォーサイスはマンハントが主題だと語っていますが、その通りで、後に再映画化と銘打って製作された、「
ジャッカル」(1997年 監督:マイケル・ケイトン=ジョーンズ、原案・脚本:チャック・ファーラー、出演:ブルース・ウィリス、リチャード・ギア、シドニー・ポワティエほか)のような、派手な立ち回りは何もなく、記録映画のように淡々と見えない相手をハントする、されまいとする様子が描かれます。
 最後のシーン(暗殺決行)が、あまりにあっけないため、現代の映画ファンには物足りないと感じられるようです。こうした、時間を追った造りは、ジンネマンのこれ以前の映画、西部劇「
真昼の決闘」(1952年 主演:ゲーりー・クーパー、後のモナコ王妃グレイス・ケリー)、「日曜日には鼠を殺せ」(1964年 出演:グレゴリー・ペック、アンソニー・クイン、オマー・シャリフ)などにもあります。(また余談。「日曜日には鼠を殺せ」も面白い映画でした。題名もそうですが)
 いま、DVDでよく見返すといろいろ気になる場面もあります。開巻して閣議の終了とともに閣僚が出てきます。その最後に大統領がいて、OASの銃撃を受けるのですが、原作では予定が長引いて薄暗くなった、という描写があり、映画でも時計はその時間を挿します。しかし、人物の影を見ると、短かったり長かったり、撮影が一定していないことがよくわかります。
 日本の黒澤明監督には優秀な(というかよく気がつく)記録者がいて、こんなことはしないと思うのですが、外国特にハリウッド映画には、こうした齟齬がよくあります。Aカットで帽子をかぶっているのが、次のBカットでは脱いでいるなど、探していくと面白いものです。
 
 この映画は、ドキュメンタリー・タッチを狙ったので、あまり顔を知られていない俳優を起用したそうですが、主演のエドワード・フォックスはぴったりです。私が見たものだけをあげると「
空軍大戦略」(1969年)、「ナバロンの嵐」(1978年)、「ワイルド・ギースU」(1985年)、「戦争にかける橋2/クワイ河からの生還」(1989年)と、続編が二つもあります。ユル・ブリンナー「荒野の七人」における続編のジョージ・ケネディのようなものでしょうか。体型こそまったく違いますが。
 
 OASの護衛が逮捕され拷問されて白状するところ、ジャッカルが大英図書館に通い、暗殺可能日を発見するところ(これは原作でも映画でも伏せられていて、何かを発見したとしかいわれない)、改造銃を説明するところなど、映像だけで原作を読んでいないとうっかり見過ごしそうです。改造銃をどのようにして国境を超えて持ち込むのかも、同じ様なもので、人物が何かをしていることはわかりますが、何をしているかは不明です。
 クライマックスのシーンは、実際のシーンに人物の登場するシーンをうまく割り込ませたそうですが、よくサスペンスを盛り上げています。総じてよく出来たサスペンス映画であるとは思いますが、冷静に考えると、建物の窓から狙撃するということぐらいは事前にわかりそうなもので、しかも追い詰める側のルベル警視(なにか刑事コロンボのような雰囲気でした)はその場所まで予想していたのですから、すべての窓をしらみつぶしに調べれば、本篇のような意表を突く状況が起きなくても未遂に終わったのではないでしょうか。そこがまた、暗殺(未遂)事件を描くのではなく、マンハント、いわば追っかけっこを描くことに主眼があったゆえんなのではないかと思います。

 サスペンス映画と言えば、同じころの「
ジャガーノート」(1974年 監督:リチャード・レスター、主演:リチャード・ハリス)が、今でも一番だと思っていますので、いつか「ジャッカルの日」との構造比較をしてみたいと思っています。(またまた余談。調べてみたら、この「ジャガーノート」は、監督、製作、脚本、主演4人ともリチャードでした。イギリス映画そのものです)

常総散策 ホームページへ


映画のある記憶(第8回)

 「明治天皇と日露大戦争」(1957年(昭和32年)日本)

 第7回の「決断の3時10分」をみたころ、日本映画ではこんな映画もみました。
 最近わが町の図書館でもDVD映画を置くようになって、何気なく眺めていたらこの映画がありました。ストーリーも何も単純で、やたら深刻になったり怒鳴りあったり泣いたり、明治天皇の御製の朗詠があったり、日の丸がたくさん出てきたり、ミニチュアの海戦などがある戦争映画ですが、当時は大ヒットしました。いま見返してみるとなかなかしっかり作ってあります。生身の人間が生身の人間を演ずる戦争映画やアクション映画がが少なくなっている今では、意外にも新鮮さまで感じました。

 昨今はわが町でもTV映画のロケを誘致しているくらいなので、ふと思い出し、この映画の出征場面を見ました。田園の中を走る汽車に乗った出征兵士を、日の丸を持った人々が声援を贈る場面です。
 これが撮影されたのは、関東鉄道龍ヶ崎線です。常磐線佐貫駅から龍ヶ崎まで、間にひとつ無人駅(以前はほかに二つの駅がありましたが昭和32年に廃止されています)があり、今ではワンマン1両のディーゼルカーが走っていますが、当時は蒸気機関車でした。
 龍ヶ崎市歴史民俗資料館発行の「関東鉄道龍ヶ崎線の歴史」(特別展図録平成10年2月)によれば、ディーゼルカーの普及以後も比較的遅くまで蒸気機関車が走っていたため、映画の撮影によく使われたとあります。現在でもこの資料館の庭に4号機関車が展示されています。

 さて、開巻から22分17秒あたりから同40秒あたりまで、その場面が登場します。
 先頭に蒸気機関車、前後に貨車、中間に3両の客車を牽引し、出征兵士を満載して日の丸も振られています。沿線には住民が小旗を振っています。小さな踏切を通過してこの場面は終わりです。
 機関車の正面は国旗のため詳細が見えませんが、側面には四角の中に「5」とありますから、先の
「関東鉄道龍ヶ崎線の歴史」に掲載されている写真と見比べると、表紙にもなっている5号機関車と思われます。この機関車は大正10年日本車両製造とあります。(2006年2月26日発行の「図説稲敷・北相馬の歴史」(郷土出版社)238ページの「明治の面影を残す龍ヶ崎線」では、4号機関車となっていますが)
 先の図録中に、俳優の谷幹一氏との記念写真(28ページ写真48)も掲載されていますが、これも5号機関車です。

 さすがに博物館の図録ですから、この映画のロケに言及した内容はありませんが、これには(映画とは関係なく)興味ふかい記述があります。いわゆる「鉄道忌避伝説」について、疑問を投げかけているのです。最近(2006年11月)「鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町」(吉川弘文館)という本が出ていますが、(私はまだ未読です)おそらく、「関東鉄道龍ヶ崎線の歴史」は、この問題に言及した最初に近いものでは無いでしょうか。 

 

常総散策 ホームページへ

 

 

映画のある記憶(第7回)

 「決断の3時10分」(1957年アメリカ 日本公開同年 監督デルマー・デイヴス)
 
 本欄第1回で触れた映画です。このほど単品でDVDが発売となりましたのでアマゾン書店に予約注文して購入しました。
 記憶で書いた第1回と重複しますが、ぜひ語っておかなければならないと、ずっと思っていましたので、またテーマに持ってきました。あらすじや、俳優の紹介は本欄の目的ではないので、あしからずご容赦ください。

 このころ私は11歳、小学校5年生ぐらいでしょうか。小遣いをためては映画を、それも西部劇を見に行っていました。おそらく同じころ「
ローン・レンジャー」なども見ていたはずですが、自分でも不思議なことがずっとありました。なぜこの映画が気になっているのかということです。
 今回改めて見直しましたが、ごく細部(強盗団の首領であるグレン・フォードが町にいることを知って、わなにかけようとヴァン・ヘフリンが酒場で対決する)などはともかく、大筋では記憶の通りでした。思ったほど西部劇にある銃撃戦が無く、終始心理的な駆け引きのせりふでドラマが進んでいくので、果たして5年生に理解できたのかどうか、今では半信半疑です。この駆け引きがラスト、グレン・フォードが自ら列車に乗り込むシーンに生きてくるのですが。ハリウッド映画にありがちな待望の雨が降るシーン(ハッピーエンド)も、その前からの雷鳴で予告され、大団円に向かって近づいてきたことがわかる仕掛けです。
 見終わって何十年も抱いていた思いは何であったのかはついにわかりませんでした。しかし、マイナス評価にはなりませんでした。むしろできる限り公平に見れば、西部劇=映画の名作との評価を再度与えたいと思います。
 よく、優れた文学は読む年齢によって受け取り方が違ってくるから、何度読んでも新たな発見があり、そのために読み継がれていくといいますが、なにかそのような感じを受けました。

 新たな発見とまではいえないかもしれませんが、強盗団の副首領挌、チャーリーを演じたリチャード・ジャッケルに新鮮な印象がありました。この俳優にはいろいろなところでお目にかかってきました。しかし、本編に出ているとは不勉強でした。私が最も注目したのは「特攻大作戦」(1967年 アメリカ 監督ロバート・アルドリッチ リー・マービン アーネスト・ボーグナイン ロバート・ライアン)で、その後「チザム」(1970年 アメリカ 監督アンドリュー・V・マクラグレン ジョン・ウエイン クリストファー・ジョージ)にも出ていました。小柄な身体で、きびきびした動きをみせ、前者では、ならず者部隊を訓練する鬼軍曹でしたが、後者ではこの「決断の3時10分」(監督デルマー・デイビス)のような役柄、つまり主人公に敵対する役でした。ここでの演技もまた、きびきびしてよい動きでした。ジョン・ウエインと対峙するので、貫禄負けのような感じでしたが。
 或いは、このあたりの存在感(いかにも無法者らしい動き)が、主役二人を引き立て(先に触れたように、この二人にはアクションはほとんど無く心理戦が続く)それで私の印象に残っていたのかもしれません。終盤撃たれてしまうのですが、生死は不明なようです。
何はともあれ、その後あまりお目にかかっていないのはさびしい限りです。私の脇役俳優着目癖がこのころから芽生えたのだとしたら、この映画だと妙に納得してしまっています。調べてみると日米合作の「
緯度0大作戦」(1969年 日本 監督本多猪四郎 ジョセフ・コットン 宝田 明)にも出ているのですが私は見ていませんでした。彼は1977年に73歳で死去しています。 

 

常総散策 ホームページへ

 

映画のある記憶(第6回)

「レマゲン鉄橋」(1968年アメリカ 日本公開1970年)

 1970年は、私が東京に出て就職した年です。前にも書きましたが、当時はシールド工事の現場に配属されており、一週交替で夜勤がありました。夜勤になるときは朝から次の日の朝まで通しですが、終わるときは朝にあけて次の日の朝まであるため、朝独身寮に帰ってきて寝ずに、日中はよく映画に行ったものです。映画館の中で寝てしまえばおもしろくなかった、寝ないでずっと見ていることが出来ればおもしろい映画だった、と言うのが、まあ、評価の基準でした。この映画は、寝ませんでしたね。 

 この映画の主演の1人、ジョージ・シーガルは「名誉と栄光のためでなく」(1966年 アメリカ 監督マーク・ロブソン アンソニー・クイン アラン・ドロン)で初めて見、「さらばベルリンの灯」(1966年 アメリカ 監督 マイケル・アンダーソン。主題曲がよかった)の主演で見てから、自然な演技をする俳優として頭に残っていました。
 とくに、「名誉と栄光のためでなく」では、アラブ人ながらフランス落下傘部隊に所属している兵士を演じ、途中でフランス人の横暴に反抗して山岳地帯にこもるゲリラとなっていく(「アルジェの戦い」と同じ舞台をフランス側から見た映画)役を、情熱をもってこなしていました。

 この映画でも、ベン・ギャザラ、ロバート・ボーン(「ナポレオン・ソロ」だ!)とともに、じつによい味を出していたと思います。ボーンはドイツの将校、シーガルはアメリカ兵ですから、共演とは言っても直接絡むシーンはラスト近く視線が合う場面だけなので、演技で火花を散らしたわけではありません。シーガルという俳優はボーンと違って(私は好きですが)癖がありませんから、硝煙と土埃の中にいると、実にリアルな、訳のわからない勝手な上官(E・G・マーシャル(「弁護士プレストン」だ!)ブラッドフォード・ディルマン(「猿の惑星」シリーズ5本の最後の方、猿が地球に帰ってくる作品に敵役で出ていた))に逆らいながらもしっかりと戦う頼もしい兵隊に見えます。ボーンの方も忠実に任務を果たそうとしながら、軍人以外を助けるため、少ない爆薬で橋の爆破に失敗し、処刑される軍人をよく演じていました。戦争映画ですが、この人間ドラマ部分も、かなり見応えがありました。

 しかし、なんと言っても、本物の戦車がライン川沿いの道路を縦列で全力疾走しながらの砲撃シーン(戦車といえばドイツ軍タイガー戦車にアメリカの戦車が翻弄される「バルジ大作戦」があります。(そういえば、ボーンの部下ドイツ軍軍曹役でのハンス・クリスチャン・ブレヒはこの映画にも出ていました。本物のドイツ陸軍兵士であった俳優です)戦車はゆっくりとした走行で、それはそれで重厚なのでしょうが、この映画のような疾走シーンは、後にも先にもないのではないでしょうか)や、本物の鉄橋の爆破シーン、砲撃で崩れる本物の街並みなどの迫力は、どうしても作り物に見えてしまう最近の戦争映画にはないものです。
 私は、映画館では幾分後ろの方に座ることが多いのですが、冒頭の疾走シーンでは思わずため息をついてしまったことを覚えています。もう35〜6年も前のことですが。


 この映画は、チェコスロバキア共和国(当時)でロケをした最初のアメリカ映画で、街の下にある石炭開発のため取り壊されつつあった建物を市の許可を得て本当に爆破したのだそうです。こういうものを本物の迫力というのでしょうか。

 第2次大戦末期、ライン川に残された最後の橋レマゲンのルデンドルフ橋を爆破してドイツ軍の退路を断つ作戦の、アメリカ第27装甲歩兵大隊と、橋の守備隊(こちらは早く爆破してアメリカ軍がわたれないようにする)との攻防の物語ですが、途中からアメリカ軍の作戦が変更になり、橋を無傷で占領することになります。そのため、無謀と思われる攻撃が進行していきます。爆薬の少なさから、ドイツ軍の爆破は失敗に終わり、指揮官であったクルーガー少佐(ロバート・ヴォーン)は死刑となってしまいます。

 猛烈な銃火の中を橋に向かって突撃していく場面では、息もつかせぬ演出であり、ドイツ軍の守備隊が少年や老人の寄せ集めであったことがわかる場面などは、なにかもの悲しい演出となったり、監督のジョン・ギラーミン(ほかに「キング・コング」これはあまりよくなかった。「タワーリング・インフェルノ」まあまあ)の代表作といえるのではないだろうかとおもいます。もっとも、私は、この監督の映画をほかにはあまり見ていませんが。

 

常総散策 ホームページへ

 


  

映画のある記憶(第5回)

「11人のカウボーイ」(1971年アメリカ 日本公開1972年)

 ジョン・ウエイン出演の駅馬車以後の映画はほとんど見ているのですが、この映画は東京東銀座の「東劇」で、封切りロードショウを見たので、よく覚えています。
 このころ、私はどこで何をしていたかというと、千葉県で高速道路の現場にいながら地下道を担当していたり、泥水推進の現場にいたり、それからの地下工事人生の出発点を固めていました。出だしがシールド工事であったので、予想はされたのですが。


 この映画を、何も予備知識なく見て、途中でジョン・ウエインがブルース・ダーンに殺されてしまう、しかも子供を守ってあまり抵抗せず殺される役どころであったので、西部劇ファンとして驚いた思いがあります。主役が途中で退場する映画は珍しいものではありませんが、ジョン・ウエインが途中で死ぬのはとても珍しいことでした。
 ロスコー・リー・ブラウンとのキャトル・ドライブは、「赤い河」や、TV「ローハイド」などでおなじみですが、カウボーイたちが子供だというところも、それまでの西部劇とはまた違った趣でした。

 金が発見されたため、牧場にカウボーイがいなくなってしまい、窮余の策として子供たちを雇ってキャトルドライブしようというのが発端です。牛泥棒にジョン・ウエインがが殺されてから、子供たちが知恵を絞って復讐し、牛を無事目的地まで届けるのです。この最後の復讐方法が、かなりストレートな描かれ方をしているのも、子供ではあるが子供ではなくなったということなのかもしれません。

 監督は、ニューヨーク派のマーク・ライデルで、彼はハト派といわれ、タカ派のジョン・ウエインとの組合せが面白いのです。ハワード・ホークスやジョン・フォードのジョン・ウエインもよいのですが、ちょっと変わった(ジョン・ウエインにとってです)監督のほうが、なんだか本物のジョン・ウエインのような感じを受けます。遺作の「ラスト・シューテスト」も、クリント・イーストウッドとの「ダーティ・ハリー」シリーズで有名なドン・シーゲルでしたからか、とてもよい映画でした。

 俳優では、スリム・ピケンズが、ジョン・ウエインの昔からの友人らしい味を出していました。前回触れた「博士の異常な愛情/またはまたは私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか
」(1964年 イギリス・アメリカ)で、水爆にまたがり、テンガロンハットを振りながら落下していく役でしたが、それもカウボーイスタイルでした。

 この映画は、1971年に発表されたウイリアム・D・ジェニングスの小説「THE COWBOYS」(邦訳 斉藤伯好 角川文庫1972年)の映画化です。発表と同じ年の映画化ですから、あちらでは評判が高かったのでしょう。私の手元には、いまでもその角川文庫があります。同年5月20日発行となっていますから、映画を見てから買ったようです。
 また、クレジットを見ていると、脚本にジェニングスの名前がありますから、原作者自ら映画化を進めたようです。
 本では384ページのうち319ページ目でウィル・アンダーセンが息を引き取ります。ジョン・ウエイン映画では2'11''のうち1'51''ほどで埋葬シーンとなります。少しだけ映画のほうが復讐と目的地到着シーンが短いようです。原作では、目的地で牛を買う男が出てきて、その男が、顛末を聞いた後、一人前の男同士の取引をしようというシーンがあります。映像で十分にそれはわかるので、あえて省いたのか、などと想像ができます。

 ※このシリーズ1回目で触れた「決断の3時10分」が、2004年にDVDになっていました。しかし、単体ではなくほかの西部劇ララミーから来た男」、「カウボーイ」、「キャット・バルー」 、「プロフェッショナルとのセットです。

 

常総散策 ホームページへ

  

 

映画のある記憶(第4回)

「ラスト・ラン」(1971年アメリカ 日本公開 同)

 この映画は、私の好きな俳優の一人、ジョージ・C・スコットがでているため、予備知識なしに見たものです。
 私は映画鑑賞メモをつけないので、いつ頃どこで見たかは忘れてしまっているのですが、年代からすると夜勤明けの東京池袋あたりでしょうか。
 ちょうどこのころ「パットン大戦車軍団」(1970年アメリカ 日本公開同 これも見ましたね。悪たれせりふが、日本語訳字幕でもおもしろかったのを覚えています。)に主演したジョージ・C・スコットが、この映画でアカデミー主演男優賞に選ばれたけれど、拒否したので、少し興味を持っていました。
 この後は「ヒンデンブルグ」(1975年アメリカ 日本公開1976年 これも見ました。あまりおもしろくはなかった)ぐらいしか記憶にない俳優ですが、アルコール依存症になってしまったようです。
 前後しますが、「博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」(1963年アメリカ+イギリス 日本公開1964年)という異常に長いタイトルの映画にも出ていました。このときはあまり記憶に残りませんでしたが。(もっとも、この映画のピーター・セラーズは怪演で、私はあっけにとられて見ていました。いつかこれも書きましょう。スリム・ピケンズのことも)

 さて、この「ラスト・ラン」です。ストーリーは、引退を考えている逃走専門のドライバーが、最後の大仕事に、ある組織の秘密を握る生意気な悪党とその愛人を逃亡させる顛末です。
 冒頭の地中海風景は、こんなところで隠退生活をおくれたらいいなと思わせる描写ですが、その後は、なんだかよくわからない事情と、やたら粋がる悪党(トニー・ムサンテ)が、どうもなじめなくて(?)当時まだ若かった私には感情移入があまりできませんでした。

 この連載のはじめの方に書きましたが、ここでは映画評を行うのではないため、ストーリーや俳優の演技は置いておきます。
 ただ一点記憶に鮮明なのは、この主人公が乗っている57年型BMW(だそうです。この辺は私はわかりません。つい最近まで、こちらがジャガーだとばかり思っていました)と敵のジャガーの対決です。
 カーチェイスといえば、「ブリット」(1968年アメリカ 日本公開 同 スティーブ・マクイーンの寡黙な演技もよかった)が最初かもしれませんが、あのアメリカの広い道路と違い、ヨーロッパの狭い道路でのカーチェイスは、それだけで映画を堪能させてくれました。最近ではSFXを駆使してカーチェイスを見せる様ですが、それはどうもなじめません。「スピード」(1994年アメリカ)などのように。

 ラストシーン。スコットが息絶えると同時に、愛車のエンジンもコクンと停止します。これはもう、車の映画です。私がもう少し車に詳しかったなら、もっと楽しめたのにと思います。最近ではDVDに収録されていますから購入すれば見ることはできますが。

 実は、私は運転免許を40歳になって取りました。1987年ですから、これを見た16年後です。この映画を見た頃は、同僚で車をもっている人はごく少なく、運転免許所持も数人でした。贅沢な車を、映画のためとは言いながら、本当に壊してしまっているのだろうか、というのが素朴な疑問といえば疑問でした。

 

 

常総散策 ホームページへ

 

 

 

映画のある記憶(第3回)

「寒い国から帰ったスパイ」(1965年アメリカ 日本公開 同)

1965年、高校3年生の冬、大学受験のため(当時としては)長い時間をかけて電車旅をしました。試験が終わり、帰り際ふと大学前の書店(だったと思うのですが、記憶が曖昧です)に立ち寄り、一冊の本を買いました。
ジョン・ル・カレの「寒い国から帰ってきたスパイ」(早川書房)です。今でもどこかにあると思って探しましたが、見あたらないので発行年などは不明です。今では早川文庫に入っていますが、本欄は読書の話題ではないのでこれくらいにします。
とにかく、内容が非常におもしろく、以後、カレ(彼)の本はほとんど全部購入して読みました。ついでですからいってしまうと、一番おもしろかったのは原作も映画も「リトル・ドラマー・ガール」です。(これはいつか書きます)

このころまで、私は、いわゆる翻訳物はほとんど読んだことがなく(世界名作、たとえば「怪盗ルパン」堀口大学訳(角川文庫)などは別)、その意味でも後にグレアム・グリーンや、ジャック・ヒギンズにのめり込むきっかけとなったのですが、それはこの際おいておきます。

さて、映画です。
時をおかず、パラマウントにより、この映画が作られ、日本でも公開されました。監督はマーティン・リットー(「ハッド」「明日に向かって撃て」という傑作があります)、主演はリチャード・バートン(世界一の美女エリザベス・テイラーと結婚しましたネ)です。彼は演技派という評がありますが、「荒鷲の要塞」などでは、そうは思いませんでした。「ワイルド・ギース」でも、ミスキャストではないかなと感じました。もっとも、こうした映画しか見ない私の偏見かもしれませんが。

何はともあれ、東西冷戦のまっただ中、ベルリンを舞台に、実にリアル(と、感じさせるよう)なスパイ戦の様相が描かれ、見れば暗いのですが、一種異様な知的好奇心が触発された映画でした。
小説では、何回もページを遡らなければならない登場人物の関係と立場の複雑さも、映画ではよくわかりました。査問の様子も、真実はあのようなものではないかもしれないが、リアル(と、感じさせるよう)な作りになっていました。
なにより、主人公がどこまで真実を語り、どこまでが嘘であるのか、観客に悟られてはいけないし、もちろん劇中でばれてはいけない、その演技が重要であるのはいうまでもないので、バートンを配したのは、あるいは正解かもしれません。
2重3重のどんでん返しと思うのは観客だけで、周到な計画と実行が、敵の中枢に入り込んだ味方のスパイの窮地を救うために仕掛けられた作戦であることは、最後のほうにになってわかるのです。
今に至るも、スパイは、人間関係が良くも悪くも基本(ヒューミント)で、いかにハイテクにより衛星写真で新聞が読めるとしても、相手が何を考えているかはわかりません。どこかの国は、その基本を忘れているのではないでしょうか。
ベルリンの壁をよじ登って、しかし撃たれてしまうラストシーンは、今はなき壁を考えると、何か考えさせることがあります。作戦は成功したのだから、それを担ったスパイは、別に生還しなくてもよいのです。
この結末が、本作(原作も映画も)が、いわゆるスパイスリラーの転換点になったと評されるゆえんだそうです。

ベルリンでは、この時期、「さらばベルリンの灯」(1966年イギリス 日本公開1967年 主演(私の好きな)ジョージ・シーガル、アレック・ギネス、それにマックス・フォン・シドー(がよかった)。)のようなスパイ戦が日常茶飯事に行われていたと、いわれているのですが、真実はどうか、東西ドイツの統一なった今でも、よくわかりません。

この項は、本当は小説の方を書きたかったのです。映画は、何か、小説の解説のような思い出しかなく、あまり傑作とは思われなかったものですから。
しかしながら、映画をみて、小説もよく理解できたという経験は多くあります。この映画もその一つでした。

この年、私は大学受験に失敗し、いわゆる浪人生活を送ることになりました。
しかし、不思議と暗い思い出ではなく、何か一種充実した思い出が残っています。それはおまえが鈍感であるからだと、いつも友人や家族にはいわれますが。

 

常総散策 ホームページへ

 

 

 

映画のある記憶(第2回)

「突撃隊」(1961年アメリカ 日本公開1962年)

1962年(昭和37年)というと、私は高校生になった年であったから、むやみに映画を見はじめました。
当時通った映画館のうち一つは、2〜
3年後に火事にあい、偶然にも私はそのとき通りかかって、この目で焼け落ちるのを目撃しました。
当時は水戸といえども少なからぬ映画館があり、水戸駅に近い水戸オデオン座などは、私の母校の歌にまで歌われていたほどです。
おそらく、そのどちらかで(あるいは浪人中か、甲府の映画館に通うようになってからか)見たと思うのですが、私は世の映画ファンのように記録を付けなかったので、今となってはわかりません。
ともかく、モノクロで上映時間
90分の小編といっても良いこの映画の、スティーブ・マクイーンの動きの切れの良さに、スポーツ音痴であった私は少し感動しました。
今年やっと
DVDが発売されたようですが、最近(1022日)、NHKBS2のミッドナイト映画劇場で放映されたので、改めて見直しました。

監督はドナルド(ドン)・シーゲル。この人の映画もよく見ています。
たくさんありますが、「燃える平原児」(エルビス・プレスリー主演の西部劇)をはじめとして、「ダーティ・ハリー」(クリント・イーストウッド主演。彼が監督した「許されざる者」は「ドン・シーゲルに捧ぐ」で開巻します)、そして、なんと言っても「ラスト・シューテスト」(ジョン・ウエインの遺作)がうれしい。
共演は「荒野の七人」でマクイーンと共演した孤高のガンマン役、ジェームス・コバーン(
この人は71回アカデミー賞(1999年)で助演男優賞を受章したように、年をとってからの方が良い俳優になったと思う。昔、「電撃フリント」シリーズに出ていた頃は何であったのか。
もっとも、ハリウッドにはこういう人は多くいる。「ナポレオン・ソロ」ロバート・ヴォーン、私の好きなマイケル・ケイン(この人はイギリスか)など。今年11月18日74歳で死去)。
さらに、テレビでおなじみフェス・パーカー(「デイビー・クロケット」「ダニエル・ブーン」の、鹿皮服が売り)、ハリー・ガーディノ(「刑事マディガン」が良かった)などもいる。
ボビー・ダーリンには、あまりなじみがない。ニック・アダムスは「怪獣大戦争」(1965年日本)などに出ているのですが、私は見ていません。

お話は第二次大戦末期の戦争アクション。
ドイツ軍のトーチカに対峙するアメリカ軍の小隊6人が、如何に多くの兵隊が居ると思わせるか知恵を絞る(故障ジープで戦車の音を聞かせるとか)お笑い場面から、壮絶な攻防戦になって行き、マクイーンが背中を打たれて、貫通した腹を見て助からないと悟ってトーチカに自爆攻撃するラストまで、よけいなことなしのシーゲル流。
しかし、こんなことは、このコラムで紹介の必要はなく、他にいくらでもサイトがあります。本コラムのテーマ、「映画のある記憶」で言えば、まさに記憶していたとおりでした。

マクイーンがステン・ガンを持って突撃する、塹壕から顔を出す、トーチカから銃撃される、後ろにのけぞってよける、後ろ向きで、後ろに飛び退く、ジグザグに走って次の塹壕に飛び込む。これら鋭い動きの連続で無駄がない。「荒野の七人」や、もっと以前のTVシリーズ「拳銃無宿」、もっと以後の「ゲッタウエイ」での動きと比べても、動きだけならこの映画が一番ではないかと思います。
しかしまあ、相変わらず(いや、このころからというべきか)せりふが少ない。「荒野の七人」の時もせりふが少ないので、小さな動作(棺桶馬車の護衛を引き受けたとき、散弾を耳元で振って空砲でないのを確かめる、など)を重ねて、目立つようにしたというエピソードも、本当かもしれない。

1960年代から70年代にかけては、毎週のように映画を見ていました。
高校、大学時代はもとより、入社した会社が建設会社で、夜勤があるため、夜勤明けにも見ていました。このとき眠ってしまった映画はつまらない映画であるという、自分基準が出来ました。時には映画館をはしごして、そこから出勤しました。睡眠はシールド機の後方台車でとりました。圧気工事であったので、上司はあまり見に来ませんでした。
これはもう時効でしょう。もと上司のかたがた、すみません。

 

常総散策 ホームページへ

 

 

映画のある記憶(第1回)

 

はじめに

 

 映画を文章で語ることは,かなり困難な仕事です.音楽や絵画を文章で語ることは本質的にできないのではないかという意味で,それらの総合されたものとしての映画を文章化するのは困難でしょう.
 しかし,考えてみれば,映画評論家や音楽評論家は文章で評論します.歴史家は生の史料ではなく歴史書で歴史を組み立てます.そんなに大上段に構えなくても,映画の文章化できないなんていうことは無いでしょう.評論にしても紹介にしても文章でするからそうなので,対象物そのもので行うことはまれです(映画には予告編がある!!).

 と言う事前の言い訳はこの位にして,この新しいページの趣旨を少し述べて本論に入りたいと思います.
 私が最初に見た映画は何であったか,記憶も記録もありませんから定かではないのですが,記憶に残ってしかもその後の映画鑑賞と派生する読書ジャンルを決定付けたのは次の2本です.いずれも小学生以前です.

@「遠い太鼓」ゲーリー・クーパー
A「風雲黒潮丸」中村錦之助

 @はアメリカ製の西部劇で,インディアン(近年ではネイティブ・アメリカンといいます.ここでは西部劇映画に登場するネイティブ・アメリカンの意味で使用します)は出てきますが舞台は砂漠ではなく湿地帯,最後の決闘場面は向かい合っての早撃ち勝負ではなく水中でのナイフ戦です.ラストシーンは延々と続く勝利と再会の握手です.
 Aは東映の連続時代劇もので,巨大なつもりのかわいいサメや,とても海には浮かべることのできそうもない三角帆の船が出てきます.それでも,忍術使い(忍者ではない)が海に向かって歩いていきすっと消える場面などは今でも鮮明に記憶しています.先年NHKで放映したとき,この記憶を確認してあります.映画の誕生から今に続くトリック撮影です.

 このようにこのページでの文章は,映画や俳優の紹介ではないので,知っている方のみにわかってほしいと言う失礼な内容(説明が独り善がり)になるのはお許しいただこうと思います.

ともあれ,私のこの後は読む本も海野十三やハインラインのSF(お子様向け),見る映画は西部劇と東映のちゃんばら,時に,波島進の柔道アクション(彼は後年,B「警視庁物語」に出ていましたね.よいシリーズものでしたね.いつか触れるでしょう),日活の国籍不明アクションなどに限定されてきました.間違えても文芸ものなどは見ませんでした.ずっと後になってピーター・ボグダノヴィッチのC「ラスト・ショー」を見ていたら,家族にびっくりされたくらいです.何を言うのか,これには我らがベン・ジョンソン(この映画で第44回アカデミー助演男優賞)が出ていたのだよ.

記憶で言えば特に西部劇は熱心に見ました.西部劇の本も読みました.フランス人の書いた「西部劇―夢の伝説」は名著です.神田の古書店のウインドウの中には今でも買えない日本人の編纂した「西部劇総覧」と言う大部の本があります.この本は茨城県立図書館にあるのを確認(5年前)しました.
 と言うわけで,このページでは西部劇を中心に,それから派生した(映画そのものではなく,私の関心)ジャンルも含めて私の思いを述べるページにしたいと考えています.
 先年公開されたクリント・イーストウッドのD「許されざる者」は西部劇の変質がよくわかりました.ですから,内容は,懐かしの映画を語る,といった風になります.

 では,第一回として何を取り上げましょうか.

 もし,万が一その道の方がいて,TVでの放映やビデオを売り出すことをお考えで,しかもこのページを偶然見ていたとしたら,内容の空疎さに二度と訪れていただけなくなる恐れが多分にあるため,ぜひとも実現してほしいことを真っ先に書きましょう.

 

E西部劇「決断の3時10分」(バン・ヘフリン,グレン・フォード)
 この映画はビデオ化されていないはずです.またTV放映は確か一度どこかで行われたようですが,今となっては(西部劇がこう忘れられては)もう一度見ることはかなわないのでしょうか.アメリカ製の,つまり字幕の入っていないビデオは,購入しなかったのですが日本で見たことがあります.そのころは,映画をビデオで見るのは邪道であると思っていたのです.なんたる偏見なんたる狭量.
 モノクロの画面は乾いて農民が旱魃に苦しむ様子を表し,そこにバン・ヘフリンが名作F「シェーン」(アラン・ラッド)に出演したときと同じような扮装,設定の開拓農民で出てきます.群盗団の首領グレン・フォードを護送するアルバイトがあり,賞金ほしさに請け負いますが,勝算はありません.護送列車と平行して走る群盗団は余裕綽々で,むしろ首領を奪還するゲームを楽しんでいます.いろいろなやり取りがあって,一時は脱出した首領が,最後に自ら列車に戻ってきます.農民の一途な気持ちに打たれ,自分を護送してもらう賞金をその農民が受け取ってからでも悠々と脱獄できるから戻ったのです.
 これは私が小学生の4,5,6年生のどこかで見ています.見たのは茨城県下館市です.本当にこのような解釈が可能なのか.ぜひもう一度見たいのです.西部劇の本などでは,あまり評価の高い映画ではありませんが,私には,後にふれる予定で,名作の誉れ高いG西部劇「赤い河」(ジョン・ウエイン)より印象が強いのです.特にEのラストシーンはGのラストシーン(殴り合いの末,親子が和解する)の唐突さに比べて余韻があると感じています.でもその感じは本当でしょうか.なんで小学生の子供がそんなことを感じたのでしょうか.

 

 とまあこのようにして,自分の独断と偏見で映画を見かえし,思い返していきます.映画のデータは,原則として,参考程度に末尾に掲げることはありますが,あらすじまでは掲げません.良いデータベースが市販されていますし,このページの目的は,映画そのものの紹介ではなく,その周辺の,時代と自分史の回顧ですから.
 では,次回から,古き良き時代へ帰っていくことにしましょう.

常総散策 ホームページへ